音楽履歴書、そのに

こんばんは、merです。

今日は音楽履歴書の第2弾です。


②小学2年生

ここでわたしが実際にちゃんと音楽を始めるという人生のターニングポイントが来ます

この春に引っ越しをして、そのとき母が言ったんです

何かひとつだけ習いごとをしていいよ、と

そのころ実家には母が小さい頃にやっていたエレクトーンと、音楽活動をするのに使っていたであろう電子ピアノがあって、たぶんわたしはそれをなんとなーく触ったりしていたんだろうけど、まあきっとやってみたかったんでしょうね。あと他に何も思いつかなかったんでしょうね。

ピアノがやりたいと言ったわたしのために、母はわたしを通わせていた学童保育のツテをたどって、教室を見つけてきました。よくある最大手の音楽教室には母自身あまりよくない思い出があったらしく、小さな個人教室にわたしを連れて行きました。

それがわたしの音楽とのちゃんとした出会い、そして15年にも及ぶピアノ人生始まりでした。(実際にはそんな大袈裟なことではないしそんなしっかりやっていたわけでもない)

今になって思うのは、すごく素敵な教室に通わせてもらっていたなあということでした。わたしは真面目な人間ではないので、練習もまともにしていかなくて、非常に面倒な生徒だったと思うのですが、練習も教室でさせてくれて、それを怒ることも一度もなかった。家にやっすい電子ピアノしかないことをとやかく言うこともなく、むしろヘッドホン付けたらいつでも練習できるからいいね、お家に電子ピアノしかなくてもたくさん練習して上手になって音大を出た生徒さんもいるから大丈夫よと言ってくれる人だった。

ピアノ教室での大きな思い出はもう一度、このあと10年後くらいに訪れるのですが、それはまたそのとき書こうかなと思っています。

なんの意地か分からないけどピアノは本当にクラシックしかやってこなくて、それも華やかな曲より暗い曲の方が好きで、ショパンとかリストとかラフマとかを好んで聞くようなちょっとやばい嗜好をしております。モーツァルトもハイドンも練習で仕方なくやったけどね。自分が弾いた中でいちばんすきなのはベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章、のだめカンタービレでも有名なアレです。中学生のときに結構難しいけどあなたなら頑張ったらできると思いますよ、と言われて発表会でも弾いた思い出の曲です。

そのころはまだJPOPやロックは知りもしなくて、家にあるCDラジカセでオムニバスのアルバムをずっと聞いていました。CDラジカセって今となってはやばく古いね。そのアルバムに入っていたリチャード・グレイダーマンの「渚のアデリーヌ」、フランツ・リストの「愛の夢」(これはフジ子・ヘミングが弾いてるやつで本当に好き)は今でもお気に入りの曲です。

ピアノのことはもうまとめて書いちゃおうと思うんですが、クラシック以外だと高校2年のときに学校の合唱コンクールで伴奏を務めた森山直太朗の「虹」という合唱曲がすごく思い出に残っています。ピアノも結構難しいんだけど歌も結構やばいやつです。なんといってもソロがある。あとは詩に曲をつけたような感じの曲で緩急がすごい。とても美しい曲調で歌詞も綺麗で素敵な曲なのでみなさんにもぜひ一度聞いてみて欲しいです。これの練習のときにもピアノの先生にはすごくお世話になって、かーなーり難しい曲だったんですけど、普段のわたしからは考えられないくらい真面目に練習をして(期限が決まっていてちゃんと発表する場があれば頑張っちゃうタイプ)、その合唱コンクールで1位を獲得した、思い出に残っている曲です。

ピアノは上手いかどうかは別として年数だけは一丁前にやってきたので好きな曲もたくさんあるんですがいかんせんもう弾けないです。またやってみたいなあとは思うけどね。不真面目根性が全く治っていないので弾けるようにもならないかもしれないけど。


以上がわたしの音楽の始まり、ピアノとの出会い、そして思い出でした。書いていくとあれよあれよという間にどんどん言葉が湧いてきて長くなってしまう、悪い癖なんですよね。

第3弾ではこれもかなりのターニングポイントであるブラスバンドとの出会いについて語っていこうと思っています。ピアノを始めてわずか1年後のお話です。

長々と読んでくれてありがとうございました。それではまた。


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