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【節約生活#712】気づくことの難しさ

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をするというルールで挑戦中。
(2024,6.15更新 それまでは「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というルール)

気づくこと

 昨日、仕事の延長で出かけて、久しぶりに会うひとと話をしていた。気づいた点についていくつか話をしていたら、それくらいならば相手側でもできるという反応が返ってきた。

 それはそうであるが、相手は気づいていなかった。子どもっぽく、気づいてなかったじゃん、と思ってしまったが、気づくことはそもそも難しい。
 なくて七癖だとか、岡目八目だとかいうことわざがあるくらい、自分のことや身の回りのことは気づきにくいものである。

 気づけば対策や対応ができる。気づかなければスルーされる。
 気づくことは簡単ではなく、それだけに価値がある。

 節約も同様の点がある。
 自分にとって浪費になる支出に気づかなければ対策がとれない。浪費の割合も気づかなければどんどんと増えてしまう。
 自分にとって大事なものが何かに気づかなければ、無駄なものが何であるかも分からないままになってしまう。

感度を上げる

 気づくことは鍛えられるのだろうか。
 下手をすれば病気になってことすら気づかないことがある。人間は不調にすら気づけない。
 そうかと思えばちょっとしたことで病院に行く人もいる。少しの不調を大きくとらえるのだろう。

 自分の生き方について鈍感な人がいる。かと思えば、丁寧な暮らしをする人や、キャリアを計画的に積み上げていく人もいる。 

 気づきは、フォーカスの当て方かもしれない。この2年半ほど節約にフォーカスを当てて暮らしてきた。以前の自分からすると無駄なお金の使い方には気づける機会が増えた印象がある。
 節約の感度をあげて生活をしていくと、無駄なものに気づきやすくなる。そしてその不快な感覚に敏感になってくると節約がすすむのであろう。
 また、節約がしにくい生活環境にも気づきやすくなってきた。自分の場合、疲労をしていたり、片付いていないノイズまみれであったりすると、お酒や外食に手を出しやすい。

 そうやって生活環境から改善していった。健全な節約生活のサイクルができていったことは喜ばしいことである。

自分に目を向ける

 きっかけは、気づけば何かしら良いことができるだろうという発想であった。対策自体は、なんだそんなこと思うことの方が多い。気がつかないからそのままになっているのである。

 節約の分野でも、自分が何にお金を使っているのか、今月は先月と何が違うのか、なぜ違うのかということまで把握している人は少ない。
 自分の内面や身の回りに目を向けることで、節約のとっかかりに気がつける。

 というわけで、午後は出かけて自分の考えていることを整理しようと考えている。

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