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「一生に一度の」に込められた意味|今週のひとさら#9

ごゆるりのひとさらがなぜ「一生に一度の」なのか。そこにはいくつか理由がある。

アンケートで事前に聞いた「好きなもの」や「ごゆるりで食べたいもの」「今の調子」などをもとに、ごゆるりのひとさらにはその日に来る一人ひとりの要素が詰め込まれている。ゲスト一人ひとり自身も常に変化していて、好きなものも、食べたいものも、こころと体の調子もその時々で変わっている。だから、その人の要素として取り入れられるものは毎回違う。そして、その日に集まった人たちが別の日にその顔ぶれでまた集まることはおそらく2度とない。さらに、日々私たちを取り巻く環境も変わっていて、手に入るもの、旬のもの、季節は常に変化していく。こういったわけで、ごゆるりのひとさらはその日にしか生まれない「一生に一度の」ひとさらになる。

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でも、「一生に一度の」が生まれているのは、きっとごゆるりのひとさらの上だけじゃない。私たちの日常は「一生に一度の」で溢れているんじゃないだろうか。なんとも思っていない1回の食事も、そこで生まれる1つの会話も。無意識に、そうなる/そこにある のが当たり前だと思っていること。・・・先日、ある5人家族が全員揃ってお誕生日のお祝いの食事でごゆるりに来てくれた。私とほぼ同世代の一人の息子さんは、数年前に一つ病気を経験したという。この日は、家族みんな食べるのが大好きだから、ゆっくり久々の外食を家族でしたいということでお母様が予約してくださった。特に会話があるわけでもないのだけど、みんなにこにこしながらごはんを食べていて、帰る時もみんなにこにこして帰っていった。その優しい笑顔には「今ここにいてくれるだけでありがとう」というお互いに対する愛、家族との愛おしい一瞬一瞬を尊くおもう気持ちのようなものが表れている気がした。

涼しい風と暖かい日差しが混ざり合う、晴れた10月最初の日曜日。家族がみんな揃って、みんなが好きなカラフルな季節の果物とお野菜で彩られたひとさらを一緒に食べる。たった1回の食事だけど、そこにある大切な人との「一生に一度の」ひとときを味わえたときに、私たちの日常はとても愛おしく、抱きしめたくなるようなものになるんだろうなと思う。

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忙しく生きていると、私たちの周りに実は溢れている、奇跡的にそこにある「一生に一度の」ものやときに、気づきにくくなっているかもしれない。日々のちいさな「一生に一度の」に気づき、愛おしく思えるような時間を過ごしていきたいと、その家族を見ていて改めて思ったある日のごゆるりだった。ごゆるりのひとさらがなぜ「一生に一度の」なのか。そこにはいくつか理由がある。

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