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1.人は何のために劇場に通い、演劇を観るのだろうか?

  1.物語の疑似体験について
 
 昼の光が闇に消えてから、駅から少し歩いたところにある古いビルの一角にある場所に行くのは小さな楽しみだ。加えて新しいものに出会えるかもしれないな、という期待があると、足取りも軽くなる。仕事や、人付き合いがあって。。。という事情もあるのかもしれないが、人々の小さな希望を受け入れる素地が観劇という行為にはあり、おかげで演劇は何千年と続いてきて、これからも時代のさまざまなニーズを取り入れながら途切れることないのだと思う。
 新しい表現に出会いたいという欲求もあるし、何らかの追体験を求めて、ということもあるだろうが、劇場に足が向く理由は、結局のところ「ヒト」との出会いを求めてではないだろうか。人は「ヒト」と出会うためこそ、劇場に通い、演劇ダンスを観る。であれば少しでも近しく、確実に、印象的な出会いの場を劇場は提供すべきであるし、多くの人が魅力的に感じられる工夫をしていくべきであろう。
 ここで気にかけなければいけないのは、人付き合いというものは(本質的には)不確かで少しよこしまで、いい加減なものである。相手を思いやるということ以外ではあるが。つまりその人間には近づきたい、理解しあいたいという他者への好奇心が、大きく関わっている。優しさや、相手への気遣いももちろんあるが、一方で私利私欲のため利用したいとする、よこしまな野心、邪悪な、暴力的な衝動というものも存在する。コミュニケーションは、そんな「緊張感」を抜きにしては語れない。こと演劇に関していうならば、俳優の存在感、会話の巧みさが、徐々に人間としての距離を縮めていき、事件があり、悲劇もしくは喜劇があり、想像もつかなかった結末を受け入れる。それは「物語」となり、物語は他者とも共有され、継承されていくかもしれない。何よりそれは「もしかしたら運命によって自分の身に起きていたかもしれない」事件だから。演劇の観る観られる関係は、もっぱら物語の擬似体験の共犯関係と言えるかもしれない。

 2.劇場で働くということ
 劇場について。。。振り返ってみると、人生のかなりの時間を劇場で過ごしてきた。劇場にいない時期は、そのことで少し重力がなくなったみたいな、よりどころのなさを感じてしまうくらい、自分にとって劇場で働くことの意味は大きい。演劇は劇場以外の場所でも上演できる。しかし都市で気軽に文化に触れる場所としての劇場の利便性は決して小さくないと思う。何よりそこは、社交の場であり、例えばそれは「闇に咲く花」のようにひっそりと佇む、すべての人に開かれた場である。
 「劇場」としてまず思い出すのが、渋谷にあった(旧)パルコ劇場である。1973年開場なので、私が頻繁に足を運んだ頃は既に開館から15年以上経っていたのだが、不思議と新鮮な印象があり、上演作品の印象もあるのかもしれないし、コングロマリット・カンパニーである西武株式会社が有する他の劇場のイメージもあって華々しい雰囲気が漂っていた。客席数が458席だったので、今から思えば興業としてはリスキーな少ない客席数で演劇や、ダンス公演を上演するためには、集中して観やすい理想的な空間だった。渋谷パルコの8階だったので、搬入や、楽屋などいろいろな制約があったと推察する。紀伊国屋ホールが、ちょうど同じようにビル内にあった劇場で、同じような制約があったにもかかわらず、パルコ劇場とはまた違った、集中して舞台を観ることができる、リラックスした空間であった。
 ・・・そんなわけで白状すると、自分の仕事は主には、行政と連動した公立の劇場であった。少し状況を整理すると公立の劇場というのは、従来公会堂として市区町村に存在していたが、ちょうバブルと重なる時期、地方創生といった旗印のもと80年代~90年代にかけて建設のピークがあった。それらの建築物は従来の多目的ホールという没個性的な、地味なスタイルから解き放たれた、外観も内装も個性的な(非常にコストのかかった)専門ホールとして各地域で乱立した。さすがに昨今はそんなことも少なくなってきたが、印象深かったのは金属の巨大な塔を有す水戸市に開館した「水戸芸術館」だ。公共ホールで、著名な演出家が芸術監督として駐在して、国内のみならず海外の実力俳優までもが集結して作品をつくる、というこれまで考えられなかったこと。入場料金も比較的安価で、演劇ファンの期待に沿うようにと考えられる作品を制作しているのがとても新鮮だった。
それでは人との出会いの場である劇場、なかでも公立劇場のことをさらに考えていきたい。
 
 3.公共劇場の概略
 劇場およびコンサートホール、美術館などの「公立文化施設」は全国で実に2,000館〜3,000館あるといわれる。 文化施設にもさまざまな役割があり、新国立劇場のような国内トップレベルの作品を上演する劇場から、かつての水戸芸術館のようなレジデントカンパニーがある新潟市の「りゅーとぴあ」のような文化施設もある。しかし専門的で、ミッションが確立している豪華な施設は例外で、大部分の文化施設は市区町村が長年管理運営してきて現在のところそれらの外郭団体が管理運営する、すこし時代遅れの、公会堂という名がぴったりのものから、無機質な外観を持った(例えば宝くじ基金や、かつて全国に存在した郵便貯金ホールのように)旧式のものである。施設の老朽化が進んでいるが、意外にも閉館する施設はそう多くはない。
 2001年に制定された文化芸術振興基本法 では、『文化芸術振興に関する施策の策定と実施、そのために必要な 法制・財政上の措置を講じることなどを国および地方公共団体に義務付け』ている。高度成長期を経て、バブル経済の崩壊、東日本大震災、コロナウイルス感染拡大と、文化にかける予算が大幅に少なくなっていくことが予想されるなかで、文化芸術振興を説くことには慎重にならざるを得ないが、アートの現場に携わる人々にはその状況に危機感を感じることがあまりない。
 福祉や環境といった待ったなしの政策について議論される中で、文化政策はどこか悠長に感じることがある。特にコロナ禍の医療関係者や自治体の職員の労苦と比べると、辟易することが多い。その権威に追随するアートマネージャーと称する人々。。。その地域の専門家と称する人々。。。
 地域の公立劇場に視点を移すと、地域固有の文化振興と、国が目指す文化芸術振興は少し溝があるように感じている。何故なら「地域」は、新しい「出会い」の機会を無条件に促す、ということよりも、「地縁」「既得権益」をキープしたいということが大勢である。確たる方針ということが示しづらく「連携」「交流」というワードも、地域のコミュニティ内で連携・交流するしか術がない。
 2014年に制定された「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」 では、「劇場、音楽堂等の事業、関係者並びに国及び地方公共団体の役割、基本的施策等を定め、もって心豊かな国民生活及び活力ある地域社会の実現並びに国際社会の調和ある発展に寄与すること」とあり、主に公立劇場としての機能を十分に発揮することと、地域に多彩な実演芸術を触れる機会を作っていくということを目的としている。
 制定される数年前から、全国の文化制作団体や、芸術文化財団は研修、シンポジウムを重ねていた。「劇場法」が制定されるタイミングに、例えば舞台作業におけるいくつかの取り決め(例えば高所作業のリスクを緩和するための法整備)あるいは、公共劇場の職員を対象とした、舞台制作の資格について(例えば美術館の学芸員資格に似た何か)、あるいは文化施設の役割を創造発信、交流、人材育成と明確にして、各々の施設がその役割を明確にしていくべきという議論など、今となってみれば長期的に国内の文化政策を向上させていくための現場の知恵のようなものが感じられるアイディアだったと思う。
 
 4.クリエイションハブについて
 公立劇場は多面的な役割を担う文化的社会インフラとして、特に21世紀に入ってからは、ハード面でその地域の税金である潤沢な資金を投入し、文化芸術活動や国際交流、住民協働などを牽引する地域拠点(ハブ)としての活動を活発させていくことと、同時代的で機能的、その地域を象徴するにふさわしい個性的な建物が建設されている。そのプロセスにおいては、地域の「公会堂」など旧弊の建物の建て替えや、市役所などがリニューアルされることと時期を合わせ、地域計画の一環としての計画や、町おこし、伝統の再興としての文化政策など地域の事情を踏まえ、議会で承認され、10年以上の月日さまざまな議論と検討委員会での進行、入札のためのプレゼンテーションを経て着工、完成に至る。
 俯瞰すると、劇場のような公的な施設を「建設するため」だけのプロセスは、行政も、建設会社も、大学などの学識経験者、あるいは議会も非常に洗練されているように考える。そこは今の時代にふさわしい、市民が安全に施設を使用することと、華美であることよりもライフスタイルに付加価値を与えることでできるような仕掛けを練ったものこそが次世代の公共ホールにふさわしいと思われる。
 その考え方に沿って先の劇場、音楽堂等の活性化に関する法律に沿って「連携、交流を促す」という観点では間違いではない。間違いではないのだが、公的な施設を「運営するため」のプロセス・・・演劇などの舞台芸術を創造・発信する場としての劇場のあり方として考えるとどうであろうか。
 例えばふだん日本の公的施設でおこなわれているバレエ・オペラ作品を「日本の文化」として海外に発信するということを想定しているのだろうか。
 実のところ劇場機能とは「現代の演劇、ダンスを創造するプロセス」こそ重要で、そこを強化してこそ優れた舞台作品が上演することができると考える。高価な機材や、ハイスペックな舞台機構というものは、映像を駆使した劇場空間の中、公立劇場があえて踏み出さなければならない理由はあまりない。
 さて、公立劇場の議論で「地域」について言及する場合、文化の一極集中や、格差という、文化に限ったことではない問題が、延々と議論されることが多い。日本の文化政策は現在、地域の「拠点」の文化施設に多額の助成金を注ぎ込むことで一極集中と格差を少なくしていくとともに、交流と連携を促そうということで進められている。しかしながら、発信が都市部で、受信が地域という図式は変わらず、あるいは助成がオオバコの劇場であれば、管理運営は、地方自治体(の外郭団体)と、都市部で地味な活躍をしていたアーティストとスタッフを雇い入れる構造となるので(設計段階から首都圏の設計会社がコンサルで関わる)、その地域の人材を登用することや、地域固有の芸術文化をすくい上げるようなスタンスに著しく欠けると言わざるを得ない。ただ舞台芸術だけが相変わらず、中央の制定したテーマに沿った、中央発信の「質の高い文化と呼ばれるもの」を地域で巡回するなど、全国一斉の文化事業というところが、分散型社会を標榜するコロナ禍の社会において、強烈な時代錯誤を感じる。しかしながらすぐれた地域のアート作品が、量的にも少ないという事実はあるのだが。。。
 
 5.いま地域に必要なアートは。。。
 21世紀ごろから町おこしの一環として各地域で行われた現代アートなどを紹介する「芸術祭」の内容が、同じく地方自治体と、都市部で活躍するアーティストとスタッフの雇用の場を作り、観光客集めに遁走し、祭りの後には荒れて形骸化した土地が残されるといった負の遺産を生み出し、アートアレルギーを引き起こすことに似ているのかも知れない。
 地域の課題は山積しているが、そのような高慢で「雑な」アートプロジェクトしか行わなかった前例の結果、アフターコロナの社会に、文化予算は残されるのだろうか。世界規模の財政の悪化が懸念される中で、税収も減り、そうしたなか福祉や環境と競うような文化の公的な支援をどの理由で声高に叫ばなくてはならないのだろうか。社会全体の危機のなかで、どこか浮世離れのある文化、それも一部の愛好家だけが享受しているような、いつまで経ってもフレンドリーと言えない「芸術文化」。。。
 ロシアの古典作家チェーホフは日本でも演劇関係者に根強い人気があるが、数ある戯曲の中、私が最も好きな作品に「かもめ」という戯曲がある。ロシアの片田舎を舞台とした、トレンディドラマの先駆でもある「かもめ」には不思議なことに劇的なシーンや、名せりふを力んで語るシーンはあまりない。むしろ力む人々をすこし揶揄したり、あえて陳腐な様子を表現したりと、実験的ともいえる語り口をもった作品でもある。有名な「チェーホフ作品では常に「事件」は、舞台の外で起こっている」のとおりである。
 この作品の魅力は何であろうか。まずは登場人物たち(ニーナ、トレープレフ、トリコーニン。。。)が、清廉潔白な正義の人ではなく、空回りしたり、向こう見ずだったり、内気だったりというコミカルなところが親近感を感じ、美しい湖や、空飛ぶカモメといった「想像するイメージ」がどこまでも美しい。この当時のトルストイやドストエフスキーといった重厚な小説家の作品と比べると、軽さやコミカルさ、スピード感をもった「かもめ」の魅力は、舞台でこそ映える。
 たとえばアフターコロナの社会に、ともすれば貧富の差による社会の分断や、おびただしいテレビ・ネットでのコロナに類する情報処理による疲弊、身体を通じた「出会いの場」が限定されているストレス、あるいは中央集権の象徴のような「新しい生活様式」に馴染まない市民に、メンタルヘルスとは違う救済体験・・・「物語」によるもうひとつの体験、人生の新たな体験の提示、浄化こそ、演劇が社会でなし得る有効な行為なのではないかと考える。
 シリアスで長文な出だしとなってしまったが、本書は
 ・いかに私が考える演劇の魅力は何か。
 ・公共ホールで何を観て感じてきたか。
 ・公立劇場の可能性
 をメインにまとめる。できれば公立劇場関係者、演劇関係者よりも、ふだん劇場に足を運ぶ機会があまりない人や、「税金を何故、文化施設に注ぎ込まなければならないのか」と感じている(わたしもそうだが)方々に、手を取っていただけるようにまとめようと思っている。
 アフターコロナの社会が、どうなるのか不明確で、「もう、満席の客席でお芝居を観ることができないのではないか。特にテント小屋などの独特の空間は廃れてしまうのではないだろうか」と悲観的になってしまうが、演劇は意外としぶといので、知恵を出し合い、姿かたちを変えて生き続けていくのではないかと考える。

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