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私は宿題をやらない社会人


「人に優しく自分に厳しく」そんな人が称されることはあるが
僕はそんな聖人君子のような綺麗な人間ではない

人に厳しくしてる訳ではないが、とにかく自分に甘い。
妥協に妥協を重ねた日々
ちょっと難しいなと思ったら後回し、結果やらず
そのツケが回って成果に繋がらない、悔しい
でも自分の責任だし、そんな後悔せずにまた同じ繰り返しをする。

こんなことが常態化してきた気がする。
社会人界の「宿題をしない夏休みの小学生」だ。
(実際に当時宿題ももちろんやらなかった。)

とはいえこのままではやばいことは自覚してる。
なぜ頑張れないか踏ん張れないかを考えたとき、
「自分のために」の視点しかないことに気づいた。

・自分の成績のために勉強する、仕事する

こんなスタンスばっかだった。
自分のためにを原動力にした努力がどうにも苦手だ
でも、偏に想像力が足りないだけだったかもしれない。

自分が宿題をやらない→成績が悪くなる→成績が悪くなったらいい高校大学にも入れない→給料の安い休みも少ないところでしか働けなくて生活が苦しくなるかもしれない→うまくいってる人たちがより羨ましく見えてしまって精神的にも辛いかもしてれない→あまりに辛いと自殺願望が湧くかも知れない

めっちゃ大袈裟だけど、極端でもこんな想像力が働いてたらちょっとは変わってたかもしれない。
自己利益視点だったら、ここまで追い詰める必要がある。

でも自分が頑張れるのは他者利益が発生する時。
今までの人生でもそうだった。

友達の結婚式のために計画立案を一人でやった。
チームで勝てるために部活がんばった
同僚のために雑務を引き受けた
家族のために家事をやった

自分の原動力はこっちだった。
自分のやるべきことが誰かのためになることが明確だったらもっとがんばれるかもしれないし、妥協することなく結果にコミットさせようと踏ん張るかもしれない。

人生で一度も努力したことない人はそうそういないはず
そうだとしたら努力の背景には自己利益視点か他者利益視点のいずれかがあるはず。
もし今思うように頑張ることができてなかったら、それは視点の切り替えが必要なのかも。


どちらにおいても、目の前のことを取り組んだことによる先々の変化を考える想像力は必要そうだ。

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