【節約生活#336】安定した心を望むなら安定した生活を目指さなければならない

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

心身の安定を望む

 節約生活の挑戦をはじめるとき、ルールに健康で文化的というものを挟みこんだ。
 ともすると「節約」のために生活が破綻するような過激な路線に走ってしまう。暴走した節約生活にならないようにするためであった。

 この生活をはじめて11か月がすぎた。
 この期間を過ごしてみて、自分が望んでいたのは安定した生活であったのだと思うようになってきた。
 はじめはそれが金銭的に安定した生活だろうと考えていた。しかしながら、安定した生活には心身の安定が欠かせない。そうすると、健康であることは大前提になってくる。
 もちろん健康であることそのものが節約にもなる。医療費がかかるというだけでなく、苦しいと買い物も辛くなりちょっとした判断が狂うようになる。また、ストレス解消にお金も使ってしまうだろう。

 そういう意味で、心身の安定は必須と言える。
 心身が安定しないなら節約の意味もないかもしれない。

安定した生活は当たり前ではない

 心身が安定し、金銭的にも安定した生活は、もしかしたら生活の理想かもしれない。
 子どものころはなんとなく金持ちがうらやましいと思っていた。金持ちに会ったこともないので、想像上の金持ちであったけれども。

 今となっては、いくらお金を持っていたとしても不健康で精神的にも荒廃して、生活も安定していないのであれば、不幸だと言ってもよい。うらやましいとも思えない。
 それよりは、心身的にも経済的にも安定した生活を望む。

 問題は、健康と同じように安定した生活はあって当たり前ではないことである。
 家事もそうであるけれども、ちょっとした手続きや仕事も含め、生活全般でやらなくてはならないことは多い。そうして、何かが破綻するとすぐに生活は不安定になる。
 仕事量が多くなったり、ガス・水道料金を払い忘れていたり、ごみを捨て忘れたり、玄関に鍵を締め忘れたり・・・。夜遅くまで起きてしまったり、お酒を飲みすぎてしまったりするだけでも生活は簡単に崩れる。

 健康的文化的な生活は権利として認められていると言っても、誰も守ってくれない。同じように、安定した生活も自分で守っていかないといけないものである。

努力せずに得られるものは少ないので

 不摂生な生活が長かったからかもしれないけれども、30代の半ばで体を壊した。その分軽症だったので、社会復帰は早かったかもしれない。

 不摂生はよくない。
 健康もお金も失ってはじめて大切さがわかる。ちなみに、それまでは安定した生活をしたことがなかったので、安定した生活の大切さを知らなかった。

 自律ということばがあるけれども、安定した生活をするには自分を律しなければならない。そういう面でも「節約」は役に立つ。

 今日はこれから1日仕事がある。
 今週も金曜日あたりに有給をとろうと考えているが、そこまでは休みがないはずである。まずは安定した心身になるように、安定した生活を続けていきたい。

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