私がママになって必死に勉強したこと
発達の凸凹がわかる前、息子が2歳の時です。
児童館に行っても、本の読み聞かせが始まれば、他のみんなは座っているのに、息子1人ウロウロ
言葉を喋るのは遅い
座ってお絵描きなんて、興味ねぇ〜
とにかく、座らねぇ~
動きっぱなし。
発達検査とやらを当時受けてみたら、3歳なのに、なんと1歳半も遅れているという事実を突きつけられ…
さすがの私も、目の前真っ暗
その後、なんか色々言われましたが、その言葉が私の耳に入る事は、ありませんでした。
とにかく、やばい!
なんとかせねば!
早めに動けば、何かしたらなんとかなるはずや!!
普通に近づけるはずや!
そんな私が、今出来ることは…
療育だ!
すぐに動きました。
それでも半年は待ちましたけどね。
なんせ、気付いた所で、待ちが多いのがこの世界。
どれだけ、多くの人が発達凸凹に悩んでいるんだろう…
やっとこさ、療育に巡り会えた時には、4歳近くになっていたかもしれません。
ただその時の感動は、今でも忘れることが出来ません!
息子1人に対して、先生2人が丁寧に療育してくれ、そこは半年たつと卒業になるのですが、もうその半年間の事は、私の中で忘れられない出来事になりました。
私自身もどう、息子と関わればいいのか?を行くたびに、丁寧に教えてもらうことができました。
そして、息子は沢山のできる!を味わい、メキメキ成長していきました。
そこでです。
私も先生達の様な先生になりたい!
よし、保育士を取ろう!
決めてからの行動は、なかなか早いちゃぼはちです。
息子を幼稚園に預けている間、当時、勉強しかしていませんでした。
小学生の時に嫌でたまらなかったピアノも、同時進行で習い始めました。
猛勉強、猛特訓のおかげで、1年で取り終えたと思います。
まさか、アラフォーで国家資格を取るなんて思ってもみませんでした。
でも、人間やろう!と思えば、何とでもなるんちゃうか?と自信を持てたのも事実です。
今は、不登校息子がいる為、そんなに働く事はできないんですけどね。
それでも、緩〜くできる限り子供達や、保護者の方達と関わる仕事を続けていきたいなぁと思っています。
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