自殺企画者への身体拘束はやめるべきと個人的に思う。イタリア見習って精神病院を廃止すべき。死ぬ権利ALS嘱託殺人と尊厳死安楽死の選択肢の必要性について。

自殺企画者への身体拘束はやめるべきと個人的に思う。イタリア見習って精神病院を廃止すべき。死ぬ権利ALS嘱託殺人と尊厳死安楽死の選択肢の必要性について。





精神科病院がなくなった国 イタリア

 イタリアには精神科病院がない。多くの人にとって、それは関心の無いことかもしれない。しかし、この事実は、世界一精神科病床の多い国「日本」にとっては、とても信じ難い事実でもある。「病院があることは、先進国として当たり前」「無ければ困る」という声が聞こえてきそうな話かもしれない。では、二国の現実にはどういう意味があるのだろう。
 「狂気」を巡る歴史の中で、多くの国では「家・地縁」から「隔離」、「隔離」から「共生(地域ケアシステム)」へと変遷を辿っている。イタリアにはマニュコミオと呼ばれる巨大な精神科病院がかつて多数存在し、ローマには欧州最大と言われた2,600人の患者を収容した病院もあった。しかし、あらゆる閉鎖収容所の歴史と同じく、人間を一つの所に閉じ込めるシステムでは、人権が保障されない状況が必ず発生し、マニュコミオにおいてもまた、屈辱的で人間の尊厳を奪う現実があった。しかし、イタリアはこの現実に目を向け、1970年代に脱精神科病院を掲げて政策転換し、1998年には全ての精神科病院が機能を停止した。つまり、世界で唯一、精神科病院が「過去になった国」となったのである。
 幻覚や妄想が主症状となる「統合失調症」は、100人に1人は発症する疾患である。この疾患は、家族や友人、地域社会といった生活環境によって悪化もすれば、改善もしてゆく。それは、脳機能への生物学的な治療だけでは解決できるものではなく、疾患の根本にある「人間的な苦悩」に対する人間的なかかわりや、社会的にその個人の存在が承認されることによって、改善されてゆくのである。ほとんどの先進国では、精神疾患のある人々を「隔離・収容」した歴史があり、その結果、この疾患を発症した人々の多くは何十年と施設に収容されていた。効果的な治療法の見つからない場合は病状が改善されず、人生の大半を閉鎖病棟で失うという、甚大な人権問題とも言える状況があった。多くの国では1960年代頃から「地域ケア」に舵を切り始め、今日では在宅ケアを軸に様々な地域ケアシステムが世界中で展開されている。
 イタリアの改革では、精神科医のフランコ・バザーリアが、北イタリアの小さな町、人口20万人のトリエステ県のマニュコミオの解体を始めたことに端を発している。後に「バザーリア改革」と呼ばれるようになった彼の改革は、「右手で病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」と言われる改革であり、78年に「180号法」といわれる改革法を成立させ、以後精神科病院の開設は禁止された。彼の改革の中心にある思想はフッサールやサルトルからの影響が大きく、「人は自分の狂気と共存でき、人生の主人公として生きることができる」という人間観による信念があった。

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展示されていた元入院患者のポートレイト。
「(閉鎖病棟で)鍵をかけられていた私」(向かって右)から、「(町で自分の部屋の)鍵を持つ私」(左)へ

 このトリエステでの先駆的取り組みを皮切りに、法整備と共に改革は全国に広がり、イタリア全土において単科の精神科病院は全て閉鎖した。かつて1,200床あった巨大なマニュコミオ「サン・ジョバンニ精神病院」は解体し、かつての病棟施設は、今や幼稚園や工業高校など、様々な事業に活用されている。
野いちごレストラン.jpg
美味しいピザが食べられる「野いちごレストラン」。社会協同組合が運営し、多様な人々が働いている。


共に暮らすために

 「隔離」という強制収容を手放した国は、それに代わるどのような道を選んだのであろうか。イタリアでは地域精神保健センターによる在宅ケアを中心としつつも、医療機関での強制入院は最小限存在している。しかし、「強制」はあくまでも例外的対応であり、人手、濃厚なコミュニケーション、対等な人間関係や連帯などによって、強制医療は最小化されている。
 筆者がアレッツォという町を訪れた際、バザーリアと同じく人間的な精神医療改革に取り組んできた精神科医のダルコ医師(精神保健センター長)は「人の痛みに応えることが、私たちの仕事です。そのためには、信頼関係が大切です。そして家庭に出向き、予防を重視します」と語った。幻聴や妄想があるとき、そこにあるのは単なる「疾患」ではなく、そこから生まれる人間関係の亀裂、失職、貧困といった「人生の苦悩」であり、その苦悩は社会的なものだ、だから社会的な解決が求められる、という。「我々は、言葉を失くした人たちの沈黙の翻訳者になることから始めなければならない」。これはダルコ医師が別れ際に、筆者らに語ってくれた言葉である。先の女性の二枚の写真に映し出されたものは、かつての非人間的な経験を示す表情であり、一方は、対話しようとする人々の中で人間的な経験を得たという表情なのかもしれない。


世界一精神科病床の多い国 日本

 一方わが国は、グラフが示す通り世界の潮流に逆らうかのように精神科病床を増やし続けてきた。敗戦後の「高度成長期」の影には、労働力の確保が優先され、労働力とならない多様な疾患や障害のある人々に対して「施設収容」を推進する施策がとられ、中でも精神疾患については、治安対策として本人の同意によらない強制入院が合法的に推進された歴史がある。

人口1000人あたり病床数.png

 特に1970年代以降、劣悪な閉鎖病棟内で発生する虐待事件が頻繁に報道され社会問題ともなり、WHO(世界保健機関)をはじめとする国連機関から度重なる指摘を受けることになる。しかしながら、抜本的な法改正がなされてきたとは言い難く、多くの病院が改善された一方で、虐待事件は未だ続いている。WHOが把握している世界の精神科病床の総数185万床の内、日本には約32万床のベッドがあり、世界全体の約5分の1のベッドが日本に存在していることになる(2001年時点)。近年「72,000人は、退院先さえあれば退院できる『社会的入院』である」と国は表明し、社会的入院の解消事業を推進している。
 私たちは、自身や家族が精神疾患に直面するときのために、あたりまえの人生を失わない医療、つまり人権保障に基づく医療システムを描いていく必要があるだろう。地域では精神科の診療所が増え、うつ病の定義が拡大したこともあり、メンタルヘルスは身近なものとなった。イタリアのような取り組みを日本にそのまま輸入することはできないが、同じ時代にすでに到達している町づくりと共生文化から、価値を学ぶことは可能である。すでに日本各地で、人間的なケアは長年挑戦され続け、発展してきた。だが、市民に知られ、理解が得られなければ、その芽に財源が注がれることはなく、枯れてしまう危うさも背中合わせと言えよう。人生が失われない町と文化を残せるか否かは、私たちの選択にかかっているのではないだろうか。



参考: 大熊一夫『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』岩波書店2009年

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2013/05/post-210.html
人権の潮流

精神科病院がなくなったイタリアから、何を学べるか

吉池 毅志(よしいけ たかし)
大阪人間科学大学社会福祉学科准教授



La liberta e terapeutica!(自由こそ治療だ)




急性期に入院し目が覚めたら快適な空間、目の前でカッコイイ女医が「大丈夫よ。」と言って抱擁し「タバコどう?」なんて勧めるんだろうなと想像してみた。「love and relationship」(愛と関係性)と出会った精神科医たちが合言葉のように言っていた。もう一つ印象的な英語での表現で、ウテンテとは「not dialog but negotiaion」する(対話ではなく交渉)であった。対話では対等性が得られないと言う。日本で発病したらただちにイタリアへ行くべし!
「精神科医になったきっかけは、ドストエフスキー読んだから」「私の給料はいくらかって?すぐに日本人はお金のことを聞くのネ!32歳で2,000ユーロ(約22万円)ナースと余り差はないわよ。」

つまり他の医療関係者と水平の関係であること、ヨーロッパ全体が大学までの学費が無料ということもあるのだろう。日本のように偏差値が高いからとか、親が医師であるとか、という理由でなくて本当に医師になりたい人がなる。つまり医師になっても給料が高くなく日本と違って医師になるまでにお金がかかっていないからだ。

精神保健センターの責任者、第2世代でバザーリアの後継者の1人ジョゼッペ・デッラックアに会った。前夜、アカデミー賞を取った「おくりびと」を見たよと日本びいきのところを見せてくれた。「精神科医は白衣を着て病院にいれば、ウテンテの病気だけみてその生活がみられない。」「バザーリアは施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応が、精神病者の暴力と考えている。」

「精神保健で大事なのは精神病院に頼らないこと、小さな地区割りで地域サービスをやること。こうすれば精神科医も市民に近づける。市民も恐怖感を抱かずに自由に出入りしてくれる。僕たちはウテンテの生活をまるごと世話をする。昔の病院のように、医療だけを切り離して行うようなことはありません。その拠点が精神保健センターなのだ。」
「昔は、サン・ジョバンニ病院は狂った人たちの行く先と市民に思われていた。しかし、不安と恐怖の目で見られていたあの神秘的な場所を、僕らはなくした。かつての入院者が町に出てきたことで、市民の不安も恐れも消えた。もし、こうしたセンターのサービスがなかったら、市民の恐怖感なんて永遠に消えなかったでしょう。」
ハード面で地域精神保健サービスを作ったからイタリアは精神病院を廃止できたことはご理解されたと思うが、しかしその背景に哲学と文化、そして社会的連帯があったからだと思う。アメリカもイタリアも精神病院を廃止できたのは病院がほとんど公立だったことも日本と違う状況なので、(9:1の比率で日本と真逆)日本的な方法も考えて行かなければならないだろう。
<下図は大熊一夫さんの説明より>
バザーリア+哲学・文化・社会的連帯のある国=精神病院廃止

フランコ バザーリアは1924年生まれ。ヴェニス貴族の血を引く家に生まれた。
1944年には、反ファシズム運動で刑務所に入る。サルトルの実存哲学を精神医学に取り込む。
1968年の学生運動に影響を与えた。極左テロリズムに走らなかった学生活動家はトリエステにやってきた。
僕たちは滞在中にバザーリア自身を描いた映画をサン・ジョバンニで観た。イタリアのNHKのような公共放送でかなり高い視聴率を稼いだらしい。大熊さんの話によると、イタリア側は日本でも売れると考えて日本語の字幕を考えているそうだ。当時の学生や労働者たちをさぞかし魅了したに違いない人物像であった。バザーリアは市民をも引きつけるアジテーターであった。
1978年5月、世界初の精神病院廃絶法成立。(180号法とかバザーリア法とも呼ばれている)
1980年8月死去。この精神病院廃止運動は、左派が主導していたが、右派になってもこの流れは戻されていない。人権が守れて、安くて快適で安全なことが証明されているからだ。

バザーリア法は四つの大きな柱で構成されている。(大熊一夫さんの要約)

①?精神病院を新しく造ることは禁止。すでにある精神病院に新たに入院させることも禁止。
1980年末以降は再入院も禁止。(すでに入院中の人々を追い出すことまでは決めていないので、この人々の退院プランによって精神病院の閉鎖時期は決まる。トリエステのように1980年に旧病院の機能を完全停止させたところもあれば、1998年に保健省から督促されてしぶしぶ閉めたところもある。)
②?予防、治療、リハビリは、原則として地域精神保健サービス機関で行う。しかし、やむを得ない入院のために、一応、一般総合病院内に精神科ベッドを、15床を限度に設置することができる。このベッドは、人事も予算も地域精神保健サービス機関(通常は地域精神保健センター)の管理下におかれる。センター中心の治療が巧くいかないときにのみ、例外的に総合病院のベッドは使われる。
③?治療は、原則として当人の自由意思のもとで行われる。しかし、緊急に介入しなければならない時、あるいは必要な治療を拒まれた時には強制治療はありうる。この場合、二人の医師が別個に必要ありと判断しなければならないし、その一人は、地域精神保健サービス機関で働く医師でなければならない。また強制治療の場所は地域精神保健サービス機関でなければならない。そのうえで、市長または市長が任命する保健担当長の承諾も必要だし、その市長は48時間以内に裁判所に通報しなければならない。強制期間は7日間で、延長が必要なら、改めて同じ手続きを踏まなければならない。(本人の民法上の権利や参政権は可能な限り守り、本人から同意を取り付ける努力は怠るな、と釘を刺している。私立精神科施設には強制治療を許していないことも注目点)
④?それまで県の責任だった精神保健行政の全てを州に移管する。

日本の私達が忘れてはいけないこと!

イタリアにはわが国の憲法25条と同じような憲法38条があった。社会的連帯の源である。
市場原理主義がはびこり、いまではグローバリズムが市場や資源そして環境ばかりでなく、社会の持続性をも脅かしている。社会保障は自己責任といわんばかり、日本も大変な二極社会となってしまい、いわば社会の底が割れだしている状態だ。
今や教育・医療・福祉は先進国OECDでは最低レベルとなり、日本は自殺大国となってしまい、毎年3万人超の自殺者数は12年間続いている。欧米では被雇用者所得は増えているのに、この同じ12年間日本は下がり続けている。非正規雇用者の割合は3分の1、若者や女性は2分の1。長いこと厚労省が発表しなかった貧困率は15.7%(湯浅誠さん達の努力で昨年10月厚労省発表)約2,000万人が生活保護(セーフティーネット)対象者。ヨーロッパだったらその7~8割が受給。日本では1割弱。障害者予算ドイツの4分の1北欧の8分の1、なんとアメリカの2分の1。ヨーロッパでは医療や福祉の本人負担が無い。日本の教育費は世界一高い。経済というパイが大きくなっても配分が問題だった。イタリアをはじめヨーロッパのような社会的連帯のある社会でしか精神医療改革は進まないだろう。良いタネ(バザーリア)をまいても豊かな土の上にしか育たないのは自明のことだ。

ではどうしたらそのような社会を作ることが出来るのか。湯浅誠さんが書いているが「社会への責任を一人ひとりが継続的に負い続けること」タナボタはない。今私達はそれぞれの場でどう自覚するのか問われている。

私達はもっと社会に興味・関心・発言をしていきましょう!





参考文献
「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」 大熊一夫著 岩波書店
「自由こそ治療だ」 半田文穂訳 社会評論社
「反貧困」 湯浅誠著 岩波新書
「ルポ生活保護」 本田良一著 中公親書

https://www.liberuta.com/report-italy/2/


その措置入院、ちゃんと任意性が確保されてますか?利用者・患者の意思で自主退院できる場所ですか。精神保健福祉法改正案。

https://www.wam.go.jp/wamappl/bb15gs60.nsf/0/22ba8177988c229b492571d4000cc00e/$FILE/20060824siryou12-1_1.pdf




石川県野々市市精神科病院で大畠一也さん(当時40)が肺血栓塞栓(そくせん)症(エコノミークラス症候群)で死亡したのは、違法な身体拘束が原因だとして、両親が社会福祉法人金沢市民生協会を相手取り、約8630万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が16日、名古屋高裁金沢支部であった。蓮井俊治裁判長は「拘束を必要と認めた医師の判断は早すぎ、裁量を逸脱している」として、原告の請求を棄却した一審判決を変更し、約3520万円を支払うよう命じた。

 判決によると、一也さんは2016年12月6日に入院。13日に看護師に対する暴力行為があったなどとして14日から四肢などを拘束され、拘束を解かれた20日に亡くなった。病院側は「多動または不穏が顕著である場合」など、精神保健福祉法に基づく基準に即して医師が拘束開始を判断したとしたが、蓮井裁判長は、拘束開始時点で一也さんに興奮や抵抗はなく、要件を満たしていないと指摘。人を割けば必要な医療ができ、「身体拘束以外によい代替方法がない場合」にも当たらず、拘束を違法だったと結論付けた。

 判決後に金沢市内で会見した父の正晴さん(70)は「かずくんは優しい子だった。先立たれてとてもつらい。あの子のためにも、判決を機に日本の医療が変わってほしい」と話した。同席した、身体拘束の問題に詳しい杏林大学の長谷川利夫教授(保健学)は「国内で身体拘束に頼った医療が広く行われるなか、拘束開始について法律に則して違法と明確に示した画期的な判決。今後、一定の歯止めがかかるのではないか」と評価した。

 社会福祉法人の担当者は「判決文を受け取っていないので詳細は答えられない。内容を確認した上で対応を協議する」とコメントした。(堀越理菜)

医師の身体拘束「違法」と逆転判決 「画期的」評価も

堀越理菜2020年12月17日 10時49分

http://rp-kumakendai.pu-kumamoto.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/2112/1/280108_nishimori_107_123.pdf



Ⅵ おわりに 本判決は、精神科病院の入院患者(非高齢者)に対する身体的拘束を違法であると判示とした 数少ない裁判例であると思われる。その点で先例的な意義があるといえよう。ただし、法や告示 第 130 号等における身体的拘束の要件等に関し規範的な判断をしたものではないことから事例判 決であるということができる。 ただし、本判決は、要件の該当性を判断するに際して、身体的拘束が、身体の隔離よりも更に 人権制限の度合いが著しいものであり、当該患者の生命の保護や重大な身体損傷を防ぐことに重 点を置いたものであって、これを選択するに当たっては特に慎重な配慮を要するとしている。そ のなかでも、特に、身体的拘束の実施を判断した時点においては必ずしも身体的拘束の要件を充 足しうるような不穏な状態ではないとしたときに、前日までの状態を前提として身体的拘束を実 施したことに対し否定的な判断をしている。したがって、要件該当性の判断は慎重にすべきとす る点では今後の同種の判例に影響を及ぼすものと解される。

http://rp-kumakendai.pu-kumamoto.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/2112/1/280108_nishimori_107_123.pdf
医療保護入院中の患者に対する身体的拘束は違法であり 使用者責任が認められるとして原判決が変更された事例 (名古屋高金沢支判令和 2 年 12 月 16 日賃社 1775 号 42 頁) 西森 利樹



https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1070746/web.pdf



身体拘束廃止するには患者から医療従事者への暴力根絶と
医療従事者から患者への暴力根絶両方必要かも。

https://www.city.kobe.lg.jp/documents/29036/hyougokenmanyuaru.pdf



https://www.jstage.jst.go.jp/article/jans/42/0/42_42811/_pdf



https://www.city.uji.kyoto.jp/uploaded/attachment/31374.pdf





ALS嘱託殺人事件の記事が大量に出ている。
僕が注目した記事を、2つほど紹介したい。
親友の談話とALS医師の談話が心に染みる。



2つの応援
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1)


「彼女がしたこと否定したくない」
嘱託殺人、被害者の知人→こちら



「何事も全部、自分で決めたい人だった」。事件で死亡した林優里さん=当時(51)=について、学生時代から交流を続けてきた友人はこう振り返る。

 病により身体の自由が徐々に奪われ始めても、自律した精神は変わらなかった。管を通して胃に直接栄養を送る胃瘻(いろう)を造設した後も、摂取するヨーグルトや野菜ジュースの種類を細かく指定。自宅で着るパジャマには天然素材を選んだ。

 「体に触れるものや摂取するものへのこだわりは、最後まで強かった。それは『生』へのこだわりだったんじゃないか。『どうせ死ぬんだから』という思いはなく、『生』と『死』の両方への気持ちが常にあった」

 だがその「こだわり」が、人生に自ら幕を下ろすという選択につながったのではないかと友人はみている。「病気に侵される身体をどうしても受け入れられず、自分の尊厳を守りたい気持ちが大きかった」。「安楽死」を望んだ女性に対する「弱い人だ」といった見方に対しても、「それは違う」と断言する。

 「彼女は強すぎたから、自分の意志を貫き通してしまった。普通の人なら『死にたい』と思っても殺害を依頼したりしないだろうが、死に方も自分で決めたかったんだろう」

 女性と最後に会ったのは亡くなる12日前。別れ際に頬と手をさするのがいつもの習慣で、「またね」と声をかけて帰った。いつもと変わらない様子だったが、「『これで友達に会えるのも最後なのか』とか、『大金を払って本当に死ねるのか』とか、いろいろと不安だったろう」と振り返る。当時、女性が殺害を依頼していたとは知らず、「どんな気持ちだったのか、と考えてしまう」。

 「死にたい」とは何度も聞いていたというが、「まさか本当に実行してしまうとは思わなかった」。その選択については、「よかったのかどうか、結論は出ないけれど、ただ彼女がしたことを否定したくないという気持ちだけ」と静かに話す。

 先月31日は女性の52回目の誕生日。毎年数人が集まり、プレゼントを贈って「ハッピーバースデー」を歌ったが、恒例となっていたその集まりはもう開かれることはない。8月上旬、自身が誕生日を迎えたとき、「彼女が年を重ねることはもうないんだ」と改めて思うと、涙があふれたという。

 「最期まで彼女らしかった」女性に対し、今は心の中でこう語りかけている。「あんた、こんな大変なことになってるよ…」


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2)
ALSの当事者でもある竹田主子医師は
8月14日の読売新聞で以下のように述べている。


「もし安楽死がご合法だったら、私も書類にサインしていたかもしれない」

「医師は知識で病気のことを考えるが、患者の心の揺れや生き方はわからない。
 医師の判断で死なせることがあってはならない」

「人間は強い時も弱い時もある。弱い方にブレないようにするのが医療の務めだ」



さすが、竹田先生だ。

実は、昨年、竹田先生にお会いしたし、講演もは拝聴。
今春開催予定だった僕が大会長の学会にもお誘いした。

このサイトでその時の講演を知れる。→こちら

ちなみに今年の在宅救急医学会は9月5日。
僕は座長をすることになっている。→こちら


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事件以来。沢山の報道がされているが、
上の2つが本質に迫っていると感じた。

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以下、先週の「まぐまぐの有料メルマガのQ&A」から抜粋。
「長尾和宏の痛くない死に方」→こちら



Q)
ALS嘱託殺人事件。
人間に「死ぬ権利」はないのでしょうか?

大学生です。死生学の勉強しています。

長尾先生がこのメルマガでも書かれていた、
京都ALS殺人事件の報道が、思ったより議論が高まらないのは、
立命館大学生存学研究所の以下の「声明」による影響も大きいかと思います。
私は、今回の事件を「相模原やまゆり園事件」とまったく同じかと言われると、
何かが決定的に違うように思います。
私の親戚にALSの人がいますが、この先、自発呼吸ができなくなったときは、
人工呼吸にしないでほしいとリビングウィルを作っています。
しかし、この「声明」によると、そうした「死ぬ権利」を声に出すことすら、
許されない空気を逆に感じてしまいます。
以下の声明文の、長尾先生の感想が知りたいです。
よろしくお願い申し上げます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都市ALS患者嘱託殺人事件に対する緊急声明

2020年7月24日リメンバー 7.26 神戸アクション


私たちは、2016年7月26日未明に神奈川県相模原市の県立津久井やまゆり園で起きた障害者殺傷事件をきっかけに翌月から活動を開始した、兵庫県内の障害者たちを中心とする市民グループである。私たちはこの事件の風化を許さず、事件後さらに強まる優生思想の洪水に抗議するために、街頭行動、デモ行進、プレスリリース、障害者虐待・暴行事件に際しての行政・裁判所・検察への働きかけ等に取り組んできた。
コロナ禍によって例年の大規模街頭デモの道が閉ざされたやまゆり園事件から4周忌の今月、私たちは7月19日午後、インターネットのライブ配信のかたちで追悼アクション「障害者を殺すな7.19 オンラインアクション ―― やまゆり園事件を忘れない」(注1)を催した。そのなかで、第二次世界大戦時にナチス・ドイツによって行われた障害者抹殺作戦(T4作戦)を振り返ったところ、参加者一同が確認したことは、現在の日本社会、ひいては高度社会福祉国家と呼ばれる北欧諸国社会を含む全世界が、いまやそれに通ずる優生社会となってしまっているという深刻きわまりない現状であった。
その矢先の23日、京都市内で医師ふたりが障害者を自宅において殺害した疑い(嘱託殺人容疑)で逮捕されたとの報道に触れ、私たちは大きな衝撃を受けた。さらに、この事件をめぐる報道と世論が障害者、高齢者、病者の殺害を推し進める優生思想扇動の巨大な波となってしまっていることに対し、私たちは恐怖と怒りを覚えている。

私たちはこの事態の深刻さを重く見、緊急の声明を発表する。



1)第二第三の犯行を煽り、また障害者・高齢者・病者を自死へと誘導する報道姿勢を非難する
現在、この事件をめぐる報道は蜂の巣をつついたような情報の洪水を起こしている。そこでは、WHOによる自殺報道についてのガイドライン(注2)、および国内外の障害者団体が求めてきた障害者殺害事件に関する報道のガイドライン(注3)はまったく顧みられていない。
受け手の好奇心を満足させようとするセンセーショナルな報道は、第二第三の犯行を誘発し、医療従事者、家族、一般市民のあいだに同様の行為を企てる者たちを生む。また一方、自死への誘導を受け入れる障害者、高齢者、病者たちを生み出していく。
本件の被疑者たちをどのような存在(許すべからざる悪人、あるいは障害者を苦悩から救おうとした善意の者)として描こうが結果は同じである。動機や犯行の目的に関わらず、扇情的な報道による騒ぎが広がれば広がるほど、優生思想のメッセージは社会に広がり続け、その深刻さの度合いは増していく。

2)常に殺される恐怖のなかに生きてきた障害者のさらなる恐怖を理解しているか
障害者は常に生かすか殺すかを決める権限を健常者社会に握られ、殺されることの恐怖のなかに生きてきた。この事件が障害者たちにどれだけの恐怖を与えているか、報道と広く一般市民は理解しているのか、その認識を問う。

3)この事件を利用する企みとそれに加担する報道をゆるさない
私たちは、この事件を利用して、障害者、高齢者、病者の合法的殺害に向けた議論を展開しようとする人々の企みをゆるさない。また、そのような意見を取り上げ拡散する報道メディアの不見識と不道徳さをも非難する。
安楽死(または、尊厳死、医師幇助自殺、平穏死、自然死)の合法化を推進してきた人々が、この事件を利用し、さらなる推進を図ろうとすることを、私たちは非難し、これに断固反対する。

4)障害者は生きのびる
障害者はこれまでも殺される恐怖のなかを生き抜いてきた。
すべての障害者に呼びかける。時代はますます厳しさを増しているが、私たちは団結し一緒に生きのびよう。
あまりにも多くの障害者たちが殺されてきた。いま生きている障害者たちは、とっくの昔に殺されていたかもしれないところを、支援者や介助者のネットワークを自らつくり生きのびてきたのだ。
障害者たち、なにも恐れる必要はない。ともに生きのびよう。





A) 長尾の回答


ご質問、ありがとうございます。おそらく多くの市民が抱いている違和感だと思います。京都の事件とやまゆり園の事件はまったく違うもので、一緒に論じることはできないと思います。またナチスドイツとも関係ないと思います。両者とも本人の意思とは全く関係なく、ただただ一方的に殺害されました。一方、京都の事件は少なくとも本人からの発信から端を発しています。

私自身、尊厳死協会の役員をしている関係上、行く先々で同様な野次を投げかけられてきました。優勢思想の持主だ、と。このように尊厳死や平穏死や自然死と京都の事件と一緒にされると、もはや返すべき言葉はありません。好きに批難してください、と。そもそも患者さんは自己主張してはいけない、ということでしょうか。

テレビや新聞で大きく取り上げられるALSの患者さんはみんな胃ろうや人工呼吸器をつけています。輝いています。私自身もこれまで20人位のALSの患者さんを診てきました。現在、胃ろうや人工呼吸器をつけたALSなど神経難病の人を3人ほど在宅医療で診ています。だから、今回の報道に接してなんとなく不安を感じていることは充分理解できます。

そもそもですが、ALSの人全員が胃ろうや人工呼吸器をつけているわけではありません。一生懸命に説得しても最後まで拒否して旅立たれる人がおられます。本当にもったいない、と思います。「もっと生きられるのに」と大きな敗北感で落ち込みます。日本のALSの人で胃ろうや人工呼吸器をつける人は3割程度です。一方、諸外国は極めて少ないです。つまり胃ろうや人工呼吸器をつけずに旅立たれた7割のALSの人は、今回の事件やこの声明を見てどう思うのか聞いてみたいです。もしも天国からお喋りができるなら今回の事件について会話してみたいです。

死の権利があるのかどうか。「権利」とは法律用語なので、「ある」とは言えないと思います。しかし死について考え自分の想いを紙に書く権利は「ある」、と思います。それは憲法で定められている「表現の自由」や「幸福追求権」です。ただそれが今回のような短絡的な事件に至ってしまったことは大変残念で、なぜそうなったのかは、やはり考えるべきではないでしょうか。なぜなら私の知る限り、多くのALSの方が同じことを望んでおられるからです。

もちろん、「死にたい」と「生きたい」は表裏一体ですから、「生きたい」気持ちをチーム一丸となって支援するのは当然のことです。それでも頑として胃ろうや人工呼吸器を拒否する人にどう接すればいいのでしょうか。本人の意向を無視して無理やり胃ろうや人工呼吸器をつけたほうがいいのでしょうか。それこそ人権無視、と糾弾されるのではないでしょうか。たとえば、このような議論を全部すっ飛ばして、いきなり「ナチスドイツはけしからん」という記事ばかりです。

今回の事件を議論してはいけない、というならなんのために医学や倫理があるのでしょうか。僕は亡くなられた林さんや僕が主治医であった、胃ろうや人工呼吸器を拒否して旅立たれたALSの方々、そして今も悩んでいる方々のためにしっかり議論すべきだと思います。この世界にはいろんな価値観があり、いろんな考えがあり、いろんな選択肢があることをオープンに議論すべきだと思います。それはALSに限らず、あらゆる病気の最終章も同じことだと思います。それさえも封殺する障碍者団体の関係者がおられますが、理解できません。そうした言論封殺が日本における終末期議論をタブーにしてきました。その結果、今回のような痛ましい事件が繰り返されるような気がしてなりません。


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PS)
コロナチャンネル#120

もはやコロナ対策は勝ち負けではない!東洋医学的発想のすすめ
https://youtu.be/MAL3O0Puq_8


東洋医学、と言えば、素晴らしい書籍が届いた。

「逍遥遊 -東洋の教えに学んでー」
山下るみ子著   →こちら

http://blog.drnagao.com/2020/08/alsals.html
ALS嘱託殺人 知人とALS医師の言葉



2020年08月17日(月)






編集後記:司会者として、そして、講演記録の編集を終えて



 私はこの文章を2019年10月22日に書いています。竹田主子先生の講演から一月以上を経ようとしていますが、講演を聴講された皆様から「この講演を記録に遺すべきだ」との声をたくさん頂き、講演記録を作ることになりました。ある講演を人が「素晴らしい講演だった」と評価するとき、その講演は必ずその時代の希求を満たしているのだと思います。皆が迷っている。しかし、まだ、それに対する答えが見つからない。どうしても答えに近づきたい。そんな思いに答える講演が皆の心に残るのでしょう。この講演は、まさにそういうものでした。記録を残すということは、未来の人々がこの講演記録を読むということです。その人たちのために、この講演がどのような世情のなかで行われ、なぜ、そんなにも人々の心を突き動かしたのか、司会者として、そして記録者として、その責任を果たすべく、ここに記しておきたいと思います。



 2019年の日本は、65歳高齢社人口が28.8%まで上昇し、世界一の高齢者国家として独走中です。日本政府はこれだけの高齢者医療を支えるのは病院診療だけでは経済的に不可能と考え、診療報酬による誘導や、地域ごとの基準病床制度を設けるなどして、病院医療から在宅医療への移行を強力に進めています。そのような方策で、在宅医療と病院医療が併存するようになりました。しかし、在宅医療と救急医療の連携のまずさから、在宅患者の救急対応の問題が生じてきました。その問題を考える為に2017年に日本在宅研究会が発足し、2018年に学会に昇格、学会としての初めての学術集会がこの2019年の第3回学術集会です。

 それと同時に、今、人生の終焉をどのように迎えるかについて、哲学者などではなく、医療者が考える時代が到達してしまいました。現在の日本の医療は、例え意識のない寝たきりの人であっても、何年間も生命を維持することが可能なレベルに達しています。しかし、それに対して、2000年代から「尊厳死」というキーワードで疑問を呈する考えが起きています。2007年に厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を作成しました。通常の医療のなかで、Do Not Attempt Resuscitation (DNAR)指示を取ることが1つの大切な医療行為となっています。さらに新しい概念として2018年にAdvance Care Planning (ACP)が日本に導入されました。つい最近、政府はこれを「人生会議」と名付けて、広く普及させようとしています。しかし、ACPもDNAR指示や事前指示書と同じような使い方をされていて、ACPが言われて2年以上が経っていますが未だに「ACPとはなにか?」ということが取り上げられています。この講演の中で、竹田主子先生は、十分な理解のないままACPが性急に現場に取り込まれていることに心配を述べています(スライド26)。それは障害を持った方々の気持ちは、変わりゆくことをご本人が経験していること、さらにそれに対する理解が少ないことに端を発しています(スライド12-19)。また、ある終末期医療を考える会合で、彼女はこのように話しています。



延命治療というが、障害者にとって人工呼吸器や胃瘻は眼鏡と同じで、補う道具。ACPは、本人が障害を受容できず絶望しているタイミングだと、本人を追い詰め、正当な治療を受ける権利を奪う可能性がある。

京都新聞2018年11月28日より 

さらに、2019年に入って、日本に黒船が入ってきたときのような衝撃が医療界にありました。6月にNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」という番組が放映されて話題になったのです。52歳の多系統萎縮症の日本人女性がスイスで安楽死を遂げるまでのドキュメンタリーでした。これを期に、生きる権利があるのだから「死に方を自分で選ぶ権利」もあるはずだという意見があちこちから出てきて、安楽死を日本でも認めていこうという人たちまで現れました。この講演の中で、彼女は「私は安楽死に反対です」とただ一言述べています(スライド30)。しかし、この講演の2週間後に、彼女は安楽死に対する明確な意見を示しています。原文をそのまま拝借させていただきます。



こういう意見を言うとお叱りを受けるのを承知で申しあげますが、正直なところ私は、「無駄な死だな。」と冷めた目で見ていました。適切なACPがあれば、少なくともあの時点で死に急ぐ必要は無く、もしかしたら前向きに生きて何年も社会で活躍したかもしれないのに。。と残念に思いました。



命を守るはずの医療者が「たしかに悲惨だ!本人もそう言っていることだし死ぬのを手伝ってあげよう」という、『安楽思想』に陥ってもいけないとも思っています。

竹田主子先生のFacebook 2019.9.25の記事より 私は、ACPや安楽死の問題を、ここまではっきりと語れる人に出会ったことがありません。講演などを聴いていても、「なんかどっかで聞いたような言葉だなぁ」というものが多く、腑に落ちることがほとんど無いのです。しかし、彼女の言葉は、確かに彼女が一人で考え抜いた言葉であることが感じ取れました。なぜ、彼女はここまで言い切れるのでしょうか?私なりに考えてみました。恐る恐るですが、私の考えを述べさせていただきたいと思います。本来、人間は間違いを冒す生き物です。科学者は世界のためにと思って研究に人生をかけますが、その結果、原子爆弾が生まれたりします。宗教者は、人を救おうと自分を犠牲にして人を説きますが、宗教戦争を起こしたりします。自分が正しいことをしていると信じている人であればこそ、大きな間違いを犯しやすい。それを避けるにはどうしたら良いのでしょう?方法があるとすれば、自分の中に全く違う考えの自分を複数持ち、お互いに監視し合う、それが唯一だと思います。彼女はALSの患者であり、実際に呼吸器を装着して自宅で生活しています(スライド7-10)。病気を受け入れ、今の自分にたどり着くまで4年を要したと話してくれました(スライド13)。さらに、優秀な内科医でもあるのです。自分の病気を科学者の目で理解し、世界中の様々な文献に目を通し、自分の状態を客観視する能力を持っています(スライド21-26)。医師として受けた教育とトレーニングがそういう彼女を造ったのは間違いがありません。彼女の中の「患者」と「医師」という相反する立場の2者が、彼女の中で常に鬩ぎ合い、問い詰め合い、その結果、絞り出された答えが彼女の言葉なのだと思います。だからこそ、迷いや悩みを抱えている人の心に届くのでしょう。この講演で、彼女は、自分の中の2者をぎりぎりのところまで我々に見せてくれました。これは非常に勇気がいることです。ご本人はとても見た目も可愛らしく、全く大げさなところのない静かな講演でしたが、聴く者には、この講演にあたっての彼女の覚悟が伝わったのだと思います。講演中、だれもが彼女について行こうと、必死なまなざしで彼女を見つめていました、終了後、300人程の聴衆から割れんばかりの拍手が巻き起こりました。司会者が質問を促しても、皆さんが心を奪われてしまい、しばらくは誰も声を上げられないようでした。

 最後に、この講演を聴いた私たちの責任について考えました。竹田主子先生に耳元でこんな風に囁かれ、大切なことを託された気持ちがしています。



 難病を得て、苦しみ悩みながら、しかし、逞しく、輝きながら、私たちは生きています。私達はこんなにもしっかりと生きている。それを支えるのが医療者ではないのですか?もっと、しっかりして欲しい。本当に大切なことから目をそらさないで欲しいのです。



追記:

講演を文章化するにあたり、必要最小限の改変、文章や脚注の追加を行わせていただきました。全て、演者に確認していただきました。また、演者の希望でスライドの写真の一部を文章に置き換えてあります。ご理解の程、よろしくお願いいたします。

2019年10月22日
日本在宅救急医学会 小豆畑丈夫

http://zaitakukyukyu.com/record1.html
竹田主子先生招待講演講演記録






ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者に薬物を投与し殺害したとして、2人の医師が嘱託殺人容疑で逮捕された事件。事件で亡くなった女性は開設したブログに「なぜこんなにしんどい思いをしてまで生きていないといけないのか、私には分からない」などとつづり、ALS患者として生きることの苦しさを1年以上にわたってつづっていた。

 事件で死亡した女性=当時(51)は建築を学ぶため米国留学し、帰国後は東京の設計事務所で働いたが平成23年にALSを発症。実家のある京都に戻り、ヘルパーによる24時間介護を受けながらマンションで1人で暮らしていた。

 身動きや会話はできないため、眼球の動きで操作できるパソコンを使用。30年5月3日、開設したブログの最初の記事のタイトルは、「早く楽になりたい」。唾液がうまくのみ込めず、一日中むせてせき込む様子を書き記し、「助からないと分かっているなら、(中略)本人の意識がはっきりしていて意思を明確に示せるなら、安楽死を認めるべきだ」と訴えていた。
事件後、取材に応じた父親は、女性から「死にたい」などと打ち明けられたことはなかったという。活発ではっきり物を言う性格で、海外旅行や留学に飛び回っていた女性。だが、ブログには安楽死を切望する言葉がつづられていた。

 同月27日の投稿のタイトルは、「安楽死が救う命」。「先に待っている『恐怖』に毎日怯えて過ごす日々から解放されて、今日1日、今この瞬間を頑張って生きることに集中できる。『生きる』ための『安楽死』なのだ」と安楽死を肯定し、「確実に患者の精神的な意味でのQOLは上がるだろう」と強調している。

 約1週間後のブログでは、「病状が進行して窒息するのを待つ生活がまともな人権を得られているとは思えない」と主張。スイスなど安楽死が認められている欧米と、認められていない日本との違いに疑問を呈していた。

 だが、心は揺れ動いていたようだ。ブログを通じて出会ったある患者に向けて、「病の恐怖に怯えながらも、心の別の部分で今出来ることを考えて欲しい、私みたいな身体になる前に」とアドバイスする書き込みも。同年8月25日にはALSの新たな治療法や新薬のニュースに言及、「『スイスで安楽死を受ける』と言う挑戦をしばらくお休みさせてください」とつづるなど、病を克服して生きたいという思いがうかがえる。
だが容体が悪化すると、安楽死への思いを募らせるような記述が目立つように。外出したいと思っても、他人と自分を比較してしまうと打ち明け、「自分はあんな普通のことさえできない身体なんだな、、、と身にしみて感じる」「どんな楽しいことを計画しても、こんな身体で生きるこの世に未練はないな、、、と思ってしまう」と吐露。昨年6月13日には鏡に映る自分の姿に、「操り人形のように介助者に動かされる手足。惨めだ。こんな姿で生きたくないよ」とつづっていた。

     ◇

 2人の医師が逮捕された嘱託殺人事件をめぐり、「安楽死」についてのご意見を募集します。住所、氏名、年齢、性別、電話番号を明記し、郵送の場合は〒556-8661(住所不要)産経新聞大阪社会部「安楽死取材班」、メールはiken@sankei.co.jpまでお送りください。

「なぜ生きなければ」ALS女性、ブログにつづった苦しみ

2020/7/27 19:30産経WEST
できごと
社会
事件・疑惑



■ 追記




上の記事を上げたあとで知りましたが、関わった医師の方に、色々な噂がささやかれているようですね。

個人的に思うのですが、




・「この事件の個別の是非」と、

 「一般論としての安楽死問題」は、

 絶対に、分けて話し合うべきと思います。




・個人的には「この事件の個別の是非」については、軽々に意見を述べるべきでないと思います。ネット情報は不確かですし、事件全体の文脈もわかりませんし、関わった方達の立場も人柄も思いも何もかも、第三者には分かりようがありません。それらを綿密に突き合わせるのは裁判でしょうから、断片的な情報であまり意見を述べるべきでないように思います。




・個人的には「一般論としての安楽死問題」は、あくまで一般論としてもっと話し合われるべきと思います。




・個人的な思いは、前に少し書きました。安楽死を選ぶ権利はあるべきと思います。




すいません、なんか偉そうに書きました、

すいません、「個人的」って言葉使いすぎ。




でも、本当にショックな事件です。

この事件を受けて、法制度の見直しに向かってほしいと思います。

https://ameblo.jp/ookawas/entry-12612896000.html
ALS患者 嘱託殺人事件 ※追記あり

2020-07-23 19:07:43

テーマ:ALSと考え事




話題の2つの番組、

◯ NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」

◯ ザ・ノンフィクション「それでも私は生きてゆく」

を観た。

前者は、多系統萎縮症の方がスイスで安楽死を選ぶ内容。後者は、ALSの方を数年に亘って追い、病気の進行の様子までをもとらえた内容だった。

どちらも本当に貴重な記録だと思う。取材に協力されたご本人とお身内の方のご意思、番組製作の方々のご苦労には敬意を表するしかない。




自分もALS患者の家族として、考えさせれられることが多かったので、少し書き留めておきたいと思う。

◯「彼女は安楽死を選んだ」

「安楽死」を得ることは簡単でないと、あらためて思い知らされた。

安楽死団体へ入会して、その時が巡ってくるまで待機し、渡航、宿泊して施術に臨む。その間の英語によるメールや会話のやりとり。親族と話し合って合意を得ること、そして持ち帰ることができない遺灰をスイスの川に流すこと…

金銭的な負担だけでなく乗り越えるべきハードルがとても多い。余程確固とした意思を持っていなければ、成し得ないだろうと思えた。例えば親族が協力しないと言ってしまえばそれまでだ。

スイッチひとつで、思い立ったときに安楽死を選べるのなら本当に「安楽」と言えるかもしれないが、実際にはそうではない。いつでも安楽死を選べる容易さとは程遠く、渡航の手間や様々な手続きによって自由は制限されている。もちろん、人の死が容易であってはならないので、考えてみれば当たり前ではあるのだが。




現行制度の中で自ら死を選ぶことは極めて難しい。おそらく、他の人がミナさんと同じ選択をするのは容易ではないだろう。




ミナさんは、

「人間なんていつ死んでも今じゃない気がするの」

と言われていたが、もし国内で叶うのなら、もう少し自由に「いつ」を選べたのではないかと思った。


◯「それでも私は生きてゆく」

数年に亘る長期取材をまとめた番組と知らずに観始めたため、終盤にかけて、美怜さんの症状が進行していくのをみて本当に胸が詰まった。


ALS患者が気管切開を選ぶとき、答えを出し難い1つの原因は、ALSが進行性の病であるからだと思う。

施術後に症状が進行しても、同じ気持ちを保っていられるか。おそらく誰にも分からないし、自信を持てる人などいないだろう。


日常生活でも、一度下した判断について気持ちが変わることは珍しくない。状態が変われば気持ちは変わるものだと思う。


しかしこの病では、気管切開を選んだあと、心変わりすることが許されない。いわゆるTLS、眼球運動を含むすべての随意運動が麻痺して周囲とコミュニケーションが取れなくなった閉じ込め状態に及んでも、気管から呼吸器を外せば、外した人が罪に問われてしまう。


ALSは、精神を閉じ込める病と言われるが、もしかすると閉じ込めているのは病だけではないのかも知れない。

法制度と社会が患者の自由を著しく制限して逃げ場を奪っていて、閉じ込めに加担しているのではないか。


気管切開をした後に、安楽死を選べる選択肢がもしあったなら、実際に死を選ぶか否かは別として、やや閉塞感は薄らぐように思う。出口のない状態の中で、それは1つの出口に成り得るように思う。



今回、2つの番組を観て、ミナさん、美怜さんのお二人が強く生きていながら、一方で病以外の何かに自由を制限されているような閉塞感を感じた。


多くのALS患者は、計り知れない不安の中で気管切開の決断をしている。病状が閉じ込めを強いてくるなら、法と社会は、閉塞感を少しでも和らげる手助けとなって欲しい。




特に法制度の整備は、人智によって成しうるものではないか。簡単とは思わないが、治療法の確立よりも、介護問題の解決よりも、短い時間で叶えられることのように思う。それによって気管切開を受け入れる勇気も普及するのではないか。




日本がその分野の先進国となって規範を示して欲しい。尊厳の手前の、閉じ込めを緩めるためにも切に願う。

#安楽死#気管切開#ALS#難病#介護日記

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出口としての安楽死

2019-06-10 23:28:00