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「貴種流離譚の拒絶」スターウォーズ/最後のジェダイが酷評と絶賛に二極化する理由

「スターウォーズ/最後のジェダイ」を見た人の反応が、米国でも日本でも酷評と絶賛に二極化しているという。酷評派の意見では「スターウォーズの世界観、設定をぶち壊した」というコメントが多い。

ただこれはあえてぶち壊しにいってるのは映画を見れば明白であり、「これまでの世界観をループすべし!」という人が酷評するのは予め想定していたはずだ。じゃあなぜ評価の二極化が予想できたのに製作したのか?

その原点は、本作の監督・脚本を務めたライアン・ジョンソンの映画作品「ルーパー」にあると思う。

※以降、ルーパーとスターウォーズのネタバレ含みます。

映画「ルーパー」は、ループする人生を送ることを義務づけられている主人公が、自分のループを否定する行動をとるまでの物語だ。

そしてスターウォーズもその世界観をループすることを期待され、ある意味義務付けられている作品だ。

ルーパーには随所にスターウォーズ好きだというのがバレバレな要素が盛り込まれ、浮遊バイクや、TK能力というフォースと近い能力や、アナキン・スカイウォーカーと近い運命をもつ少年が出てくる。

ライアン・ジョンソン自身、自分がスターウォーズの監督に抜擢されるなんて夢にも思ってなかったとインタビューで述べているが、スターウォーズのプロデュース側は、この「ルーパー」にスターウォーズの未来を見て、脚本と監督をオファーしたのだと思う。

元々プロデュース側としては、スターウォーズという物語の骨格となっている「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」を新シリーズでどうすべきかに頭を悩ませていたはずだ。

というか、大なり小なり物語の作り手ならば誰でもこの「貴種流離譚」とどう折り合いをつけるか、アップデートするかに悩まされる。

「貴種流離譚」は物語の黄金パターンであり、その名前のとおり、英雄の血を引き継ぐ少年が様々な国を放浪し、やがて悪を倒して王国を引き継ぐという物語のテンプレートで、初回のスターウォーズが参考にした「千の顔をもつ英雄」にも詳細に描かれている。

この本は神話のパターンを研究したもので、各国の神話や伝説や歴史の中で描かれる英雄が、いずれも似通っているということを研究・解説している。「貴種流離譚」は英雄物語の典型的なパターンだ。

日本だと源義経の人生が典型で、父親を平家に殺され、源氏の血を引き継ぐ少年が、各地を放浪して修行し青年となって平家を倒す。

ある意味和製スターウォーズな人生だけど、ルーク・スカイウォーカーの人生と義経の人生が似ているのは偶然ではない。人気となる英雄物語のパターンが決まっているから似ていて当然なのだ。

だけどこの「貴種流離譚」は散々やりつくされている上に時代が古くなっている。特にこれからの時代、個人が観客であることに飽き足らず、ネットを通じて自分が主役となろうとする時代に、「主役は英雄の血をもつ人だけ」だと古臭く見えてしまう。

そこで「スターウォーズ/最後のジェダイ」ではこれまでの物語のコンセプトを否定し(ジェダイの本を焼くシーンが象徴的)、「誰でも英雄になれる」という新しいコンセプトを打ち出した。

それは主人公のレイの親が英雄でもなんでもない、たんなる飲んだくれだったということや、ルークによるフォースの解説で、フォースはジェダイのみが持つものではなく、世界に溢れている「つなげる力」であり、誰にだってそれを取り出せる可能性があると示唆していることなど、随所で見られる。

つまり「主役は英雄の血をもつ人だけ」という古いコンセプトが好きな人は本作を酷評し、「誰でも英雄になれる」という新しいコンセプトに共感する人は絶賛するということだ。

コンセプトを変更する時点で酷評は予想していたはずだから、本作は成功だと思う。私は絶賛派です。単純に面白かったし。
映画「ルーパー」も面白いのでオススメ!


あと個人的に興味を持ったのは、日本のチャンバラ劇をオマージュした殺陣もそうだけど、「フォースとは何か?」について禅問答からネタをとっていると思う箇所があった。これは話題がマニアックなので興味ある方だけに。

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