のライス

東京生活カウントダウン:後悔するくらい愛おしいと思えることだったと後悔をじんわりと味わいたい

行きたいところに行けるうちに行っておけばよかった
会いたい人に会えるうちに会えばよかった

そうやって後悔すること多々あると思う。

お祭りが流れるテレビ番組を見ながら、夫が「そういや浅草の三社祭一回しか見に行ったことないなあ」というので、私は一度もないなと思いながら、「(6年前に亡くなった)おじいちゃんと一緒に三社祭行きたいねって言ってたけど行かなかったなあ」と返事をした。

行っておけばよかったなあと思いつつ、でもまあ行かなかったし、行かなくてもどっちでもいいなあと思う。

それよりも、「行こうって約束して行かなかったなあ」と思い出して、翌日洗濯物をたたみながら、時代や環境に翻弄されて、生きるのが不器用な人だったけど、私はそういう不器用な人が好きだったんなあ、とまた思い起こして、しびしびと泣きたくなっていた。

祖父が亡くなった6年前の年始、私は大事な論文が佳境を迎えていて、年末から入院していて、もう危ないかもしれないと聞いていた祖父が亡くなった知らせを聞いて、ああ悲しいな〜って一度手を止めてじんわり涙を流しながら、そのまま気を取り直してパチパチと論文を書き続けた。ものすごく追い込みの時期だったのだ。

お葬式でも悲しいなって時々涙しながら、でもわーって泣くほどじゃなくて、というのも亡くなる数年前からの病気で近いうちに死んでしまうのだろうなってなんとなく理解していたし、祖父は86年のその不器用な人生をもう十分生きたと私は納得している。

ああでも、もう少し現世でゆっくりしてほしかったし、やっぱり足腰がまだ元気なうちに、一緒に三社祭行ってたら良かったなあ。

そんな風に、起きなかったことを後悔できるくらいには、この人のことを好きだったんだなあと思うだけでも、なかなか発見である。

ある時から、もう誰も覚えていなくても、誰かのことを覚えていること、その人の思い出話をすることを私は大切にしている。

大きくて取り返しのつかない後悔を抱えている人もいるだろう。でも、まあいっかって思える小さな後悔くらいなら、味わうのに愛おしい感情だと思う。