悔しさの塊

大学卒業してから部活でやってた陸上の話、書いたのは社会人でて数ヶ月のときのこと。

話しをする度に後悔する


高校は高2の冬までは遊び呆けて途中入部した。基礎中の基礎がしっかり作れてなくて、体幹もなければ知識もない。

大学も案の定途中入部、時間がなくなるとか大変だとか理由をつけて逃げていた。結局途中から入るものの中長距離から短距離への転向だから出遅れなんて表現じゃ表せなくて。そこは何くそ精神で人よりも倍やったりはしたけど、やっぱここで高校の時作れてなかった知識や考え方が響いてきて、効率の悪いトレーニングを繰り返してたと思う。


とは言っても最初の頃は練習すればするほど伸びたし上級生に近づいてる実感はあったから楽しくて特になにも考えなくても支障はなかった。でも大学の陸上そんな甘いもんでもなく日に日に伸び代が少なくなって、監督に怒られることもちょいちょい増えて結果ださないとキツく言われることを意識しすぎてた。そんな風に過ごしてたらいつのまにか何のために走るのかがわからなくなってたと思う。ご機嫌取りのために走ってるみたいな、そんな感じ。

そのあと一個上も引退したからそれこそ目標が皆無になって、だからあんとき辞めよっかなって気持ちも強くなったんだろう。
人に言われてすぐ流されてこういうとこでも自分は芯のない人間だから、具体的な目標設定を自分で設定する力が必要だった。


現役の頃、よく○○を意識するなんて目標もってはいたけど、練習になったらそんな抽象的な目標できっこないし、一時的なものだから月間とか長期的な目で見ると一貫性はないし。
期日とか内容とか可視化してだれでも成長したなと思われるような目標が立てられてなかった。

でも毎回目標シートは書いてたし逆算して数値用いて書いてた。あれを最大限に活用できればよかったんだけど、書いてこいって言われてただ書くだけの作業だったし、そもそもあれの重要性に自分で気付けなかったのは大きい。

ってのもあって大学はまったく伸びなかったし、ちょっとずつ解放的になってきた四年もすぐ引退関東大会も間に合わなかった。

こないだ同期に「あの関カレはメンバー落ちして走れなかったお前のために走った」 って言われた時は本当に嬉しかったし、改めて悔しさもこみ上げた。一緒に走りたいと思ってくれる期待に応えられなかったのがまじで申し訳なかったし、もっと練習しておけばっていうのは強かった。って思うから学生時代自分にできなかったことが数知れないほどあるなってことに気づく。

練習好き嫌いの問題じゃなくて、大前提として純粋に陸上そのものを楽しむことができてなかったなーと思う今までは。
逃避的だったからこんなことになってんでしょう、タラレバも多いのでしょう。

だからこそ卒業してから観に行く大会は、現役見ていた景色とは全く違った。自分はこの世界にはもう入れないんだなーって。


昔監督に怒られたこと、当時はふざけんなよとしか思えなかったけど、今振り返ると言いたいことはわかる、指導力は別として。危機感がないとかロジックが立てられてないとか、ほんとその通りだったな、痛感できる今こそ同じこと起こさないようにする。



これに関しては陸上競技はもちろん仕事も。

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