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【節約生活#691】節約の基本ルールの再考

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

基本ルール

 節約の基本ルールは常に冒頭にあげている。「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というものだ。
 noteをまとめるたびに、自然に目に触れるようにして、忘れないようにしている。

 健康と文化というのは、有名な憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」からきている。

 人権というのは守ろうと思わなければ守られない。過労で健康を害するするひとは周りにいくらでもいる。
 節約もやりすぎれば自分の基本的人権を害するような生活になりかねない。
 だから、健康と文化は最低限守ろうと標語にしてみた。毎日見ているので座右の銘と言ってよいかもしれない。

健康こそがすべての土台だった

 節約生活をはじめてみて気づいたけれども、そもそも健康と文化を守らないと節約を継続することが非常に難しい。

 当然、病気になれば余計にお金がかかる。体が動かないと節約行動をとることすら難しくなる。
 病気ほどいかなくても、体調不良や疲労ですら、節約の大敵である。楽をしたいという気持ちが浪費の道の一歩目である。

 そう考えると、体の余裕だけでなく心にも余裕がないと節約をすることはできない。健康は身体のことだけをさすものではなかった。心身ともに健康でなければならない。

 意識して自分の時間をとっていることもあり、節約をはじめてから心にも余裕が生まれた。節約生活していたら自分の人生を生きている感覚を得てもいる。

 実のところ、文化的な生活だとか行動だとかは今も不明瞭である。ただ、毎朝、日が上るのを見ながらコーヒーを淹れる時間や、noteをまとめるルーティンは文化的といってもよいだろう。
 以前よりも図書館で本を借りるようにもなった。
 最近は、移動に徒歩を距離を増やすようになったけれども、散歩ととらえれば文化的でもある。

 文化は心の余裕がないとできないし、心の余裕をつくることでもある。

 そう考えると、文化的な生活の土台すら健康であった。

 よくよく憲法の条文を見てみると「健康で文化的な」とある。健康と文化は並列ではない。健康を基礎として文化的な生活をすることになる。
 国語の授業ではないが、「最低限度の健康」という概念は存在しない。健康は大前提なのである。

基本ルールの再考

 現在の「健康で文化的な生活をしながら節約をする」を再度考えてみたい。

 健康を心身ととらえると、文化的な生活はそもそも健康の一部でもある。最近では、文化的な活動が健康に影響するのだということが言われいて、「文化的処方」という概念すらある。

 ということは、文化を極端に強調しなくてもよいかもしれない。

 また、健康の概念は体だけではなく心にもあった。もっと幅広く言うなら、有名なWHO憲章では社会的に満たされることも含んでいる。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。

https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/ 2024.6.14閲覧

 実のところ、WHOでは健康概念について議論がされることがあって、肉体、精神、社会だけでないものにも広げる動きがないわけでもない(まとまっていないのは、そんなこと議論している場合ではないという意見に押されているらしい)。

 社会的に満たされていない状態はぱっと見、引きこもりが当てはまるかもしれない。もっと気楽に交友関係や仕事関係としてもよいのかもしれない。
 そうすると、WHO的に健康が守られている人の方が少ない気がする。

 今回、節約のためのルールの再考するにあたって、WHO憲章を基本に考えると、次のようなものになる。

「肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をする」

 今までの、最低限守ろうというよりも、理想を目指す攻めた内容になる。まだしっくり感はないけれども、明日から上記のルールを冒頭にあげてみたい。

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