【節約生活#534】料理をしたくなるまではズボラ飯を続ける
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康的で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦している。
丁寧な生活への憧れと現実
丁寧な生活だとか丁寧なくらしということばに目が行くようになったのは節約生活をしはじめてからのことであった。
節約生活に挑戦をすることで、自分の生活に着目しはじめたからなのかもしれない。
いつからある言葉なのかわからない。ただ、最近増えているのだという記事も見かけた。流行なのだろうか。
丁寧な生活や暮らしには憧れがある。
スローで、ゆとりがあり、生活のすみずみまで考え抜かれている。居心地がよく、満足感も高い。ほとんど芸術的な磨かれた生活である。
ただ、やってみるとなかなか続かない。気の済むまで掃除をしたり、食事をちょっとお洒落に盛り付けてみたりして楽しむのは一時的で、毎日にはならない。
特に料理などは手をかけないズボラ飯についついしてしまう。むしろ寸胴鍋などは手を抜く目的で購入したものである。
冬など、肉と野菜と煮込んでそれで数日を過ごしている。美味しくて節約にもなるので重宝する。節約生活をはじめてから買って良かったもののトップに入る料理器具だ。
子どものころ、毎日英語を勉強するぞと思っても、1日と続いたことがなかった。大人になってもその習性は変わらないのだろう。
むしろこの1年で手抜きの腕はあがったかもしれない。
ズボラ万歳
生活を楽にという意味では、丁寧な手法と正反対であるけれども、ズボラも効果がある。
丁寧な手法は、手をかけることで生活そのものを楽しみ尽くす。逆にズボラな手法は、ひたすら手を抜くことで心身の負荷を減らしていく。
個人的にはどちらも捨てがたい。どちらかに特化すると極端で面白い気がするけれども、そこまで腹をくくれない。現在のところ丁寧2:ズボラ8くらいの割合かもしれない。
手抜きの腕はあがった気がしていはする。一度まとめておくのも良いかもしれない。
したくなるまで待つ
丁寧な生活や暮らしに憧れがある。
ただ、無理に丁寧にしようとすると、心理的なハードルがあがってしまう。
そういうわけで、最近はしたくなるまで待つことにしている。
例えば、今年は異様に熱くて、料理もほとんどしたくなかった。最近はご飯を炊くのも少なく、そうめんやうどんで誤魔化していた。野菜や肉はなんとなくめんつゆに煮込んでささっと消費していた。
一昨日なんとなくパスタを作りたくなった。スーパーの売り場を眺めるとトマト缶が安くてついつい手にとってしまった。玉ねぎは自宅にあったので、パスタソースを煮込むことにした。バジルなどのスパイスもあったので、ゆっくり煮込みながら料理の時間を楽しむことができた。
きっと、腕まくりをしながら今日は少し本格的に作るぞと意気込んだら楽しむことはできなかっただろう。
週にまだ1度か2度くらいしか「丁寧に」やろうと思えることはない。むしろちょっとした非日常である。ただ、心の余裕をもって楽しむためには、したくなるまで待つという方法が良いように考えている。
それまではひたすら手を抜きたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?