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馬として生きるということ

先週末に開催された競馬のジャパンカップにてアーモンアイが引退しましたね。競馬に関してはにわかな私ですが、あのレースにはとても感動しました。

コントレイルとデアリングタクトとの3強、前半に逃げるキセキ、展開としてもラストランにふさわしいレースだったのではと思います。あれだけレベルが高く、接戦になるレースだとファンも魅了されます。(最近はCMでも「あれだけ走ってハナ差しかつかない?」というような内容もありました。)

今日書くのは、そんな「競馬」というビジネスの裏側の世界です。決して競馬を否定するわけではありません、私の思ったことと、理想論です。


今活躍してる競走馬は、過去に活躍してた競走馬が引退して種馬となり、そこから生を受けることがほとんどです。先日出走したコントレイルも、ディープインパクトの子供です。ただ、ディープインパクトが親となる子がすべて優秀というわけではありません、レースにもでれず活躍できない子もいます。

そういった子たちの行く先は
①牧場に買い取られる
②馬術馬に転向する
③殺処分
(完全に詳しいわけではないですが、大きくこの3つかと。違ったらすみません。)

現状は多くが③になっているらしいです。
①とか②で受け入れられた子はラッキーですが、受け入れ先に資金や環境的に余裕がなかったり、気性が荒く①②には向いてなかったりすると、残念ですが…といった感じです。

思ったことは「馬にも平等にセカンドチャンスを与えられたらいいのに」ということです。

競走馬の子として生まれたが故に、「競馬で活躍できない≒馬としての価値がほとんどない」という印象があります。

スポーツのプロ選手を例として、学校を卒業としてプロになり、結果によっては成績が悪く契約を切られることもあるでしょう。契約する側も金銭が発生するので仕方がないことです。ですが、そこでその人の人生は終了でしょうか。新しく働いたり、プロの経験を生かして育成をしたり、いろいろセカンドチャンスはあります。


馬と人なんて根本的に違うんだから、比較対象にするなという意見もあるかと思います。ですが、競馬という人間の道楽のために、競走馬として生まれても、成長が見込めないようであればほとんどが殺処分。まるでガチャガチャのようです。

冒頭にもお話したとおり、競馬を否定するつもりはさらさらございません。私としても今後も観戦はしますし、競馬からもらえる感動もありますので応援したいです。騎手や調教師という仕事も素晴らしいと思います。

馬術、農業をテーマにしてる漫画「銀の匙」でも、「一度失敗したら、もう挑戦しちゃいけないのか。障害馬術だって、一度失敗してももう一度跳べるチャンスがある」という内容があります。

障害馬術に限った話でなく、いつか馬全体にもこのようなチャンスが与えられる世の中になると、もっといいなと思います。


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