「みんな自分が分からない」ハリウッド版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が金ジャブジャブで面白かった。
そもそもタチコマがいないなど、「そこカットするんかい」と原作ファンほど何か言いたくなるハリウッド版「攻殻機動隊」。一方「そのシーン実写化したかったんやな…」と作り手の原作好きな箇所も見えて愛憎半端ない。
色々コンパクトにまとめるため、原作のゴースト、「人とは何か?」といった哲学的は話は「自分は誰か?」という話に置き換わってる。主人公は偽の記憶を上書きされており、オリジナルの記憶を探す話になってる。
「ゴーストってなんだよ。これどう表現すんのよ」という命題に対し、非常に割り切って分かりやすく作っている点はさすがハリウッド。A≠A=Aという矛盾を提示していた原作に比べ、1+1=2くらいシンプルで明快だ。
この攻殻機動隊の「自分とは何か?」について、マンガ表現論「テヅカ・イズ・デッド」で紹介されていた「漫画においてキャラクターが「立つ」とはどういうことか(宮本大人)」の次の部分を思い出した。
宮本はキャラクターが「立つ」ための要素を6つ挙げている。
独自性、自立性、可変性、多面性、不透明性、内面の重層性
特に面白いのは次に紹介する「内面の重層性」だ。
自分自信にもよく見えない、上手くコントロールできない不透明さが、自分の中にあると意識されていること。「自分とは何か」を、自分に向かって、問うような意識、すなわち「近代的な自我意識」が成立していること。
つまりキャラクターは「自分が何者かわかってない」方が良い。そう考えると思い当たる作品は一杯ある。なぜこれが良いかというと、読者も私も自分が何者かなんて同じくわからないので、自己投影しやすい謎になるから。
だから診断コンテンツもウケやすいし、映画でも繰り返し使われている。ジャッキーチェンの映画『WHO AM I?』なんて題名自体が「私は誰?」だ。
攻殻機動隊のテーマ「人とは何か?」がハリウッド版では「私は誰?」にすり替わったのはそんな背景もあるだろう。しかし脳をジャックされて記憶を上書きされたという要素によって、なんとかオリジナルとの妥協案を見つけようとしている。このあたりは作り手の苦悩が見えて面白い。
「とにかく分かりやすく作れ」というハリウッドの世界で、「とにかく難解な攻殻機動隊」を作れと言われたら大抵の監督は逃げ出すのではないか。そこを踏み込んで、金ジャブジャブの豪華CGで挑んだのは素晴らしい。そして実際に素晴らしいシーンも多かった。個人的には芸者ロボが大好き。
余談だがこちらは先週の金曜に、カヤックとLINEのタイムライン用に作った乙女ゲーム風診断コンテンツ「LINEタイムライン診断」。これも「自分は誰?」コンテンツになるのだろうか。もう数万ほどシェアされているが、
でみんなの結果をみながら、あらためて「自分は誰か?」と「内面の重層性」がコンテンツで大切なのを思い知った。
話を戻すと、ハリウッド版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が良いのは、いかに原作とアニメ版が素晴らしかったか、ということが改めてわかる作品であること。おすすめです。
オリジナルが良かったのは、「私は誰?」を超えて、さらなる深い命題に向かっていったところだった。新作もでるっていうし策士ですね。楽しみ。
■関連リンク
・映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
・テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
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