【節約生活#502】時間の節約と心の穏やかさ
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康的で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦している。
無限に時間があると思っているひとたち
時間は有限である。そのことはもしかしたら、節約生活を始めてから意識するようになったかもしれない。
節約を継続する仕組みとして毎朝noteをまとめることにしている。一日のはじめに節約のことを考えることで、節約行動を意識化させている。毎朝なら習慣化もする。
今日は暑さで布団の上でだらだらしてしまったけれども、たいてい4時には目が覚めている。
早朝から行動するとなると、当然夜は早く寝なければならない。となると、仕事も早く終え、帰宅後のルーティーンも早々に床につくことを目指している。
寝る時間が決まっていることで、一日の時間の使い方は計画的になった。時間も節約していることになる。
もちろん敵は多い。
最近はzoomで会議ができることになったので、夜中まで会議をしているところが多い。かつては終電になった人から帰るという異常な会議があった。今はネットが繋がっているので延々と続けているらしい。
おそらく彼らは無限に時間があると思っているのだろう。
正直怒りを覚える。昨日は会議予定がはじめから21時をまわっていた。もちろん21時で退室している。怒りを覚えるが彼らの気持ちもわかる部分がある。身体を壊す前の自分も、かつては同じであったからだ。
やらなければいけないことがある。だから、やる。
そういう狭い視野で思い込んでいた。だから苦しい思いをしても徹夜で仕事をする。当然作業は遅くなり、ミスも繰り返す。そして仕事の多くはミスの尻拭いになってしまう。
鬱傾向も強くなり、自尊感情も低くなる。
そもそも仕事のできる量は決まっている。そして、時間にも限りがある。その視点に立つと、本当にやらなければならないことに集中をすることができる。
だいたい、長時間会議をしている人たちは注意が散漫になって、やらなくてもよいことに拘泥してしまっている。夜に起きていても何もよいことがない。
時間の節約
かつては長時間労働が美徳であった。
それは、働き方が工場的で時間と結果が直線的に結びつくからであった。
この考え方に囚われてしまったために、日本が経済的に取り残されたという人もいる。
時間は有限である。
自分の能力を活かせる時間も有限である。
大事な時間を過ごすために計画的に生活をしない。また、不要な時間を減らしていきたいと昨夜は強く感じた。
心穏やかでない時間
今回の件で不要な時間ももうひとつある。
それは、昨夜の会議に参加せざるを得なかったことと、周囲の時間や人生を大事にしない態度への怒りで心がざわつく時間の存在である。
心穏やかでない時間のまま過ごすことは、時間の上手な使い方とは言えない。
なにかに集中するにも、よいアイディアを出したり、新しい行動をとるにも、誰かとコミュニケーションをとるにしても、心の不安定さは害になる。
心穏やかでない時間も、多くの場合は不要である。それを意識するために、今日はnoteに記録する。
最近は活動をする前に瞑想をしている。瞑想の時間は無駄にはならない。確かに集中力が増す。
認知症関連にバリデーション療法というものがある。詳細は省くけれども、認知症のひとと話す際に、精神を集中させるために瞑想や深呼吸をすることになっている。
別に相手が認知症でなくても人でなくても、精神を集中することは心身にとってよい。
どんな状況であってもできるだけ自分の人生にとってよいことをしたい。よい時間を過ごすためには瞑想は効果がある。最近そんなことを感じている。
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