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”美しい”という言葉は、生活必需語かもしれない

「美しい。すばらしいね。」

私が駆け出しのシステムエンジニアだったときに
私が作った設計書を見たベテランエンジニアが言った言葉です。

システムエンジニアの仕事は
ものづくりの仕事と言われますが
アートではない。

絵画やオブジェ、音楽のように芸術ではない。

なのに、私が作った設計書を見て言われた
そのセリフを今でも覚えています。

”やった仕事”を評価するときにも
「美しい」という言葉を使うんだ

と、大人の感覚を学んだ気がしました。

それまで「美しい」という言葉は
活字で見ることが多く、会話では使った記憶がありませんでした。

満開の花を見たとき、
赤く染まった夕焼けを見たとき
いつまでも終わることのない砂浜の波打ち際を見たとき
「まぁ、きれい」というのが普段使いです。

「美しい」という言葉は上等品。
私の仕事を「美しい」と言ってくれるまでは、
どこか実感のない形容詞、という認識でした。

あれから20年が過ぎ
私の中で「美しい」という形容詞は段々と
普段使いになっていきます。

心の中で浮かんでくるし、
口でも「美しい」と使うようになりました。

手仕事や所作、人が生み出したことを評価するとき
「きれい」や「上手」「完璧」と言っていた場面で
「美しい」を使い分けするようになりました。

そして「美しい」と感じるとき
いつも過去に自分の仕事が褒められたときの
このシーンを思い出します。

「そういえば、美しいもの最近見てるかなぁ」
急に自分を振り返る思いに駆られました。

ミニマリストの部屋に感じること

YouTubeで部屋作り系の動画をよく見ます。

ミニマリストを実践している人が最近多くなりました。

「ミニマリスト」と言う言葉も浸透しましたね。
必要最小限のもので過ごす人たちのことで、
洋服、食器、本、家具・・
ミニマリストと言われている人の
荷物の少なさに感心するとともに
寂しくないのかなぁ
と物足りなさも感じます。

私は気に入ったものを厳選して買う方です。
シーズンを通して衣替えをするときには
あんまり着なかった服は処分をするし
本も処分している方だと思います。

ミニマリストの部屋は、
掃除しやすいし、物も出しやすそう。
清潔で、効率よく、ストレスフリーな生活を
想像させてくれます。

でも私にはどうも殺風景に見えて
寂しさを感じるんです。

インテリアのプロフェッショナルではないけれど
気に入った絵を何枚か飾ったり
好きな色のカーテンをかけたい。

植物を育てたり、小鳥を飼ったりしたい。

日常会話の中で自然と
「美しい」「素晴らしい」

こういう言葉がナチュラルに出てくる
部屋に住みたいです。

美意識と言う言葉がありますが
きらびやかな服や
艶やかなメイク
容姿

ではなくて、その人に会ったときににじみ出るもの。

そういう美しさをまとった人でいられる方が
幸せだと思いませんか?

私の体感なんですけど、
「美しい」や「素晴らしい」という
言葉を使う人は

素敵な部屋に住んでそうじゃないですか?
散らかった部屋を想像しませんよね。

仕事で嫌なことが起こったとき
苦しくて落ち込んだり
憂鬱だったり泣きたい時もあります。

でもそういう時も
美しいものたちが癒してくれるから
次の日も元気に出かけていける状態に
戻れている気がしています。

仕事で動揺することがあったり、
職場を出ても、なんだか仕事の出来事を引きずっているな・・
という人は、

今一度自分の部屋を見直して
何か1つ、小さい絵画でもいい、
元気な観葉植物でもいい。

美しいな、
と感じるものを置いてみませんか?

ちなみに私の美しいものは、
”バラ”です。

春と秋に咲く
濃いローズ色が好みです
5月まで楽しみます。
暑い夏は花は咲かないので、殺風景。
寂しいベランダですけどね。

冒頭の、昔々、私の仕事をほめてくれた人はどんな部屋に住んでいたのか、今になって気になりました。