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比較と競争にとらわれない生き方~名作と経験から学ぶ~

 本日11月30日は世界的に有名な文豪、赤毛のアンシリーズで有名なL.M.モンゴメリと、トム・ソーヤーの冒険で有名なマーク・トウェインのお誕生日になります。モンゴメリについては生誕150周年という記念すべき日になりますね!(そして前日の11月29日は若草物語の著者、L.M.オルコットの誕生日でもあるという………11月末は文豪生誕祭りですね!)

 それで先日からモンゴメリ(愛称はモード)について、伝記や日記を読み返したり、彼ら文豪の名劇作品ファンアートなど描いておりました。

そうそう、本日11月30日の記念すべき日には文豪の誕生日なだけでなく、↑のXにあります名劇作品タグの新企画、「名作劇場ファンアートの会」がスタートした日でもあるのです!!
この会についてのアカウントの活動云々やタグ使用をめぐり、ひと悶着あったようなのですが………私はこの企画開催やアカウントについてのお話を事前に少しだけ聞いていたということもあり、主催の方々の想いや活動を今後も応援し、ファンアートという形ではあるけれど個人として出来る限りのことはしたいかなと思います。

 来月以降開催日をどうするのかはまだ未定のようですが、今後も毎月開催されるとのことで名劇の世界での楽しみがまたひとつ、増えました!
素敵な企画をありがとうございます🙌✨✨


 毎回、記事の前置きが長いのですが、まずは楽しいところから、が私のモットーですので。よろしければお付き合いください。
タイトルにあります、「比較と競争について」を本日誕生日のふたりの代表作「赤毛のアン(第一巻)」と「トム・ソーヤーの冒険(アニメ序盤のみ)」と絡めつつ、いつも通り私自身の実体験から思うところを語らせていただこうと思います。
私が常々思っていることで、もしかしたら人によっては不快だったりするかもわかりません。が、私自身はこの考え方がいいんじゃないかなぁ~と思っております。もちろん、どなたかに思想の押し付け、などするつもりは毛頭ありませんが、必要以上の比較、競争は間違いなく毒になると思うし、それにより非常に悲しい思いも沢山してきたつもりです。



「比較も競争も、人生にとって一番重要なことではない」

 今回の記事の主張を一言でまとめるなら、もうこれに尽きます。
人生にとって、人と比較して落ち込んだり、競争については限られたシチュエーション(例えば勉強やスポーツなど)では必要なこともありますが、私はあまり比較も競争も好きではないし、人生にとって重要なことではないと考えています。

 「赤毛のアン」愛読者であればご存じの通り、アンは勉強熱心で常に良き好敵手ギルバートと競い合いながら学力を飛躍的に向上していき、クイーン学院卒業時には名門レッドモンド大学に奨学金を得て入学できる権利を得ました。アンとギルバートの関係性については、最初の赤毛をからかったことが悪かっただけでその後はずっとアンに対し紳士的な態度を貫いたギルバートに対し、アンの方はかなり意地っ張りで頑固すぎると思いつつも(^-^;💦
勉強の競争相手として見たら他になかなかない好敵手であり、これは非常に健康的でよい比較と競争であると思います。

 いくらギルバートが憎かろうが、アンはライバルのギルバートに対して裏工作して堕とすようなことしませんし、ギルバートが優秀だからと言って卑屈になって努力を放棄するようなこともなく、彼だけには負けまいと常に奮闘している姿がいじらしく応援したくなったものです。

クイーン学院に入学が決まったあとの、ホワイトサンズでのホテルのコンサートでは、アンは自分の朗読の番の直前にプロの朗読家が朗読を披露したためすっかり上がってしまった(それ以前にも他の参加者に比べ自分の格好が貧相に見えたことや、大勢の聴衆の前で朗読をした経験がなかったことなどから)
しかし、ギルバートの姿を見かけた瞬間!「あの人は私を小ばかにしている(と思い込んで)絶対ギルバートにだけは笑いものにされたくない!!」といつもの調子を取り戻し、見事な朗読を披露しアンコールまでやってのけました。ここでもいかにギルバートがアンにとって素晴らしい好敵手であったかが描かれています。ここまでの好敵手(ライバル)関係って、実際にはそうそうないのではないでしょうか?

 しかし、そうして彼と健全な競争をしつつもせっかく猛勉強の末に得た貴重な、返済義務のない奨学金を得て大学に進学する機会をアンはあきらめ、別の道を選ぶ、というところが赤毛のアン(第一巻)の物語で素晴らしいところの一つと思っています。

この話で言いたいことは、私はこう捉えました。

栄光を目指し努力することは尊いし大事だけれど、自分にとって「何が一番大切か」をよく考えることが人生にとってはもっと重要である。

 アンはにとって一番大切なものは、大学へ進学し文学士になる栄誉を手にすることではなく、自分を育ててくれたマリラと、初めて自分を迎え入れてくれた大切な家「グリーン・ゲイブルズ」を守ることだったんですね。

 それで第一巻のお話の最後には長年競ってきたギルバートと和解するというところも実に見事です。
アンが大学進学をあきらめ、教師になると決意しアヴォンリーの学校で就職を希望したことを知るやいなや、すでにアヴォンリー校にて教職に就くことを希望していたギルバートがあっさりと辞退するんですよ!!
リンドのおばさんの言うように、ギルバートはアンと同様に家庭の事情もありクイーン学院卒業後は教師となって働きながら、将来の夢に向けて大学進学を目指す立場で、出来ることならアヴォンリー校のほうが都合がよかったにもかかわらず、アンを想ってあっさりと辞退する紳士な男性です。
ここでギルバートの高感度かなり上がりましたね✨✨

 アンが大学進学をあきらめたことと同じように、ギルバートの選択もそう簡単には出来ることではないかも。
だけど彼も「何が一番大切か」よくわかっていたんですよね。
確かに、将来医者になるという夢も大切だったかもしれない、けどそれ以上にアンがどれだけグリーン・ゲイブルズを愛し、マリラと一緒に過ごしたがっているかもよく知っていた。

 そしてギルバート自身の思惑かわかりませんが、アンとの和解の機会を作りたかったのかもしれません。

物語の最後のほうだけでも、語り尽くせないほど濃厚な物語ですね、赤毛のアンというのは。


 ここからはまた私自身のつまらない経験談になりますけど、多少語りたいところがありまして。
比較と競争について思うこと。
まず、日本の場合ですけど学校教育があまりよくないと思っています。
特に偏差値教育。高校進学時に学力によって入学できる学校を選別するという慣習が悪影響しかないのかな、とちょうど松本侑子先生がNHKラジオで赤毛のアンについてのラジオ講座を聞いていた時に教育についての尾木ママのお話を聞いててそう思いました。

 私は高校は比較的のんびりした校風の進学校ではない学校を選択したのですが、そこでは目指す進学校に敗れた敗北感で持つ必要もない劣等感にさいなまれている子が多くいました。

 私はもともと中学時代にはある程度勉強を頑張ってそこそこの成績で地域でも名の知れた進学校に進学する選択肢もあったのですが、当時私にはもっと自分にとって重要な優先すべき事柄があったため、進学校でない普通校を選択したのです。
将来のための勉強よりも優先すべきことなんてそう多くないかもしれない、ですが当時の私にとっては大問題。もちろん、この選択を理解してくれる人は当時は誰一人いませんでした。

結果的にはだいたい赤毛のアンのアンが選択したような内容です。

私は当時病に倒れて余命一年ほどとわかった父の、入院先が結果的に選択した普通校と近かったためその高校を選択したのです。
(本当のところは”夢で天のお告げがあり、この学校にしなさい、というお声があった”けどおそらくこんなこと言っても誰も信じないだろうと思う)

学力レベルは大きく下がってしまったけど、結果的にはこの学校を選んでよかったのだと思っています。

そこで出会った人たち、学んだ内容、全ての経験が今を生きる糧となっているし、特にその学校にしかないクラブでの活動により、病身の父が笑顔を取り戻すことが出来た(と私は思っています)
他には代えられないものばかりです。

 もちろん、学力レベルを大きく落とした学校にしたことの”弊害”も多数ありました。
先ほど上記に挙げた、もともと進学したかった学校に行けなくて劣等感を抱えた人たちから、少々つらく当たられていたり(本人たちには自覚ありませんが)
「え~!そんなこともわからないの?!成績がいいくせに!」
とかですね。実にくだらないと思います。


「勉強なんてやっても、将来の役に立たないし~」といった、悪い意味での投げやりな態度の人も多くいたので、勉学の環境としてはあまり良くなかったと思います。環境選びって大事ですね✨大人になってよく思います。

 ただ、勉強についてはそんな投げやりな態度な人も、自分の好きなスポーツの活動などでは真剣に取り組み、「絶対に一番になってやる!」と気迫に満ちていたりしました。この点は素晴らしいと思う。

比較、競争などは基本的にあまり好きではない、と冒頭では言いましたが、
こういった勉強や、スポーツ分野で向上心を持って競い合い、上を目指そうとすることは素晴らしいことだと思っています。

 ただ、「比較」「競争」にとらわれることがよくない、時には毒にもなりうると思っています。

私の所属することになった、運動クラブは全国制覇を目指すいわゆる強豪校であったため、皆熱心に練習をしていましたが………監督の考え方にはあまり共感出来なかったのですね。私がそのクラブと相性がよくなかっただけの問題かもしれません。

「一番でないと意味がない」
「結果を出すことが全て」
「勝てば官軍、負ければ賊軍」

特に最後の勝てば官軍~の言い方はまるで戦争でもしているみたいです。
戦争経験者世代ですから仕方ないのかもしれません。

上記のような言い方、運動クラブ強豪校によくありがちかもしれませんね。
ただ、私はこれらの言葉には非常に苦しめられた方の人間です。

確かに、せっかくやっている活動で全国優勝を目指す、その過程で熱心に練習したり身に着けた態度や向上心は他ではなかなか得られないものかもしれない。
だけど、当時の私にはクラブの活動での全国優勝よりもはるかに大事なことがありました。
それが前述の病身の父が残りの日数を「笑顔で過ごせること」でした。

もうこの話何十回とブログやSNSでやり尽くしてきているので、今更もう何かってこともないんですが、そもそも私の選択には無理があったということでしょう。
「強豪クラブに所属しながらも、家族との時間を大切にする」ということが。それとも、両立できる方法が他にあったのか?今ではわかりません。
この問題(栄光を目指すことと今を生きることの両立)も10代のころから非常に頭を悩ますテーマでして、絶賛今でも悩み中の問題ですが別の記事にて書こうと思います。



健全な「比較」や「競争」は存在するのか?

 なんか、主題のテーマと若干ズレてる気がしますけど………もうずっと10代のころから抱えている重大な問題のひとつです。

「比較」「競争」について、私自身はあまり好きではないけど、人生ではそれが要求される場面がいくつもあるので否定はしません。
 
極端な話ですが、
「競争なんかしなくていいや~」

といった下の方で甘んじる、社会から外れた生き方もありかもしれないですが、それは少なくとも今の日本社会で生きるにはあまり賢いとは言えない生き方かと思っています。
そういう態度でいたら「就職試験に受からなくても別にいい」とか、「結婚したいけど相手探すのも面倒だし別にいい」みたいになって、投げやりな人生になってしまう気がします。これは極端な例ですけどね。

なので、ある程度はアンがギルバートに持ったような”健全な”競争意識は持つ必要があるかと思っています。

「トム・ソーヤーの冒険」はまだアニメ第6話までと小説2章くらいしか読んでいないため、私が語れることは多くはありませんが………彼らは学校が嫌いで、なにかにつけてさぼろうとしますね。
あ~よくわかりますよ!トムやハックの気持ちも。
学校って場所、「窮屈」ですもんね。

みんなと同じにしなくちゃいけないとか、そもそも勉強が嫌いだったら学校は苦痛だろうし。
私も何かにつけてさぼろうとしてきたほうの人間だったので(小学二年くらいでは熱を出したと嘘をついて休む、を繰り返していました。これは当時癇癪持ちで悩んでいたことと、母親の気を引くためわざとです)

あと学校ではどうしても誰かと何かにつけて比較、競争させられる。
順位をつけられる。
これらでいつでも優秀なら学校は楽しいとなるかもしれないけど、そうじゃなかったらどれだけ苦痛か………人間負け続けはやっぱりつまらないでしょう。

学校において赤毛のアンのような「健全な競争や比較」がなされる場合ってどれだけあるんだろうなって思います。
負けたらくやしい、なら次は挽回出来るように少しでも努力しよう。
そう思えるだけならまだしも、
「あいつ気に入らないから蹴落とそう」
「なんかあの人調子乗ってない?」
「張り切っちゃってバカみたい~」
「間違えた~あんな簡単な問題で!間違えた~!」
「あいつ勉強だけなんだよね~他になんも出来んし」

私が経験してきた環境が悪かったのか、これらが標準なのか、本当に私が調子こいてるように見えるからそう言われてるのかはわかりませんが………。

赤毛のアン語りで度々、「世の中は信頼できない」みたいなこと言っている理由のひとつがこれです。
高校の時とか特に家族の問題でいっぱいいっぱいでそうでしたが、私はただ少しでも勉強を頑張って運動も苦手だけど頑張り、将来親兄弟の助けになろうとしただけです。
私の当時の高校には、今のように授業料無償化が制度化されていない時代に、学力が優秀かつ世帯年収〇〇以下であれば授業料免除となる制度があったため、そのためにも出来ないなりに勉学を頑張っていました。

当然そんなことはいちいち誰にも言いませんでしたが、主に勉強に対しての劣等感を必要以上に抱えた先輩などからいつも嫌味のような言い方をされていました。とても残念に思っていました。

 どうしてこうも、みんな他人と比較して落ち込みたがる、もしくは自分より上(実際には上とか下とかないのですが)に見える人間が気に入らないといって堕とすような発言ばかりするのか。
世の中にはそういう人ばっかりなのか。時々絶望することがあります。

みんな自分の人生に向き合い、今の自分の状況で今よりよりよくなるように日々の生活で少しでも楽しみを見出しながら懸命に生きればよいのに

常々そう思います、やはりなんでも競争ばかりさせて順位をつけたがる学校教育の弊害なんでしょうか。
田舎の学校で散々自慢げに聞こえる話かもしれないけど…勉強でも運動でも一番になったからって偉いわけでもないのに。ただそれは一つの過程であり、一番を目指すことやそれを達成することで喜んでくれる人がいると信じているからやっているだけで一番そのものに価値があるわけでもないのに。

などと思います。

前回記事で書いた、私自身のおそらく一生抱えるトラウマの元凶となる人物(もちろん今後一切関わることはない、絶対に。)もいつもそうでした。

その人にも元気な旦那さんや家族が身近にいて、幼少期に猫を捨てられて悲しい思いをしたという猫を今は沢山好きなだけ飼えているし、毎日楽しみを見つけようと思えばいくらでも出来るであろう環境なのに(でもお金の不安はつねにある、これが本当によくない)

人が少しでも楽しんでいるところを見れば、露骨に気に入らないと態度で示す、努力して勝ち得た結果もいちいち否定する…などというある意味最も悪い比較の天才かもしれません。人間”金が必要な分足りてない状況が常に続く”のは非常に精神衛生上よくないということですね。
(それも勉強や学ぶことが重要ではないという考え方に原因があると思っていますが)


また、つまらない話ばかり沢山書きました。
私個人の体感ですが、いつも悪い意味で人とやたら比較したがったり、それでいちいち落ち込んだり、卑屈になったり、はたまた懲らしめてやろうなんて考える人間が世の中多すぎると感じます。



旧来からの名劇ファンについていけない?問題について

 以前マシュマロをSNSに設置したことがあるのですが、そこでは

名劇に詳しいみなさんにとてもついていけないです。1作品のアニメだけでも長くて全部制覇するのはすぐには無理ですし、皆さんの名劇知識が凄すぎて引け目に感じているんですが、あなたはこの問題をどう考えますか?

といった内容のご質問をいただいたことがありました。
う~ん、まさに。他の「もっと名劇に詳しい人達」と比較して落ち込んでいるという悪い比較の例ですね!
気持ちは非常によ~くわかりますよ。

この時のマシュマロへの私の返答なんですが、当時名劇シリーズでは「ロミオの青い空(アニメのみ)」しか履修してない状況でしたが、こう回答をしました。

私は「ロミオの青い空」が好きでその中でも「アルフレド」というキャラクターが好きで、ファンアートを描いたり作品について語ったりすることで十分満足しています。名劇ファンの知識の多さに圧倒されるお気持ちもわかりますが、ご自身の名劇での好きを大切にされてはいかがでしょう?

ちょっと違うかもしれませんが、大体こんな感じの回答でした。
この問題、あらゆるファンコンテンツにあると思いますが、「他のもっと詳しい人と比較」してもしょうがないです。ハマる時期も人それぞれですし。

よく「~が好きならこれくらい知ってて当然!~のグッズは持ってて当然!ライブなら全制覇しないとホントのファンじゃない!」みたいな、言い方する人いますけど、一体何と戦ってるんでしょうかね?
人がある作品を好きになるタイミングも、好き度合いも人それぞれでしかないのに、私にはよくわかりません。

 普段の私の怒涛のXポストでは伝わらないかもわかりませんが、大人になって急に名作劇場シリーズにハマり、そこからファンアート描き続けて今ではロミ空交流会イベントスタッフなんてしているけれど、いつも名劇知識については自信ないです‼

というか、今ハマっている「赤毛のアン」なんてもうずっと子供の頃から慣れ親しんで擦り切れるくらい本読んできた方たちと、いちいち「比較」なんてしてたらまず太刀打ちできませんね~💦

 知識量と作品履修具合では比較なんていちいちしてたら、今から履修したところで旧来の赤毛のアン愛好家には絶対にかなわないと思っています。
だけど堂々とSNSやこのnoteで語っていますね。

それは先ほどマシュマロの回答でも申し上げた通り、

名劇での自分の”好き”を大切にしていて、他者と比較をしない

という考えがもとにあるからなんです。
ある作品を好きになるのに、そこに他者との比較は必要ですか?
作品を知るタイミング、ハマるタイミングは人それぞれで、入手できるグッズも古い作品では特に今ではプレミア価格で簡単には手に入らないものも多くあります。ライブやイベントに出かけることが出来るかどうかも、人それぞれの状況があります。子育てや介護に忙しいとそうそう毎回は行けないでしょう。

 人それぞれでしかないのに、そこに比較や競争が必要には思いません。
今回のファンアート企画もそうです。今回の件の問題について詳しく言及は避けますけど………ファンアートを描いてSNSに投稿するのは誰かと比較はすることはあっても「競争して一番になる」ためではないし、そもそも順位という概念が存在しませんね、SNSでファンアートを描くことに対して。

ただみんなが名作劇場シリーズが好きで、ファンアートを描いてみてもらったり、他の方の描かれた作品を見て楽しんだりしてるだけです。
(そもそもファンアートを公にSNS投稿バンバンしまくっていいのか問題はありますが………何かあれば公式から通達があるでしょう多分)

そこには「誰々さんの~のイラストいいな✨参考にしよう」だったり、「わ~素敵✨✨自分も今度~の作品で描いてみようかな?」といった健全な比較があるだけで、そこにいちいち余計な邪念(誰々と比較して落ち込む、卑屈になる、なんか楽しそうで気に入らない)といったものは必要ではないと思います。
こういう書き方してると敵を増やしそうだから(大人になったアン風に言えばいちいち言わなくていいようなことをこのブログに書いている)
戦々恐々とはしているけれど、申し訳ないけど常々思っていることなので、、、今日は文豪2人のお誕生日にかこつけて色々思うところを書いてみようと思いました。

 SNSやる以上は「誰かと比較していちいち落ち込む、卑屈になる」タイプは向いていないかと思っています。
楽しいこと、素敵なこと共有して、新しい発見があってもっと素敵な世界が広がるのがSNSの使い方としていいと思っているし、そういうものだと私は思っているので。

また長文大変失礼いたしました。今日は残りの時間また、お絵描きしたり、あ~「アンの青春」も少しずつでも読みたいし、最近は創作ばかりして生活がおざなりになっていると家族に怒られたばっかりだから、家事もちゃんとしないとですね(^-^;💦今の一番の悩みです。

どうも、お読みいただいた方ありがとうございました。

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