コロンビアサッカーの歴史① アマチュア時代
コロンビアのサッカーの歴史は北部の港町バランキージャに始まります。
1900年に始まった鉄道敷設に伴ってコロンビアへやってきたイギリス人技師がサッカーを持ち込みました。
詳しいことはわかっていませんが、1909年にはコロンビア西部の街パストでサッカーの試合がおこなわれていたという記録があります。
この頃から各地でアマチュアのサッカーチームが作られます。
現在もカテゴリア・プリメーラに残るクラブでいうと、1912年に創設されたカリ・フットボールクラブ(デポルティボ・カリ)。翌年にはメデジン・フットボールクラブ(のちのインデペンディエンテ・メデジン)ができます。北部の街バランキージャにはユベント・フニオール(フニオール)が、ノルテ・デ・サンタンデールの首都ククタにククタ・フットボールクラブ(ククタ・デポルティボ)がそれぞれ創設されます。*
【現在も残るチームの位置関係(地図は2020年現在)】
しかし組織化のリーダーシップはメデジンやククタなどからチームを招いて試合を開催していた大西洋側の地域が握ることになります。
1924年大西洋サッカー連盟(Liga de Football Atlántico)を立ち上げ、さらに県対抗の全国大会を開くなどして組織の統一と拡大を目指しました。
【1928年のユベント・フリオール】
その後Adefútbol(Asociación Colombiana De Fútbol)と名前をかえ、1936年にFIFAとCONMEBOL(南米サッカー連盟)に正式に認可を受けます。
翌年にカリ市の創設400年を記念しメキシコやアルゼンチンなどと国際トーナメントを開催しました。これがおそらくコロンビア代表最初の試合です。
【加入当時のFIFA様のロゴ。1977年まで使われた。】
コロンビア代表は最初の公式試合である1938年第一回ボリバリアン・ゲームズ*(Juegos Bolivarianos )で1勝3敗の結果を残しています。
各地のサッカー人気の上昇に伴い、ビジネスのチャンスがあることがわかると、アマチュア・スピリットを信じるAdefútbolとプロ化を目指す他地域の対立が表面化します。
1939年にはボゴタ周辺やカウカ谷、アンティオキアなどのリーグがAdefútbolを買収しようとしますが大西洋側のチームがAdefútbolを支持したため成功しませんでした。
1944年のコパ・アメリカ にはAdefútbolが大西洋側の選手だけでチームを組織し派遣しています。
プロ化を渋るAdefútbolに我慢ができなかった13のクラブがDimayor を1948年の6月に組織します。Dimayorは同年の8月に10クラブが参加した国内初のプロリーグを開催します。
大成功に終わったプロリーグ第1期。が、もちろんAdefútbolが指を咥えて見ているはずもなく.....
物語は意外な展開へ
次回をお楽しみに!
*ボリバリアンゲームズ: 第一回大会だけが全ての国からA代表が派遣されていて、後にU20現在はU17の大会となっている。
*登場人物全員が、俺が起源だ!俺が元祖だ!と主張するのでクラブの創設年や当時の名前などは諸説ありです。
この記事をかくに当たって以下のサイトを参考にしました。
https://capsulas.com.co/cuando-la-dimayor-fue-desafiliada/
https://fcf.com.co/index.php/2012/05/02/la-historia-de-nuestro-futbol/
https://www.laopinion.com.co/colf-tbol-entre-el-fracaso-y-el-xito-78932#OP
https://dimayor.com.co/index.php/la-dimayor/
流石に暇で暇でしょうがないのでやることをこんなことして時間つぶしてます。