便声粛々2

#エッセイ #小説#日記

 春である。 春は雪にどこぞのアホな誰かが隠したゴミが、怒りを顕にする以外は概ね清々しく、いくつになっても往来で、または部屋でと場所を問わずにウオーとかウワーとかフーといった無根拠な大声を発してモヤモヤを吹き飛ばしたい衝動に駆られてしまう。オレの住まう地域の今時分の春は、まだ草花は僅かに芽吹き、概ねシナシナの茶色を冷たい風に靡かす肌寒いものであるが、わざとらしいとすら思える絵の具の水色空は、夏のそれとは違って少しか淡く、それもまた爽やかで良い。へーくっしょい。じゃーしゃーねーから行くかという鬱屈とした朝も、この頃はオシ、今日も行ってくらぁと勇ましいが、パッと外へ出て思わずゾクッとすることで、一つずつ歳を重ねていることに気がついたりもする。所で、この疫病騒ぎである。あーでもないこーでもないと識者とか言う俗物どもが講釈たれて得意がってみたところで、結局これ暫くどうもならんなという事ぐらいしか分からない。外に出るのが良いのか悪いのか分からんけど、ちょっとした季節の機微に、少しか気持ちを寄せるだけでも、ちっとは気持ちも晴れるモノ。

来年も再来年も春はくる。

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