見出し画像

舞台「SHAPE」 備忘録

2022/06/19  マチソワ
舞台「SHAPE」 @新宿シアターモリエール

※いつまで経ってもまとまらない私の思考を無理やりまとめようとしてるので最初から最後まで支離滅裂です。
※時系列があちこちに飛ぶので見た人向け。
※読み返したらポエミーすぎて笑ったけど、前川さんのオタクなのでしゃーないよね☆

前情報を一切入れずに、カンフェティのあらすじだけ読んで公演に入りました。

初見後の第一声は「共同幻想ユートピア……?」
1人で生きるにはこの世は酷だから同じ夢を見ようとしたんでしょう?宝物を閉じ込めるみたいに。
別作品を持ってくるなという話ですが、すみません。工藤ファルスが脳内で歌い出しちゃって……
フォロワーさんがライネス流れてたって言ってた意味がめちゃくちゃ分かった。なんなら私がライネス歌ったろか?という気持ち。
正確に言うとファルスが作り上げた擬似クランとは真逆で、周りが高村浩という男のために作り上げた理想郷ですね。
それを優しさと呼ぶなら、あまりにも残酷で救いようがない。

真綿で首を絞めるみたいに優しく、確実にじわじわ侵されていくような感覚。そこに居る全員が緩やかに狂っていく。狂っている自覚なんて無いんだろうけど。
街の人達は本当に優しいんだと思う。
ただ、優しいことと正しいことはイコールにはならないだけ。

その中で、佐藤ひとりだけが「まとも」だった。
わりと序盤から佐藤は高村に対する嫌悪を隠してないんだよなぁ。
でも本人の前ではニコニコと穏やかに対応をしている。
だから、高村の見る幻であるはずの雪は「みんな優しい」と称する。人は見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞こえないから、高村の目には優しい人に見えてるだけ。

佐藤の言葉を使うなら一緒に狂って、まともでなくなれば、もしかしたら彼自身も楽だったのかもしれない。周りに合わせて流される人生のほうが絶対に楽だし。
それでも彼はずっと「まとも」であり続けた。
自分自身のエゴのために。佐藤もきっと、見たいものしか見ようとしてなかったから。
物語と全然関係ないけど、佐藤さんが男性看護師なのも、白衣じゃなくてポロシャツで働いてるのも、超リアルだなって思った。

坂本くんの「今回の子は統合失調だっけ?」というセリフから察するに今までも患者はたくさんこの街に来てはいたんだと思う。
崇さんの喫茶店に客が居ないのは、外部の人間をなるべく入れないようにしてたから?
だとすれば、それも崇さんの優しさなのかもしれない。

ミカさんバイト出来るくらいだから、この街に来た時点で生活に支障は出ないくらいの状態まで回復してたのかなぁ。グループホーム的なとこに入って、津田先生のところに通院してる感じかなって勝手に解釈してる。入院って言ってたっけ?
まぁフィクションだしそこはご愛嬌ってことで。
統合失調なら幻覚も幻聴も独語も普通のことだから、あの街に就労支援施設とかがあると考えれば、街の人たちもきっと「そういうものだ」と受け入れやすかったのかもしれない。

ただ、正直見えないものを見えるように扱うのは精神的にもかなりキツい。
そういえば昔、認知症の人と関わった時「その人には見えているもの、聞こえていること、たとえそれが幻覚だったとしても、それはその人の事実だよ。」と言われたことを思い出した。
そうは言っても自分には見えないものや現実にはありえない事を話を続けられるのはやっぱり精神にくるものです。自分には見えていないのだから、否定したくなる。でもそれではお互いが衝突してしまうだけ。
でもその先生は私に「肯定も否定もしなくていい。あなたにはそう見えているんですね、で良いんだよ。」とも教えてくれた。自分が受容されたと感じると、人は安心するものだから。

あの街のひとたちは無いものをあると肯定してしまった。それはとっても残酷な優しさなんだと思う。
でも、真実を知ってしまうことで大切な人が壊れてしまうかもしれないのなら私もきっと迷わずこの選択肢を選ぶんだろうな。

6年もの間、人形を娘だと言う彼と付き合い、人形に話しかけ続けるのはきっと周りの心もすり減らし続けてた。
だから津田先生は高村の新しい「心の拠り所」を探そうとしてたのかも。

ミカが真実を知ってしまった時、ユイは何を思って雪が人形であることを認めたんだろう。
彼女の心も人知れずもう限界だったのかもしれない。

真実を本人に伝えようと思わなかったのかというミカの言葉に視線を逡巡させる坂本は、頭では今のままではダメだと分かっていても変化を拒んでいたようにも見えた。

そんなミカを追い出した崇さんは、ただ純粋に高村を守りたかっただけ。その選択はたとえ正しくはなくても、間違ってもいないはず。

正解のない中で何が最適解なのかを決めるのは、きっと本人でしかないから。

見終わってからインタビューと初日に公開されたネット記事のコメントを読みました。
どうやらこれは「究極の愛の話」らしい。
じゃあその愛って誰から誰に向けてなの?というのが私の正直な感想。
高村さんから娘の雪ちゃんに向けて?
きっとそれはひとつの正解だと思う。救えなかった自分の娘への後悔と贖罪。幻でも隣にいて欲しいと願う自分の深層心理が生み出したもの。

でも、津田先生はその幻を「都合よく作り出した妄想」だと切り捨てる。
津田先生の立ち位置が分からない。配信とかで見直しながら咀嚼すればまた見方も変わるかなぁ。配信見て考えが変わったらまた書くかも。

物語の中で津田先生や高村やミカが何度も口にする「許す」という言葉。どちらかと言えば「赦す」という字のほうが正しいのかな?

赦すことは、言い換えれば愛すことなんだと思う
ぐるぐると何度も考えてみたけれど、やっぱり私にはこの物語が自分自身に向けられた愛情とエゴイズムの塊に見えてしまった。

ところで、この物語はどこからが幻で、どこからが現実だったんだろう。
私たちにはずっと雪の姿が見えて、雪の声も聞こえてる。
これは高村さんから見えていた景色だとするならば、見ていたものすべてを疑ってかかってしまう。

たとえば雪が投げかける「どうして雪にはママが居ないの?」という言葉。
見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞こえないなら、自分自身に向けられた言葉を雪へと向けた言葉に置き換えてたっておかしくはないのでは?
あそこで泣いていたのは高村浩自身だったのかもしれない。
あいつはバカだと罵った人たちも、同じ街の住人のはず。それならあの街は全員が全員優しいとは限らない。少なくとも彼にとって優しい街を作るには十分な環境ではあったんだろうけど。
そう思うと「雪を傷つけないで」と叫ぶ高村さんの姿が痛々しくて苦しかった。
雪は自分の作りだした幻覚で深層心理だったなら、雪を庇うことは自分を庇うことでもあったはずだから。

本物のミカは彼のためを思って、崇さんに言われるがままに街を離れる選択をした。
でも、その時点で心の拠り所はもう雪からミカに変わってた。だいぶ前から雪が教えてくれてたけど本人は見て見ぬふりをしていただけ。
ここで本物のミカが寄り添うという道を選んでいたら、もしかしたらまた違う結末だったのかもしれない。
彼女は最後津田先生の言葉を「高村さんは大切な人を見つけて幸せに暮らしている」と解釈する。
まさか自分の幻と生きてるなんて夢にも思わずに、彼を置いて現実へ戻っていく。
「君は知らなかったのだから、悪くない。」
悪くないけど、全てを見ている私たちからすれば、後味の悪い話だ。
彼女は結局あの街の外から来た人以外の何者にもなり得なかった。

確かにあの街の人たちはみんな優しい。
真実を知ることは本人が傷つくことだから。でも同時にそれを伝えた自分も辛くて痛くて苦しいこと。
この街の人は優しいから、他人が傷つくことも、自分が傷つくことも恐れてる。

今まで虚像の世界はこの街だったのが、「家」という狭い箱庭にすり変わっただけ。
津田先生の言うように本質はひとつも変わってない。
それでも、ままごとみたいな虚像の世界で生きてるその人が幸せそうに笑うなら、本人がそれを望むなら、その世界を壊すことを正しいことだと私は思えない。
これもすべて相手のための優しさという笠を着た、ただのエゴなのかもしれない。

首が落ちて鈍い音を立てるあの瞬間、その箱庭の異常さに気づくのはきっと現実に引き戻されてしまった私たちだけ。
残酷だと思うのも、私たちだけ。

最後まで真面目に書こうと思ったけどやっぱ無理だから叫んでいい?
マジ人の心が無い。最後電話が鳴ってから、全てが明かされていくあの瞬間がホラーよりホラーだもんね。
前向きなハートフルストーリーだと思ってた私の涙返してくれ。
とはいえ正直なとこ、こういう話大好物だったりするのでとても良いものを見た!!と思っています。
天才磯貝龍乎の手のひらで転がされて楽しかったなぁ。

DVDにならないのが残念ですが、あのキャパであの規模だったからこそ伝わる熱量があるのも確かなので本当に見に行けてよかった。
あの狭い閉塞感も含めてあの作品の空気感だったんだなぁと思います。


おわり!

この記事が参加している募集

#舞台感想

5,912件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?