『香君』
大好きなうさぴーへ
上橋さんの本の底に共通して流れているものの片鱗が、垣間見えた気がします。それをまとめるというのは傲慢ですが、私が感じたことの羅列にしばしお付き合いください。
わかり合えぬものたちがわかり合うこと。人と他の生き物との間の深い溝と、その淵の細い道を探す娘や女人。目の前の命を守りたくて突き進む彼女と、それを巻き取る、社会の、国の、人の思惑。その渦に抗うように、陽だまりの中で素朴に生まれ、育まれる愛。記憶や知識を、塞いだり隠したりしたくないこと。善と悪がひどく曖昧なこと。ひとつに頼ることの危うさ。民の暮らしと、彼らが為政者へ向ける目。おかあさん。記憶の中のおかあさん。育ての親との絆。しっかりと地に足のついた登場人物たち。
そして『香君』で特に感じたのは、既存のものを変えることの難しさでした。
随分と大人になってしまったね。水面のキラキラを楽しんでいた昔には、もう戻れないのかしら。それでもまだ、そのキラキラに涙できてよかったです。底を透かして見てしまう、それは少しだけ悲しいけれど、見えなくちゃいけないこともあると思うから。
共通点が見えた気がすると書きましたが、そして『香君』は『獣の奏者』とすごく似ているな、と思いましたが、それは断じて、飽きたとかそういう感情からはほど遠いものです。似ていて嬉しいくらいには、どちらの作品も大好きです。精巧に作られた世界観はもちろん、上橋さん独特の語句にも比喩にも言い回しにも、いちいち頬ずりしたくなるくらいで。絶望しそうになって、「(それでも…)」と思い直すところとかね。先が気になってページをめくる手が止まらないながらも、ずっと嬉しかったです、読んでいて。ありがとうございます。
視写、という宿題がありました。あるいは私の勘違いで全く初めての登場かもしれませんが、中学校の不思議な国語の先生の、夏休みの恒例行事。教科書の短編小説をまるごと、一言一句、改行まで、原稿用紙に書き写すこと。そしてその作者の文章の呼吸を感じるのだ、と。みんなブーブー文句を言っていましたし、父もそんな宿題、と半ば馬鹿にしていました。けれど私はそんなに嫌いではありませんでした。好きでもなかったけれど。でも、なぜだか無性に文字が書きたくなる瞬間って、あるじゃない?そういう時に、視写の宿題を思い出して、余計なことを考えずに飽きるまで黙々と書き写していました。実際に芥川龍之介の呼吸を感じ取るまでは全然行かなかったけれど、先日ふと。小説や文章の中の気に入ったことばを書き出しているノートがありまして、そこに少し長めのことばを書き連ねておりました。その時ほんの少しだけ、書き手の足跡をなぞっているような気がして。書き手が自分にちょっと近い存在だったからかもしれません。とにかく、視写ってこれかな、とお湯のようにゆっくりと腑に落ちるものがありました。あの国語の先生、申し訳ないけれど好きではなかった(宿題がとても多いという実害があったので、そして本当に意味が感じられないものも多かったので)けれど、後の生活でふと、感謝してしまうことが妙に多い先生であります。名前に「湯」の字が入っていて、湯婆婆と呼ばれておりました。私は湯葉の部分に勝手に共感を覚えておりました。あの時のよくわからない反抗心を捨て去って、もう一度お話してみたいな。担任でもなんでもなかったので、連絡手段がぜんぜんないことが悔やまれます。
行き先が完全に迷子になっておりますが、今回読んだ『香君』は植物の話です。上橋さんはずっと植物を書きたいと思いながら、「静かすぎる」ゆえになかなか物語が動き出さなかった、とあと書きで書いてらっしゃいました。なんだか私が植物を好きな理由をズバリ言い当てられてしまったみたいで、くすぐったかったです。
2023/03/01
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