僕は、どう生きるか。

はじめに

ついこの間、「君たちはどう生きるか」を読んだ漫画版でスラスラ読めたが、一方で心に残ったものも多かったので、ここに記す。

自分基準で

最初にコペル君が言っていた。
「自分は、世界という大きな流れの1分子でしかない」
全くその通りである。自分ができることなんて高が知れているし、社会に対しての影響など皆無だと思う。
ただ、だからといって、周りの流れに合わせるべきかと言われると違うと思う。その点についてもこの本は触れている。
他人から見た立派、これは"立派そう"ではあるが、自ら"立派だ"と自信を持っていうことはできない。人間は確かに世界の中で小粒である。しかし意志を有している。
もちろん、周りに流されて生きることが楽なこともある。ただ、それでは永遠に自分に納得できる日は来ないと思う。
結局は自分基準で立派な人がカッコいい。

心情の貧富

人はあらゆる人と繋がってしまっている。だからこそ他人と比較してしまう。年収、成績、容貌など、他人がすぐに判断できるものばかりだ。
しかし、それはただの状況の貧富である。それを手にすれば本当に自分は満足できるのか、考えるべきだと思う。(プラスになることは間違いない)
本当に比較するべきは心情の貧富である。それは、先ほど述べた自分基準にも通ずる。
「自分」が満足しているか。その問いについては、自分はノーである。心情の豊かさを求めるからこそ現状を変えたい。カッコいい人は、自分の気持ちが先導していると思う。

心の苦痛は人間らしさ

周りに流されず、自分を求めて生きるのは大変だと思う。これで正しいのか、人と違うことは不安、様々な思いが出てくると思うし、苦しむと思う。僕も苦しかった。
ただ、そこでこの本は述べてくれた。「心の苦しさは正しいと思う人間の理性がある証だ」と。
完全に流れに身を委ね、正しさを無視し、自分の行動を全て正当化すれば、おそらく苦しくない。ただ。それは逃げているだけだ。

だから僕は逃げない

僕は逃げたくない。自分でかっこいいと思う道を選びたい。そんな自分を楽しみたい。
卒論やりたくない、就活不安、学生のままがいい。そんなこと毎日思いながらも、少しずつ頑張って、そんな自分を褒めて、振り返ったら自分に満足する。そんな大人になりたい。
僕は、自分にかっこよく生きる。