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【節約生活#49】人並みの人生という幻想を捨てること

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

みんなとおんなじの時代ではない

 こどもがまだ多かった時代に生まれたせいか、自分に限らず周りを気にして生きていることが多かったように思う。みんなが見ているテレビを見たり、はやりのキン消しを買ったり、ファミコンで遊んだり。流行でスキーをしたり、旅行に出かけたり、見渡す限りの人でぎゅうぎゅうの海水浴をしたり。
 こどものころ、すでに個性が大事だと言われていた。それでも、個性があまりあるように見えない。今も他人がやっていることを気にして消費をしている。数年前から、知り合いは家を買ったりしてローンの苦労自慢とかをしている。もちろん、若いころに車を買い、そこそこの年齢で結婚をして、家を買うというお決まりのコースだ。
 おそらく「みんなとおんなじ普通のこと」ではあるのだと思う。それが自分にとっても大事なことであると考えた結果であるのだろうから、他人に対しては基本的にそういう話をしないでいる。
 個人的には、そんな時代ではないだろう、とは思っている。

同じことをすると自分でいられなくなる

 別に目立ちたいわけではないが、他人と同じことを「したい」と思ったことはあまりない。お腹が空いているときに、他人といっしょに食事に出かけるくらいのことはあるけれども。
 こどものころは、他人と同じで「なければならない」と考えていた。できすぎてもいけないし、できなすぎてもいけない。同じ服を着て、同じ行動をとる。そうしないと自分を認めてもらえないような気がしていた。
 あくまで気である。
 結局それは他人になろうとしているだけで、なりたい自分になろうという努力をしていなかったことになる。他人と同じことをして、自分でいられるはずもない。永遠に他人のミラーになろうとして不安なだけである。
 人並みの人生を過ごしても究極的には幸せになれない。幸せはもっと個人的なものだと思っている。

 同じことをして自分から離れるのは精神上良くない。そのことに気づいたのはいつのことだろうか。とくにエピソードがあるわけではないが、ここ10年ほどは、他人と同じことをしなきゃいけないのかを一旦考えることが多い。

もっというと貧乏になる

 同じという定義が難しい。
 周りと一緒といったとしても、全員ではなく大多数と同じ行動をとることになる。ということは大多数と同じ消費をしなくてはいけなくなる。欲しくもないのに。
 そうすると、「同じになる」というだけの満足感のために、要不要を判断することなく消費を続けてしまう。
 私もいくどとなく、家だとかマンションだとか車だとかを買うように言われたことがある。友達だけではなく、家族にすら言われたのはショックであった。
 要りもしないものを買う羽目になり、永遠に消費を続けていれば、お金が足りなくなるのは当然だとは思う。そもそも家を買ってもお金に余裕があるという状況は思い描けない。
 他人と同じ消費をしていたら常にお金は足りなくなる。

自分にとらわれるのではなく自由になる

 自分を貫くということについて、昔はすごい人がするものだと漠然と考えていた。庶民のようなそうではない人がすると、わがままになり、強情になり、社会の邪魔になると思っていた。もっというと、自分にとらわれて、社会に適応できない人だと思っていた。
 ただ、一旦自分にとらわれてみると、世の中でいう一般的とか常識とかいうものはケースバイケースであるし、自分に合っていないものも多いとわかる。むしろ他人の目にとらわていたのは過去の自分であった。
 節約も同じ部分がある。
 自分のしたいことに注力し、自分のしたくないことを削る。純粋に自分の人生を生きるためのプロセスのように今は考えている。

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