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#02 ゆたかさって何だろう ~思い通りにならない人生の中にある幸せ

思い通りにならない人生の中にある幸せ

2020年5月。
来月にはまた1つ歳を重ねる。
そんなタイミングで、わたしは今、セブ島にひとりで暮らしている。


時をすこし戻そう。
2020年2月、「新型コロナウイルス」はまだ遠く離れた世界の話だった。
セブに住む友人の紹介で語学学校のインターンとして単身渡比をした。
春休みといえば留学業界の書き入れどき。「憧れの親子留学」の達成感で胸いっぱいの親子が毎週何組も入学してくる。

おそらく世間的には「富裕層」とされる人たち。インスタ映えを目指してキラキラな写真を投稿する裏にはどのような物語があるのか、知る由もない。
入学しては卒業していく、その滞在中のサポートをするのが私の役割だ。繁忙期のため海にも行けない日が続く。セブ=リゾートというのは果たしてガイドブックの中の話だったのか。

3月。セブ生活にも慣れた頃、世界の様子が少しずつ変わっていった。
対岸の火事だと思っていたら、実はすぐそばまでやってきていて、今にもわが身に降りかかろうとしていた。
語学学校の強制休業が言い渡され、生徒様に帰国いただいたあとは営業ができなくなってしまった。あれだけ賑わっていた校内から人影がなくなり、ただ燦燦と差し込む南国特有の太陽の光がやけにまぶしい。

日本と違ってフィリピンでは大統領の一声ですべてが決まる。
「明日から夜間外出禁止」と言われればそれに従い、「36時間後から国内間移動禁止」と言われればそれに従う。「No Mask No Entry」と言われればマスクは売り切れる。休業補償の調整のために時間がかかるなどという忖度はない。「休業命令」が出ればそれに従うだけ。

4月。はやりのリモートワークに胸をおどらせる。
最初のうちはデリバリーを注文しては非日常を楽しんでいたが、それもつかの間。ロックダウンの期日が延長されるたびにため息がもれる。
幸いわたしの住むエリアは治安が良いほうで大型スーパーも徒歩圏内にあることから、最小限の不自由でなんとか乗り切っている。ウィズコロナとはこういうことか。
日本と違って医療体制に不安があるため、とにかく自分の健康だけは自分で守らなければとオンラインでできる限りの楽しみをつくる日々。ハッシュタグは「楽しむことを自粛しない」だ。

この頃からほぼ毎朝、動画配信をするようになった。やり場のない想いを吐き出すかのごとく、小さな画面に向かって言葉をつづる。
それは、心のどこかで救いを求めているわたしの中のわたしかもしれない。


5月。いよいよ長期戦になってきた。
「あと1週間でロックダウンが明ける」という期待を何度も裏切られ、6月のフライトも目処が立たない。そのような中でもオンラインツールのおかげで日本の友人とのつながりを感じることができ、いくつかの仕事でも手ごたえを感じられていることが本当にありがたい。
依然として状況は苦しいが、人に助けられて生きている。これを「ゆたかさ」と呼ぶのかもしれない。
日本で暮らす家族とは毎日の通話で状況を確認しあう。元気でやっているか?仕事は順調か?帰国の目処は立つのか?
会えない時間が長くなるほど「早く帰りたい」と心が叫ぶ。


そういえば去年の誕生日もセブだったな。
フィリピンでは誕生日を盛大に祝う。家族親族隣人友人、とにかく大勢で集まり、名物料理の豚の丸焼きレチョンを囲みゲストに振る舞い、自宅に備え付けのあるカラオケセットで近所迷惑承知で歌いまくる。私もフィリピン流を真似をしたくてセルフ誕生会を主催し、40の節目を祝った。
 


あれは1年前か。
予想もしなかった2020年6月が来る。
せめてロックダウンが明けていれば、セブでお世話になった友人を誘ってささやかな会でも開けるのにな。

淡い期待を抱きながらも、水面下で「オンラインセルフ誕生会」の企画を考えてニヤニヤするあたり、私は根っからの前向き人間なのだろう。こんなわたしに育ててくれた親と、異国の地でサバイバル生活を送るわたしを信じて無事の帰国を待ってくれる夫に感謝。

 
思い描いた通りの人生は最高に違いない。
でも、思い通りにならない人生の中にも幸せはある。
 
それがきっと、わたしが今、セブ島にひとりで暮らしている意味だろう。


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