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【レビュー小説】10年前の君に捧ぐ『しょぼい起業で生きていく』

厳しい冬も過ぎ去ろうとする2月末。
私は卒業アルバムの個人写真の撮影とその下に載るメッセージを書くために大学に訪れていた。
「”卒業後は地球一周してカフェ開くからみんな来てね☆”っと。よし、今日はこれで終わり」
意気揚々と財布や鍵といった必要最低限のものしか入っていないバックを手に取り、書いた紙を職員に渡し教室を出た。特にやることもなかったので、近くのミスドでのんびり小説を読むことにした。

「ああ、本当恥ずかしい」

後ろから呆れた声が聞こえた。
独り言にしてはあまりに大きすぎたので、気になり思わず私は振り向く。そこには、ジーパンに分厚いニットを着た30歳くらいのおばさんが立っていた。

「本当、お花畑すぎ。何で☆つけちゃうかな」
「あなたは誰ですか……?」
「私は君だよ。10年後のだけど」
「はぁ………」

「信じられない?しょうがない、証拠を見せてあげよう。君が小学校5年生の時、好きな森田くんが怪我した時に渡したハンカチを洗わず半年くらい持ち歩いていた事でしょ〜。あと、体育を風邪で教室から見学していた時に、誰もいないのをいい事に好きな杉原くんのリコーダーを………」

「や、ちょっ、やめて。何勝手に他人の黒歴史暴いてんの!!」

私はおばさんがこれ以上何か喋らない様に口を必死に塞いだ。そして、誰か聞いてはいやしないか周りを確認する。

「少しは信じた?」
「強引すぎるわ」
「はは、ごめん」
「未来の自分が何しにここへ来たの?」
「あまり時間がないから、単刀直入に言うとさっき君が書いた夢、10年後も実現できてないよ」
「え……世界一周も?カフェ開業も?」
「そうそう」
「………」
「まだ信じられない?それじゃあ中学校の時の……」
「ちーがーう!!!詳しく話を聞かせて」

私は10年後の自分に学校を卒業してから今まで、どの様に生きていたか教えてもらった。

今、内定を貰っている会社に予定通り就職する。その後、信頼していたお客様に自分の夢を叶えるには果てしなくお金が必要だと諭されショックを受けることになる。それと、長年しみついた金銭感覚が中々取れず、ランチは毎回1000円近辺で済まし、夜は飲み会三昧。タクシー帰り。休日は旅行三昧。テレビやネットで話題になった健康美容便利グッズは即買い。など、散財しまくり実家暮らしにも関わらず、貯金ゼロと言う事態。

世界一周、カフェ開業の夢はいつの間にか消え去り、結婚後は貯金が足りずにヒーヒー言い、あの日々の自分を呪っているそうだ。
どうしてこうなるの……社会人コワイ。と震えてる私に未来の自分はとある本を置き消えていった。

『しょぼい起業で生きていく』 著:えらいてんちょう

1ページ目を開くと「読め」と書かれたメモが挟まっていた。私は、ミスドに向かい小説ではなく、真剣にこの本を読み進めることにした。







一気に最後まで本を読み、凝り固まった首や肩を回し、コーヒーを飲んで一息つく。

「おっ、読み終わった様だな小娘」
「突然こないでよ」

少し吹き出したコーヒーを紙ナプキンで拭く私をニヤニヤ笑い、眺めながら、未来の自分はフレンチクルーラーをひとちぎり食べた。

「で、どうだった?」
「今からでも出来るんだ。って思った」
「というと?」

私は未来の自分に51ページに書いてある”引越しのつもりで開業”の文を見せた。

「私、今まで店作るにはうん百万って費用がかかると思ってた。だから、この一文がすごく心に刺さったんだ」
「うんうん、それで?」
「物件探してみる」

私は”店舗 賃貸 東京”をキーワードにカフェが開けそうな物件をネットで探し始めた。すると、本に書かれていた通り、駅徒歩10分以内で月10万円の店舗がゴロゴロ出てきて、カフェ開業が一気に現実味を帯びてきた。

でも、今持っている貯金を合わせても物件を借りることしか出来ないと言うことが分かり、また肩を落とす。

もう一度、『しょぼい起業で生きていく』をぱらぱらめくり何かヒントが無いか見てみると、こんな一文があった。

それは、59から60ページにかけて書いてある”「資金を集めて店を借りて許可を取って設備を整えてから営業する」のではなく「店を借りて営業してるとお金が集まってくるので整備が整えられて、必要な許可を取らざるを得なくなる」“だ。

そうか。とりあえず店舗借りて開業しちゃおう。うまくいかなかったら実家に戻ればいい。

「ころころ気分が変わって忙しいやっちゃな」
「うるさい」




一ヶ月後、私は内定先であるIT企業に入社し、そこから少し遅れる形で家を飛び出し、首都圏からさほど遠く無い都内駅徒歩10分圏内の地に店舗を借り、しょぼい起業を始めることになった。

その名も「勉強喫茶スペース」名前は後で変えるつもりだ。

なぜ「勉強」かと言うと、私がIT初心者のため集中して勉強できるスペースが欲しかった(P60の物件借りてカラオケしようがヒント)のと、店には水回りしかなく冷蔵庫やコンロを揃えるお金がまだ無いので料理が出せない事情からだ。

幸いにも副業を認めてくれる会社だったので、平日昼間は会社員として働き、平日夜と土日祝日終日は勉強喫茶スペースとして開業を始めることができた。

といっても、開業直後は私しか客(?)はおらず、たまにくる同期たちと一緒に勉強するために、スペースを利用するのであった。
これがきっと”なんとなく活気がある店(P96)”に見えてるんだろうなと後に実感するようになる。

近所の学生がフラリと入ってきてくれたり、同期たちが友人を連れてきたり、その友人がまた別の人を連れてきたりとしょぼいなりにも徐々に人がくるようになってきた。

また、勉強のために来てくれた人達には、備品がないという理由で飲食を提供できないので、スペース代などはいただかずにいたら、いらない冷蔵庫やコンロが運びこまれていたり、勝手に掃除をしてくれたり、実家からの仕送りをおすそ分けしてくれる人が続出した。

それを他のお客様に提供していく内に、徐々にカフェっぽくなり始めてきたのだった。これが”正しいやりがい搾取(P85)”かとすごく感動していたら、この間、保健所が乗り込んできたので後日、慌てて食品衛生責任者の資格を取りに行った。

「半年で随分進歩したね」
「うん、全部あなたのおかげです」
「急に敬語なんて気持ち悪い」

閉店後、誰もいないお店で未来の私がいつのまにかやってきて晩酌をしていくのがいつの間にか日課になっていた。

「これでもう、安心だ。私とこの本はもう必要無いね」
「えっ………」
「この本がここにあると、とんでもないオーパーツになってしまうのよ」

未来の私は、持ち込んだ2本目のビール缶を豪快にプシュッと開け、グビグビ飲んだ。その音と共に、徐々に彼女の体が薄くなっていくのが分かった。

「そういえば、旦那さんと子供っ……未来が変わるとどうなっちゃうの?」
「心配すんな。そんな簡単に私と家族の縁は切れないから」

真っ赤になった顔で笑いながら未来の私と、すごくお世話になった『しょぼい起業で生きていく』は未来へ戻っていった。

◯△◇


後悔を挙げれば切りがないけれど、私は今この生活にたどり着いてそれなりに幸せで満足だ。だから今すぐ何か動き出すつもりはない。

でも、もし、大学卒業する前にこの本に出会っていたら、きっと物件を探して何かしょぼい起業をしていたと思う。
「いつか」じゃなくて「いま」できるんだよ。と言う方法を具体的に余すことなく教えてくれるのがこの本『しょぼい起業で生きていく』だ。

「いつか何か店をやろう」そう思っている誰かへ。一人でも多くこの本が届きます様に。


Special Thanks: ふぃるれこUG様、えらいてんちょう様




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