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駅伝のルーツは中国にあり1

 前回までは唐の都,長安についてほんのさわりを紹介してきました。その他にも宮城や大明宮,玄宗皇帝と楊貴妃が愛を語らった興慶宮などもありますし,114ある各坊の歴史の足跡をたどってみるのも面白そうです。でも今回はちょっと長安を離れ,駅についてご紹介してみたいと思います。

駅と言ってまず思い浮かぶのは,鉄道の駅でしょうか?でも元々の駅とは,軍事情報を伝達するために官員が食事をしたり,宿泊したり,馬を交換したりする施設でした。ただし現在の重慶あたりから駅伝を使って,楊貴妃のために生の荔枝を運んだという例もありますが……。

楊貴妃と荔枝

その歴史は古く,商代にまで遡ることができます。ただ私の興味の対象は唐代ですし,駅の具体的な状況についての資料を確かめられるのはやはり唐代です。駅は唐代に至って完備されたと言っても過言ではなく,そこでやはりここでは,唐代の駅について紹介したいと思います。

 駅は水駅と陸駅の2種類があり,その数,水駅が260~346,陸駅が1297~1639(時代によって異なります)と,全土に網の目のように設置されていました。その土地によって規模が違い,大きいものを「駅」といい,規模の小さなものを「館」といいます。

 「駅」は駅道上に設けられ,広い駅舎があって,往来する駅使や官員を接待し,公文書や軍事情報の伝達を助けます。一方「館」は州,県以上の地方に設置された賓館で,通常は城内にありましたが,駅道上に設置されたものもあります。

唐代の駅
皇室用の駅

 また駅道以外の場所に,県,州,府が建てた県館,州館,府館などもあり,一部駅と同じような機能を果たしていました。

 水駅には,それぞれ2~4艘の船があり,陸駅には,それぞれ8~70匹の馬が常備されていました。各駅には駅将がおり,兵部駕部司に属していました。

唐代の駅のイメージ図

 駅制は,およそ30里に1駅。ただし地形や交通量によっても変わります。例えば長安から潼関までは300里ありますが,交通量が激しいので,駅は12カ所あり,最短で15里しか離れていなかったといいます。反対に夏州(陝西省横山西)から豊州(内蒙古五原)までは750里ありますが,駅の数は8カ所で,平均区間距離は70里でした。
  ※唐代の1里はおよそ500m。

 ところで,駅は基本的には官員が利用するものでしたが,官員が少ないときには,商人達も利用していたようです。大事な荷物を盗賊などから守るには,最も安全だったのが駅だったからです。多くの隊商が行き交い,繁栄を極めた唐代のことです。駅の近くの街道には,その他に飲食店や旅館など,様々なお店が建ち並んでいたそうです。

 今回は駅制の規模などについてご紹介してきましたが,次回はその具体的な運営方法などをご紹介したいと思います。

                 出典:中国古代的郵駅
                  商務印書館国際有限公司(中国)

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