見出し画像

展覧会 ブルーナ絵本展

こちらも日常に浸透しすぎていますね。
けれど、やっぱり原画を見てみると、また読む姿勢が変化しました。

昨日までだったんですけれどね。
またどこかで巡回するのかなぁ、とも思いつつ。
原画を見た時の感想は、
え?これが原画?どうやって描いてんの??
というのが正直なところ。
だって、線がキレイでブレがないというかな。
手描きされている作家さんの原画とかだと、アナログな修正が施されてたり下書きの線が見えたり、鉛筆で線を書いてから着色、とか、あるんですが、まぁ修正は多少あったとはいえ、その修正でさえも、これ修正?それともわざと?って思ってしまう、なんかやっぱりデザイン的、グラッフィック的なんでしょうか。
3分ほどの映像があって、そこにちょっとだけご本人が描いている様子があったのですが、すんごい根気よく描いてるんだなぁ、というのが見て取れました。
だからこそ、こういう線になるのか。集中力すごいな。私無理だわ。という安定のド素人な感想を抱きつつ。
原画ってやっぱり面白いなぁ、と思いましたね。
個性が垣間見ることができる。
けれど、やはり絵本にクローズされていたので、内容的には物足りなかったかな。
と思いつつ、なんとなくにカタログを購入。
これが、物足りなさを補足してくれた感じがあります。
あのシンプルな絵に至るまでのスケッチが載ってたんです。
『多くの試行錯誤を経て絵本の構図や形に辿り着きました』という言葉に、なるほど納得。そりゃ、パッとで描けるわけないか。
「シンプルを追い求めるのは、デザイン的な美しさということだけではなく、そこにイマジネーションの余地を残したいから」
この言葉が、とても響きましたね。
現代、なにもかもぎゅうぎゅうづめなこの国において、ミッフィーが広く受け入れられ続けているのは、その余地、余白ともいうのかな、それを感じたいから、というのもあったりするのかな、とか。
私はニュータウンの団地育ちなんですが、棟と棟との間に余白的な空間が結構あったんですよね。ニュータウンって理想が詰められたまちづくりでもあったんです。
一昔前はそうだったのかな、って思います。今は、まず利益ありきのまちづくり。せせこましく建て替えられた空間に、そう感じます。
だからこそ、ブルーナさんがいう、「イマジネーションの余地」を感じられる彼の絵本は、そのキャラクターのかわいさも相まって、愛され続けるのかな。
余地ってとても大事です。
どんなことにおいても。
体力においても、メンタルにおいても。
100%出し切るのがいいとは私は思いません。出し切る時は、死ぬか生きるかの時だけでいいと思います。
ね、展覧会へ行っただけで、ここまで考えちゃって、しかも、また彼の絵本をひらけたときに、余地にこめられた想いを感じとることができる。やっぱり、知る触れる、ということはとても大事だな、って思います。
(次は仙台で8月にあるようです◎)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?