雑誌 ユリイカ総特集マヒトゥ・ザ・ピーポー

SNSで雑誌が出るとは知っていたけれど、いつ発売だろう、とか思っていたら忘れてしまっていたパターンで、先日、家の鍵を忘れて時間を潰さねばならず、その時に寄った本屋で偶然発見、すぐ買いました。
ユリイカのこの手は文字多めで若干苦手なんですが(雑誌には視覚的なものを求めている部分があるのかもしれません、私。)、今回は知っている人多めだったので、難なく読んで、気づいたら2時間ほど経っていました。
そんなに文字に集中することもなかったので、びっくりですし、そして、面白かった。そう感じるのは、彼に惹かれているから、という理由以外ないんでしょうけれど。興味のない人はまぁ当然の如く、ふーん、で終わるのかもしれません。
けれどこの雑誌で、果たして彼がどんな音を奏でるのか、と思い食いつく人もいるかもしれないし。
今、この時に総特集を組むユリイカやるなぁ、と勝手に思ってます。
最近、めっきり雑誌に、おっ、って思うことが減ってしまってるので。やっぱり嬉しいですね。
そして、中身。は、もうそれぞれ感じ取ることが違うんだろうな、って思いつつ、ちょうど、つまみ読みしている平良さんとばななさん共著のホ・オポノポノの本にある『インナーチャイルド』というワードがポッと浮かんできました。
彼は至極そのチャイルドの子供の声を無意識に聞いてるんだろうな、って。
フジロックの件しかり。
どこかしっくりこないものを受け入れない、というかな。
そうして、そのインナーチャイルドを捉える内情?っていうのは、自分とどれくらい距離を取れているのか、客観的に、とはまた違うんですよね、自分という存在に対してどこか常に疑問というかちょっと距離のある人ほどインナーチャイルドの声を聞き取りやすいのかもな、って思います。
自分が異端と感じながらも、様々な人と交流が持てているのは閉じてないから。そこは、本当にすごいことだと思います。やはり心が閉じたり、他者に対して疑心暗鬼だと、そこまで広がれないんですよね。まさに自分がそうだから、余計にすごいなぁ、ってシンプルに思うわけですが。
彼が生い立ちを話さない、という姿勢に、ふと、昔の友達のことを思い出しました。「私はずっとこの(心の)傷を抱えて生きていくねん」って、そのコは言ってて、その時は理解できなかったんですよね。けれど、その傷があるからこそ、否が応でも自分の心と向き合う機会を設けなければならない、そうすることで生み出されるもの気付くもの、鈍感ではいたくない、そういう意味があったのかな、って。
傷が癒えると、正直、自分に鈍感になる部分もあると思って。それが生きやすくなるってことでもあるんですけれど、別に生きやすくならなくてもいい、向き合って生きていく。彼女が制作をしていた、というのもあるのかもしれません。
まぁ傷はいつの間にか治ってたりもするし、治ったと思っていてもまた裂けたり、様々なんですが。
まぁなんだか、その、ピーポーの大阪時代がまさにそのコと過ごした時と前後し重なる部分が多くて。
あの頃は自分もものすごくもがいていた時期なので、記憶が引っ張り出されてきましたね。
そんな自分の話が長くなってしまいましたが、、、
本人へのインタビュー記事の中で、友川さんから言われたという言葉。
もうめちゃんこ痺れましたね。
「お前の音楽はお前が放った後、もうお前のもんじゃないんだよ」
この言葉は音楽以外でもアートでも言えることかと思います。
「GEZANの音楽は空虚から花を掴み取ろうとしている」
すごい核心をついてるな、それを大阪時代のステージで言ったのか、すごいな友川さん。(いや、その時に生で拝見したことはなかったのですが。てか、まだ一度もライブ行けてないな。。けれど、それでもこれだけアツく感じることができる存在はほんといませんね。)
「マイクをくわえて倒れているお前自身も詩だったよ」
もう最高じゃないですか、そこに詩を感じ取ってもらえたら。
すごいな、って思いました。
そうして、ご本人が話されている中で、
『わからないものが表現の前を行き、自分自身ですらそれを追いかけていくという順番は、極めて重要だと思う』
それこそが、彼を面白い、と思わせる所以だろうと思います。
いや、本当に、魅力たくさん詰まってます!
ぜひ、お手に取って読んでいただきたい一冊です。

これを読んで、前に書いた絵本の捉え方も変わったりして、また気が向いたら書き直そうかな、って思ってます。

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