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唐の都,長安へようこそ5 長安って,どんな街?


長安城
長安城

郭中南北十四街,東西十一街。
  城内は南北に14の道路があり,東西に11の道路がある。

東西方向の道路で,第四街(皇城の西の門順義門と東門の景風門を通る街道)は,幅75m。
  ※皇城とは,いわば官庁街です。
 第五街は,皇城南の一番目の横街で,東は春明門に通じ,西は金光門に通じ,比較的保存状態が良く,幅120m(道の両端の排水溝の内側から測定)である。
 第六,七,八も比較的保存状態が良く,排水溝が残っている。道幅は,それぞれ44m,40m,45mである。第九,十街は55m,第十一街は45m,第十二街は59m,第十三街は39mである。南端の城壁に沿った道は,おそらく25mを超えないであろう。

 南北方向に伸びる道路は11条あり,皇城より南の部分が比較的保存状態が良い。特に朱雀街とその左右4街の保存状態が良い。朱雀街は天街とも呼ばれ,長安城内を南北に走る中心の道で,北は皇城の朱雀門に通じ,南は外郭城の明徳門に至る。道の東側が万年県であり,西側が長安県である。朱雀街の路面は,中央がやや高くなっていて,両端がやや低く,断面は孤形であり,両側に排水溝がある。道幅は南部では155m,朱雀門の南約200mに渡る北部では150mであり,両側の排水溝は約3mである。
  ※中国に何回か行って思うのは,広大な国土ゆえ,建物にしろ道路にしろ規模が違うということです。当時の朱雀街の155m道路というのは,いかにも中国ですね。

朱雀門
朱雀門


朱雀街イメージ図
朱雀街イメージ図


 朱雀街より東の一番目の通りは幅67m,第2街は134m,第3街は68m,第4街は最も広いところで68m,第5街は城壁に沿った通りで25m。
 朱雀街より西の一番目の通りの幅は63m,第2街は残っているところで108m,第3街は63m,第4街は42m,第5街は城壁に沿っていて20mである。

 其間列置諸坊
  その間に各坊が配置されている。

 有京兆府万年,長安二県所治,寺観,邸第,編戸錯居焉。
  京兆府は万年県と長安県とで治められており,寺や道士観,邸宅,戸籍に編入された平民の家などが入り混じっていた。

 その中には折衝府(軍隊組織)が4カ所,僧寺が64,尼寺が27,道士観が10,女性の道士観が6,ペルシャ寺が2,ゾロアスター教の寺院が4カ所あった。

ゾロアスター教の寺院模型

当皇城南面朱雀門,有南北大街曰朱雀門街,東西広百歩。
  皇城の南面が朱雀門であり,南北に伸びる大街を朱雀門街といい,東西の幅は百歩である。

 万年,長安二県以此街為界,万年領街東五十四坊及東市,長安領街西五十四坊及西市。
  万年と長安の2県は,この大通りを境にして分かれ,万年県は通りの東54坊と東市を治め,長安県は大通りの西54坊と西市を治めている。

西市
西市

 皇城の東側と西側にある3列の坊は,南北に13坊並んでおり,これは閏月のある一年を表している。また皇城の南側にある坊は東西に4列並んでいるが,これは四季を表し,南北に9坊並んでいるのは『周礼』九逵の制に基づいている。
  ※九逵の制とは,道が四方八方に通じていること。

 朱雀街の東,第一坊は,東西が350歩(約514.5m),第二坊は東西450歩(661.5m),第三坊が東西各650歩(955.5m)。朱雀街の西もこれに準ず。皇城の南9坊は,南北が各350歩(514.5m),皇城の左右4坊は,南から第一,二坊が,南北各550歩(808.5m),第三,第四坊が,南北各400歩(588m)である。
  ※本書では,1歩を1.47mで換算しています。

  ※この南北11街と東西14街によって,各坊に分割されているのですが,各坊110といわば商店街である東市と西市がそれぞれ2坊を占めていたので,全部で114坊あったとされています。(長安の東南隅にある曲江池が1坊として数えられていますので,これを除くという説もあります)その後,高宗が大明宮を造営するに当たって,その南にある翊善坊と永昌坊を2つに分けて道路を通したり,玄宗が東北隅の永福坊を禁苑に加えて「十六王宅」にしたり,興慶坊を興慶宮に変えたりと,変化してきました。

曲江池遺跡公園
曲江池遺跡公園


興慶宮
興慶宮

 (各坊には坊壁があり)4つの門があり,十字街がそこに通じていた。ただし皇城南側の36坊には,東西の2門しかなく,横街があるのみだった。
西市の遺跡を実測したところ,長方形をしており,南北1031m,東西927mであった。市内には南北方向と東西方向にそれぞれ幅16mの道路が2本ずつあって,「井」の字の形になっており,市内は9つの区域に分けられていた。東市の形もほぼ同様で,南北1000m,東西924mである。東市の東北隅には放生池があり,唐代の瓦や陶磁器の破片や,開元通宝などが発掘されている。

                出典:『増訂唐両京城坊考』
                   三秦出版社(中国)

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