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【節約生活#716】自分だけの節約も健康も豊かさ

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をするというルールで挑戦中。
(2024,6.15更新 それまでは「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というルール)

健康や豊かさはオプションではない

 ここ何年かちびちびと日記を書いている。エクセルに書いているので、1日分を1つのセルで1列を1年という形式である。そうなると、隣の列が昨年にあたる。

 昨年のこの時期、日記を書いていなかったでよくよく見てみたら、コロナにかかっていたようであった。こんな暑い時期に寝ていて、よく死ななかったものである。

 そんなことを考えて、健康や豊かさというものは、デフォルトではないし、オプションのようなものでもないことを思った。健康に感謝というけれども、今ある豊かさにも気づいて感謝をしたい。健康も豊かさはなんとなくで手に入るものではなかった。

なんとなくではない暮らし

 時々思い返すけれども、過労で倒れたことがある。無理が普通、デフォルトのモードである場所が世の中にはある。環境は大事である。

 最近は、毎朝筋トレをしていたりする。健康のためである。
 お金を払えば健康になれるというわけではない。もちろん、健康で居続けるためには運だってあるだろう。しかし、毎日の生活のちょっとした違いが、年を経ると大きな違いになっていく。
 最近の高齢者は昔ほどよぼよぼしていない人も多い。先日90歳に見えないほど元気な人にお会いした。普通に食事をしに出かけていた。そうかと思えば、数年前にあった60代の人はもっとやつれていた。たぶん先日の90代の人よりも見た目は老けていただろう。それくらいは変わってしまう。

 豊かさというのは人それぞれであるけれども、お金があっても豊かではない。
 年収が今の5倍くらいのときに、毎晩飲み歩いて散在する生活をしていた。今となっては何も残らなかったし、当時だって満ち足りていた気分ではなかった。

 自分の求める生き方は漫然としていては手に入らない。

自分だけの暮らしを探す

 節約をベースにして自分の生活を見直している。
 節約情報を見ていると「〇〇をすればよい」というものがよく出てくる。

 そういうマニュアル的な生活はやはり自分好みではない。ただの人まねは自分のおくりたい暮らしとはまた異なる。

 落語に「本膳」という題目がある。

 食事のマナーを知らない人たちが、マナーを見様見真似でやってみる。すると、見本の人が失敗したものをひたすらまねていく、という話である。リンクにもあるけれども、里芋を落としたのを見て、わざわざ里芋を箸でつついて落としたりする。

 本質を理解せずにただ人まねの節約をしても豊かにはなれない。
 ひとによって豊かさが違うから。

 節約をなんとなくはじめたものの、節約をうまくやっているように感じるまでには、意外に奥が深かったのだと、改めて感じている。

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