ザット ヒーリン フィーリン/ホレス シルバー前編
ザット ヒーリン フィーリン/ホレス シルバー 前編
ブルーノート4352
1970/4/8、1970/6/18
1986年3月、僕と同じ時期にジャズに興味を持った中学の同級生に誘われるまんまに大阪厚生年金会館大ホールでアート ブレイキー&ザ ジャズメッセンジャーズのコンサートを観に行き衝撃を受けた後に、僕はホレス シルバーを知った。19歳だった。この誘ってくれた同級生というのが、非常に変わったというか超がつく研究家肌の物知りで、中学生の時から日本映画、特に東宝怪獣映画と日活アクションにどんどんハマって行ったという変態さんだったので、日活とゆかりのある石原慎太郎の小説「ファンキージャンプ」で覚えた名前を僕に教えてくれたのが最初だろう。
では最初にハマったホレスのレコードは何だったか?これがそれから37年も経ってしまっては全く記憶がない。当時なら多分ブレイキー繋がりでホレスシルバー トリオかソニー ロリンズvol,2かホレス シルバー&ザ ジャズメッセンジャーズか、まあその辺なのは間違いないのだけれど、今回はそんな事はどうでもよく、僕の考えるホレスの最高傑作について鼻息も荒く記していこうと思う。
さて、37年だ。つまり僕がジャズを聴いてこの音楽と心中してもいいやという考えにまでさせてくれたホレスを知って37年だから、もう随分とホレス シルバーと共に人生を歩んだものだ。にもかかわらず彼の最高傑作を一枚あげるのに、こんなに鼻息を荒げなくてはいけない理由は後述するとして、そのホレスの最高傑作というのは、結論から言えば1970年、ジャズが保守的なバップやスタンダードという日本で言う大人の正しいジャズの信奉者をどんどん置いてけぼりにしてファンクやらサイケやらと過激化してエレクトリック化して行った時代に呼応するようにブルーノートより発表された「That healin’ feelin’」である。
ホレスは1964年、よく売れて今でも人気のある「ソング フォーマイ ファーザー」を発表するも、これが彼なりの売れ筋ファンキージャズアルバムの最後のものであった。その後、アルバムでいうと4枚が同じストレイトアヘッドないわゆるジャズを演奏したもので、このうち「ザ ジョディー グラインド」はホレスの最後の痛快ハードバップ作として紹介した。しかし、ほかの3枚は全てタイトル曲やオープニング曲こそ従来のファンキー節が炸裂していて楽しいものの、全体としてはとても音楽性は高いとはいえ当時の流れに合わそうとしたのか、何か小難しく、以前の様に全編でファンキージャズを謳歌できるものではなかった。事実売れた「ソング フォー~」のアルバム全体にもそういう点は見受けられるし、ブルーノートから発売されるスパンもだんだん長くなって行っている。断っておくがこれはあくまでも僕個人の感想なので、この数枚が好きで仕方のないという方には気分を害してしまったことをお詫びするしかない。
しかし恐らくこの数年間のホレスは何か今後の方向性に対して暗中模索な状況であったとは思う。
そんなモヤモヤを一気にふっ飛ばしたのが1970年の「ザット ヒーリンフィーリン」である。ふっ飛ばした理由はまずエレクトリックピアノとの出会いだろう。この日本のジャズ喫茶ではジャズミュージシャンに持ちこんでもらいたくない楽器とされるものとの出会いはホレスにとって、よほど新しい道を開くヒントだった様で、正に1970年にしてこの楽器の最高実力者になっていたのではないかと思わせるほど、自分の音楽に合わせている。いや楽器に合わせた曲を書いたというべきか。どっちにせよエレピを弾くホレスの気持ちの高揚がこちらにまで伝わって嬉しくなってしまうほどだ。
他にもある。大胆なまでのヴォーカルの導入である。元々ぶっ飛んでんじゃないか?と思わせるほどユニークかつ独創的なポリシーを持つホレスはエレピと出会ったことにより恐らくこれを使えば自分の哲学を歌にして発表できると考えたのだろう。そして長年の付き合いであるブルーノートなら出版してくれると。
それのためにホレスは何とTHE UNITED STATES OF MINDという宗教だか思想の塾だかを立ちあげた。で、この作品がその後「TOTAL RESPONSE(BN4368)」「ALL(BN4420)」という2枚の続編がリリースされる最初の作品となる。 したがって、この3部作にはレコードカバーに歌詞が掲載されているが、それらはテキストとされているし、その冒頭にはMUSIC AND THE MINDとしてホレス自身の前置きも記されている。この傾向はホレスがブルーノートを離れて創設した自主レーベル、シルベルトの諸作まで続いた。僕はまるっきし英語の読解力が無いし一般の煩悩ノータリンなので、残念ながらホレスの哲学を理解することは出来ないけれど、この高度な音楽性を聴けば彼の並々ならぬ精神の高まりは理解できる。なので音楽性から察するものだけで今回の評を書いていることをお許し願いたい。
気になるテキストを歌うヴォーカリストはA面がAndy Bey、B面がGail NelsonとJackie Verdellという誰か知らない2人のシンガーで、一聴するだけで豊かな声量とソウル感覚を持っている人達がホレスの実力を遺憾無く発揮した素晴らしい楽曲を歌い切っている。特にこの後ずっと行動を共にするアンディー ベイは本作がホレスと組んだ最初のものであるが、そのブラックネスな歌唱にもう昇天してしまうくらいの聴き応えだ。アンディーについても後述する。
こんな風に「ソング フォー マイ ファーザー」から7年経ったホレス シルバーは、かつてのあくまでもでも正しいメインストリームなジャズ路線からは180度ひっくり返したレコードを出したわけではあるが、それがたとえTHE UNITED STATES OF MINDという一般人からは理解されそうにない思想のための音楽であったにせよ、嬉しい(頼もしい)ことにしっかりと変わらないスタンスも守り続けている。
それはこのレコードでもしっかりとクインテットのバンドとして演奏されている点だ。ホレスシルバーといえばクインテット、クインテットといえばホレス シルバーだ。アルバムジャケットにもしっかりとHORACE SILVER QUINTETと表記されている。ブレない所は絶対にブレない、ホレスらしい所である。
しかし、これだけ刷新された自己のクインテットゆえか、やはりこれまで通りに全ての行動も共にするレギュラークインテットでの発表には至らなかったのも事実の様である。そういう点がやはり思想を全面に押し出した音楽活動の難しさなのかも知れない。
それでは、めったにやらない事なのだが、このレコードの参加メンバーを一人一人ここで掲載してみよう。その前にヴォーカリストがA面とB面とでは異なる様に、このレコードは両サイドで参加メンバーが異なっている。
SIDE A
RANDY BRECKER tp.
GEORGE COLEMAN ts.
HORECE SILVER ep.
BOB CRANSHAW eb.
MICKEY ROKER ds.
ANDY BEY vo.
1970/4/8
SIDE B
RANDY BRECKER tp.
HOUSTON PERSON ts.
HORECE SILVER ep.
JIMMY LEWIS eb.
IDRIS MUHAMMAD ds.
GAIL NELSON vo.
JACKIE VERDELL vo.
1970/6/18
流石ホレス シルバー!、もの凄い名手ばかりだ。ホレスは最初に組んだクインテットから本物の一流しかグループに参加させないのは、60年代から逝去するまでのメンバーを見れば一目瞭然なのだけれど、これは言い変えれば一流がホレスの音楽を演奏したがるという証でもある。
この中ではクランショウ、ローカー、ブレッカーは確かにこの前後のレコーディングにもよく参加している点からして、本当にシルバークインテットのメンバーではあったろう。しかし、サックスのコールマンやヒューストンといえば、当時でも既に名の知れた名手だ。だけどこの後の録音にはもう参加はしていない。したがってそんな忙しい名手がこの1970年にだけホレスのグループにレギュラーとして加わったのかといえば、流石にそれはないと思う。なので、音楽自体がかなりサックスありきな印象を受ける点からしても、少なくともこの二人に関してはホレス自身からレコーディングのために参加を要望されたのではないかな。そしてホレスの頼みなら断る理由などないし、そうだとしても参加メンバーの魅力を1000%引き出すホレスの手腕には驚異的な冴えを認めざるを得ない。面白いのはA面はシルバーグループ色、B面は当時ジャズファンク路線を突っ走ったプレスティッジ色が濃い点だが、その理由はいまだにわからない。しかしB面に針を落とした途端にブッ放される猛烈ブリブリテナーの凄みは恐らくヒューストンにしか出来ないものだし、コールマンにしても誰も彼がここまで強烈なアプローチが出来るなんて気づかなかったものを引き出しているうえホレスらのリズムセクションが塊と化して煽りあげる様に雄叫びをあげてしまうのはこれまでの作品と全く同じである。いや、これが一番だ。
そしてこれは全参加メンバーにも言えることだ。もうジャズ=R&Bの楽しさ、ここに極まれりだ。だから流石としか言いようがない。
そんなホレスが本作で発表した素晴らしい楽曲は、当時、東洋思想などがウケていた世界音楽界でも大いに注目され、多くのアーティストに取り上げられた。まずNOBODY KNOWSというナンバーがこれから現在に至る多くのシンガーに取り上げられている。同じくアンディーが歌うTHE HAPPY MEDIUMもウケたらしく、翌年の5月にはチャールズ アーランドがSOUL STORY(Prestige 10018)というアルバムでヒューストンも交えてほとんど形を変えずに録音している(ヴォーカリストの表記は無し)。これらはホレス独特の斬新かつ親しみ易いメロディーに人々が魅せられたからこそ残されたものであり、これがジャズかどうかと言う問題よりもホレスがいかに天才的な音楽家だったかという証であると思う。
そんな中、本アルバムで最もシャレにならないくらいの感動と高尚さを合わせ持ったナンバーが、A面のラストを飾るPEACEである。ホレスファンもハードバップファンももうおわかりであろうホレスのファンキージャズ時代の名盤といわれる「BLOWIN’ THE BLUES AWAY(BN 4017)」に収録された名曲である。これはホレス逝去後に世界中のジャズの現場で追悼として演奏された曲で、ホレスにしか作り得ない傑出した楽曲なのは間違いないのだけど、ここでは只でも感動的なメロディーをあのアンディーが超絶とも言える感情の込め方で、実にソウルフルかつ黒人唱法丸出しのネチっこさで歌い上げている。もうここまでくれば黒人しか表しきれない表現であり、それは当時でもアンディーでしか出来なかった事だと断言しよう。ホレスが活動終了期まで自分の思想を表現するのにアンディーの歌に頼ったのはこれを聴けば理解出来る。まさに驚愕の一曲だ。
私事だが、僕は90年代いっぱいくらいまで関西で月刊プリーチャーというジャズのフリーペーパーの発行に携わっていた。そこでは人気コーナーで英語塾というのがあり、単にスタンダードのジャズソングの歌詞を和訳して紹介するというありきたりなものではなく、例えばライブ盤のMCの訳であったり、通しか知らないマニアックだが重要な歌の訳(スクールデイズ、ウィスキー ドリンキン ウーマンなど)を掲載して、ジャズの正体を探って行こうというものであった。これは本当に良い企画で今でもどこかで企画を継続してもらいたいと願っている。
実はここでこのPEACEを取り上げた事がありホレスの書いた歌詞を紹介していた。なのでこれを再掲する事で僕の様な煩悩にはこれっぽちも理解出来ないホレスの哲学とTHE UNITED STATES OF MINDの全貌が判る人には判るかも知れない。
PEACE by HORACE SILVER
There’s a place that I know as a Seeker one’s grove,
And that’s the place was They found
Where the cares of a day seems to slowly fade a way
Into glow of the evening Sun.
Peace in the day is done
If I go there I’d lay(and)Let my mind to obey for everything to be done.
If I search deep inside let my conscious be my guide,
then the answers are sure the come.
Don’t have to worry.
<中略>
When you find peace of mind leave your worries behind,
don’t say that “It can’t be done”
With a new part of you life to meatin’ come to you,
But the freedom you seek is one, and
Peace is for everyone.
Peace is for everyone.
ある所に求道者の森と呼ばれる地があり
まさしくそこは求道者
彼らによって見出された
そこでは日々の憂いも暮れ行く陽光とともにゆっくりと消え去り
心の安らぎが訪れる
そこでゆっくりと身を横たえ
感情を全て集中し覚醒した意識に従い
心の中を見渡すなら
一切に対する「答え」は見いだせる
何を恐れることがあるだろう
<中略>
そうして心が安らげば不安や傷みはもう忘れ去るべき
”出来ない”と思ってはいけない
新しい自分と出会えるときなのだし
「自由」は一つの道、そして
そうした心の安らぎは誰のものでもある
すべての
英訳、訳詩 繁治久美
翻訳者が耳で聞いた言葉で記しているため、一部ライナーノートの歌詞と違う所もあるが、翻訳者の感性を尊重して、そのまま掲載しました。
どうです?難しいですねー。え?わかった?では今すぐ入信しましょう。すみませんが、こんだけ力込めて紹介してるわりには煩悩ノータリンの僕にはちんぷんかんぷんです。ただ、公民権運動の煽りを受けてジャズミュージシャンもFreedomが合言葉になっていた時代に「自由は一つの道」と説いておられるのはクールな様な気がして興味深い。何にしても外国での称賛に比べて日本ではいまいち評判の芳しくないこの時代のホレスがいかに音楽家としてもジャズミュージシャンとしてもギラギラと輝きを放っていたか、少しでも感じていただければ幸いである。解っていない煩悩が言うのも何だが。
しかし僕のこのUNITED STATE OF MINDに対する思いは、今でも95%のジャズファンを洗脳したままの旧式ジャズ喫茶の教えが正しいと信じている人たちには全く解ってもらえないのがわかっている分悲しい。つまりジャズのガイド本を執筆しながら、この時点で日本の95%のジャズファンの賛同を得られないのを知っているのだ。
この長い章の前半部分に戻ってみよう。まず日本では「ソング フォー マイ ファーザー」が評価されたと同時にホレスの代表作としてしまった。そしてその後は(僕は全く思っていないけど)パッとしないとされる時期が続く。どうやらこの時点でホレスは忘れ去られたスターであるとジャズ喫茶族や評論家は決めつけてしまった様だ。
ここに思い切りエレクトリックで4ビートでもコルトレーン的でもない本作である。ジャズの求道者としてのストレートアヘッドなレコードで聴かれる崇拝すべきミュージシャンが、一人また一人と激変する人権運動やベトナム戦争を意識して、このまま平和に大人なジャズを聞いて年金生活に入りたいと願っているジャズ喫茶族を裏切っていた時代にホレスはエレクトリックに走った。当時ジャズ喫茶に入り浸っていた評論家はレコードを聴いてせめて音楽性だけでも理解しようなんて気は皆無で、ホレスを裏切り者扱いにして終わらせる段取りをジャズ喫茶内で決めつけてしまったのだ。こんな閉鎖的な空間でジャズ全体の未来が決められていたのが当時の日本のジャズメディアである。本作は恐らく新譜としてスイングジャーナルで評論家によって紹介されていると思うが、こんな状況の中で一体どんなことを書かれていたのか?読んでみたい気はするけども、多分読んだら呆れてそのまま後ろに倒れ頭打って死ぬと思うのでやめておくとしよう。元町でやっている一時ならジャズのために死ぬのもありかと思っていたが、そんな理由で死ぬのは情けなくて死にきれない。元町時代、尊敬の念で当然解ってくれるだろうとザット ヒーリン フィーリンを同い年のジャズ喫茶信奉者に聞かせたら「自分なあ、ホレスシルバーはソング フォー~で終わったんちゃうん?もっと真面目にやって欲しいわ。自分いっぺん勉強のために東北のベンジーに連れて行ったりたいわ」と言われた時の気分の悪さは一生引きずるだろう。
日本でUNITED STATE OF MINDが聞かれなかったもう一つの原因は、正しい大人のジャズを演って自分達の意のままになるはずのジャズミュージシャンが宗教に走るとは何ごとか、と言う偏見に加え、このUNITET STATE OF MINDを「人心連合」などと訳してしまったことだろう。
UNITED STATE OF MINDはネットで翻訳してみると「合衆国の精神」「心のアメリカ合衆国」とされる。つまりホレスはこの哲学をアメリカ合衆国への思い、または警告として宗教的なものとしたのだ。アルフレッド ライオン夫人で、夫婦で長年ホレスの理解者として支えたルース ライオンの手記(「ジャズ批評61 ハードバップカタログ」)によれば、「(ホレスは)かねてより志の高い詩人でまた宗教的、超自然的な現象に関心が深かった」とあるので、ここでは宗教であると話を進めてもいいだろう。
HORACE WARD TAVARES SILVERは1928年コネチカット州 ノーウォークで産まれた。コネチカットはニューヨークの北側に当たるが、合衆国では最初に入植が進んだ由緒ある地方の一つの州だ。そして彼の父(ソング フォー~のカバーのモデルとなった人物)はポルトガル領カーボベルデ出身である。カーボベルデというのはアフリカ大陸から西へ大西洋に浮かぶ島々からなる国で、国民はほぼ黒人であるが、同じアフリカ系アメリカ人でも奴隷としてアメリカに連れて来られたのではなく、移民として渡り大西洋側のコネチカット、マサチュチューセッツなどのニューイングランド地方で船乗りや漁業に従事した人が多かったそうである。なので同じアフロアメリカンでも奴隷を先祖に持つロバート ジョンソンやアートブレイキーやハンク モブレー、ケニー ドーハム、マイルス デイヴィス、マルコムX、マイケル ジャクソンらとは少し歴史が違う。そんな歴史を持つがゆえに公民権運動が活発な時にはカーボベルデの人々はなかなかその中核には入れなかったという。
そして母はアイルランドとアフリカ黒人の混血であるうえ、ネイティブアメリカンの血も入っているという。あのエキゾチックでカッコいい容姿を持つホレスはその生涯において容姿同様に常にミステリアスな存在であったが、その理由はそういう複雑で不思議なルーツを持つゆえのものだったのだ。
そんなルーツを持つホレスがアメリカを題材にした哲学をぶつけたUNITED STATE OF MINDの3部作にはアメリカを施したデザインも色合いも一切使用されておらず、本作のカバーではアラブ風のターバンを巻き、ネイティブアメリカン的な模様の衣服をまとっている。これも何かの主張なのか、ただ確実なのはアメリカへの思いとはいえ、あのトランプ元大統領が笑いを取ったアメリカでは無いことだけは確かで、母方の先祖であるネイティブアメリカンの精神を意識したものだったのではなかろうか。何にせよトランプの知らない世界のことだ。だから音楽が物凄いのだと思う。
小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながらDoodlin’再建と「炎のファンキージャズ」の紙媒体での書籍化
をもくろむ日々。
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