『幼児教育』あいさつって何?

「おはようございます」

何処の保育園でも朝は挨拶で始まりますね。
昔、中・高教員時代、生徒には朝の登校時はもちろんのこと、授業や部活動の時にその日初めて会う教員や友達に対しては必ず挨拶をしっかりするように伝えていました。

なぜ挨拶をするのか?
学生時代は意味を深く考えたこともありませんでした。挨拶しないと部活動顧問の怖い先生に挨拶をしなさい!とよく怒られたものです。なぜしなければならないのかを考えてもわからず、誰からも答えはくれませんでした。

高校生から大学生になり、社会人となって教員を続けていく中でわかってきたことは、「挨拶で生徒の体調がわかる」ということでした。おはようという声に対して、返事がないな、声が小さいな、声が枯れているな、などたった数語の文字の挨拶が生徒達の体調を教えてくれるバロメーターになっていたのです。一概にそれだけで判断するのは問題かもしれませんが、私の中で挨拶というのは子ども達との重要なコミュニケーションであり、教員として武器だったように思います。

挨拶は和睦の証?


そしてもう一つよく言われるのは、挨拶は敵意がないことを示すものということです。挨拶をし、返答することで相手に敵意がないことを伝え、その後のコミュニケーションが続きやすいということがあります。人間も元を辿れば動物であり、無意識の内に敵意というものが存在しているのかもしれません。それが進化をしていく過程で、人間の社会が生まれ、文化をもたらし、挨拶というコミュニケーションツールが生まれ、動物であった人間が挨拶をすることで仲間を作り、現在の世界となりました。挨拶は人間の社会に定着し社会的に挨拶がなかった場合に常識がない、と言われてしまうくらいに大事な所作となったのです。故に社会のルールを教えることが仕事の一つである学校の先生達から挨拶をしなさいと言われることは当たり前のことなのかもしれません。

犯罪抑止力!


また、犯罪の少ない街は挨拶が多くされているということをよく聞きます。自転車の二人乗りや挨拶がない街を犯罪者は狙います。それはその街自体が他人に興味がないからです。興味がないから犯罪者は気づかれることなく、罪を犯します。地域の方が気軽に挨拶をしたり、ルールを守って生活している地域は犯罪をも抑制する効果があるのです(実際声をかけられるということが犯罪を思いとどまる要因の一位にもなるようです)。そうなるとやはり挨拶をすることは素晴らしいことですし、続ける価値があることだと思います。

はじめてのおつかいの凄さ


少し話は脱線しますが、日本テレビの人気番組、はじめてのおつかいが今海外で人気のようです。日本は治安が良いため、子どもが一人で歩いて買い物に行くことに番組上違和感はありませんが、海外では一人で公共の場に行かせることはありえないようです。まさにセンセーショナルな番組ということで熱狂的なファンが出現したとニュースになりました。一方、子どもをあんな過酷なシチュエーションに置くなんて!と批判的な意見もあり、同じようなことを実際にすると、児童虐待で通報されるとも聞きます。はじめてのおつかいはテレビスタッフさんの繊密な安全確保による番組制作により成立している番組だと思いますが、国レベルで見ると日本はやはり安全な国と言えるのでしょう。これも日本の先人方が安心なコミュニティ作りをしてくれた結果です。危惧するところは核家族化が進み、都市部でも地方でも地域のつながりが希薄化しているところでしょう。昔と今では大きく環境は変わってきつつあるといえます。「いかのおすし」が子どもたちの合言葉になるのがその証拠ですね。

挨拶をすれば地域が儲かる


さて、私の勤務している園では子ども達から挨拶がなくても何もいいません。して欲しいなぁとお願いしてみたり、、、はあります。挨拶や返答がなくてあたり前だと思います。なぜならば意味があることだとまだわかってない子がほとんどだと思うからです。できるならば小学校に進学するまでに挨拶を意味はわからずとも習慣的なものにできればと思います。子どもたちが誰にでも挨拶できる地域になれば安心した街になるはずです。風が吹けば桶屋が儲かるではありませんが、こども園での習慣が小学校に進学した後にも子どもたちを守るということになればなんと嬉しいことでしょうか。そして私自身は子どもたちから挨拶を返してくれたり、先に大きな声で挨拶をされると無条件で嬉しい気持ちになります。嬉しい気持ちになる人が広がれば、人生が豊かになる人も広がります。たかが挨拶、されど挨拶。当たり前を当たり前と思わず、挨拶で始まる一日が豊かで価値あるものと思いながら一日を積み重ねていきたいものですね。


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