【不定記】子ども時代の親からの嘘

子どもの頃は親がすべてだった。
箸の使い方も靴下の履き方も親から習ったし、自分がどの保育園に通って、どの小学校に通って……ということも親に決めてもらった。
世の中のルールだって大抵は親から教わった気がする。
もちろん家庭によるだろうから、十把一絡げにはできないけれど大抵の家庭ではそうなのではないかと思っている。

だからこそ、親からの嘘は悪質で、それでいて尊いと思う。
親が言っているという理由で無条件に信じ、大人になるにつれて自然と嘘と分かり、自分の中からいつの間にか消えてなくなっている。
子どもの間は外で発信しない限り、嘘だとはわからず、口に出して初めて指摘され、恥をかく。
けれど、自分の内側や家庭内においておけば、自然に気付くまで当然のようにそこにいる。

エラく詩的な書き方をしてしまったが、別にそんなエモい内容ではなく、単に昔親に吐かれた嘘を思い出して、
「あれ、なんだったんだ?」
と思ったから書くだけである。

小さい頃からアレルギーが多い。
姉もアレルギー体質だったことから、俺もアレルギーを持っている可能性が高いだろうと判断した親は俺を病院に連れて行った。
やったことない人もいると思うので、説明するとアレルギー検査は血液検査である。
つまり注射だ。
子どもに注射することを伝えたら、大騒ぎするに決まっている。
おそらく俺も大暴れしたはず。
しかし、そういった検査の注射は子どもが普段打つ注射と違い、血液を抜く注射だ。
そのため、普段とは違う点がある。
腕を縛るやつだ。
注射が怖い上になんかよくわからん奴で、腕を縛られた俺はパニックだった。
そんな時、俺を病院に連れてきた父に
「これ(腕のゴム)、なに?」
と聞いた。

「注射針は尖ってるから、腕がそのままパックリ切れちゃわないよう止めるための奴だよ。」

こんなようなことを言ってた気がする。優しい顔をしていたことだけはハッキリ覚えている。
注射はめっちゃ怖かった。
暴れれば、腕が真っ二つになると思って。
そのまま大人しく受けた。

親からの嘘はやっぱり悪質だ。
俺はこの嘘をなんだかんだ中学生まで信じていたし、嘘を言われている自覚すらなかった。
しかし、もしあのまま注射針の前で暴れていたら、それこそケガのもとだ。
俺を暴れさせないための嘘、それに気づいたのはもう少し大人になってからだった。

子ども時代に吐かれた嘘が大人になるにつれて嘘であることに気付いて、さらに大人になって優しさであったと気付いて次第に忘れていってしまう。
嘘である時間が短すぎる。
大人になればなるほど、嘘でなくなってしまった。
やはり親からの嘘は悪質で尊い。

診断結果で体脂肪率が人生のピークを迎えていた。
大人になりつつあるのかもしれない。
これは嘘であって欲しかったな。