バイクショートショート ドートン/ヴァイパー
壁一面のジーンズの棚を見上げて奥本隆はため息をついた。
「この中から選ぶのか?」
「ジャージに革靴とか、ほんっとやめて欲しいんだけど。」
昨夜のリビングでの娘の志織と家内の会話に出て来た言葉だ。
「ミィんちのおとーさんとか、フツーにカッコいいんだけど、ウチのおとーさんて何であぁなの?」
ミィちゃん?1階下の竹下んとこの娘か、竹下なんか海山商事のダメ営業じゃねーか、こちとら萬々物産の激営業って呼ばれてんだ、おとーさんの方がオッサンなのはしょうがないじゃ無いか、しーちゃんは末っ子なんだから。
そうは言っても末っ子の娘に嫌われたらかなわんと、仕事の合間にジーンズショップに立ち寄った隆が学生時代以来のジーパン選びで途方に暮れかかった時、茶髪の若い店員が人を小馬鹿にしたような笑顔で近寄って来た。
「何かお探しですかぁ?」
「あぁ、久しぶりにジーパンをね。」
「何かお好みは有りますか?」
そう聞かれて咄嗟に
「あぁ、バイクに乗る時に履くんだけどね。」
と答えてしまった。
(バイクなんか学生時代以来乗ってねーっつーの。ま、空前のバイクブームだったから限定解除はしてるけどね)
ところが隆がそう言った途端、急に店員の眼が輝いた(ように見えた)。
「何に乗ってるんですか?」
「あぁ、ドートンのほれ、今度出る…」
「ヴァイパーっすか!?」
「あ、それそれ。」
「予約したんすね、すげー!」
先程までの小馬鹿にした顔から、店員の顔つきは羨望の眼差しに変わっていた。
結局、新品なのに何だか薄汚れたジーパンとチェックのシャツ、それからヘインズの3枚パックだの色々と買わされて店を出た隆は会社に戻った。隆は総合商社の繊維、それも高機能の特殊な繊維の輸入販売に関わる部署の課長だ。50歳手前で上場企業の課長なのだから、まぁ人並み以上の仕事はしているつもりである。とはいえ、この総合商社の中ではニッチな市場の部署だけあって部下の人数は少ない。営業は皆出払っていて、アシスタントの女性社員数名がパソコンのキーボードをカタカタと叩いていた。
空席になっている営業の島を見て隆はまたひとつため息をついた。入社6年目の川本の机の上にまたバイク雑誌が開いたままなのだ。川本にはそろそろ一人前になって欲しいのだが、いまだ仕事にムラがある。えっ?と思うような仕事を取って来たかと思えば事務処理が下手で納期に問題が出たりして、その都度隆が尻拭いをしていた。それでいて得意先から切られるかと言えば、評価は良かったりするものだから管理職としては扱いにくい部下のひとりなのである。人たらしと言えばそれまでなのだが考課にそんなものは反映出来ない。それでも憎めない川本を隆は常に気にかけていた。
そんな複雑な思いを胸に隆は雑誌を手に取ってひとり呟いた。
「ドートンもまた変わった事をしやがって。」
大阪に本社のあるドートンモーターも隆の部署の大得意である。この夏に発売予定の新型大型バイクのシートにも、隆が苦労の末に手配することが出来た特殊な合成皮革が使われているのだった。雑誌の見開きページにはその大型バイクの広告が掲載されていた。
「最後のクルーザー『ヴァイパー』予約開始。デリバリーは関東地方梅雨明け宣言翌日から」
とある。1600ccの大型バイクが荒野の一本道に停めてあり、その傍らでは埃まみれの若者がずた袋に背をもたれて頭から水をかぶっている写真が一面を飾っていた。
「ふん、カッコいーじゃねーか。」
隆が雑誌を眺めていると、新人の女子社員がお茶を持って近づいて来た。
「課長もバイク乗るんですか?」
その目もやはり羨望の眼差しに見えたのだった。
関東地方の梅雨明け宣言のあった週末、御殿場から富士山に向かってまっすぐ伸びる一本道を隆は納車されたばかりのドートンヴァイパーに乗って走っていた。右斜め前にも同じドートンヴァイパーが走っている。乗っているのは川本だ。この冬に結婚予定の彼女を後ろに乗せていた。
「まだ誰にも言ってないんすけど…。」
そう言って照れながら彼女を紹介されたのは、ほんの数時間前の事だった。川本と違ってしっかりした印象の彼女は道理で川本よりふたつ年上という事だった。
「川本くん、会社ではどうなんですか?」
口コミで評判のハンバーガーショップで3人分のハンバーガーを買うために行列に並んでいる川本を見ながら友紀子さんという彼女が聞いた。
「達川かな。」
「は?」
怪訝そうな顔の彼女に隆は続けて言った。
「プロ野球は見ますか?」
「はい、父親が広島出身で大のカープファンなんです。」
「そうですか。広島に達川というキャッチャーがいて、彼が新人の頃PL学園から鳴り物入りで入って来たライバルがいたんですよ、山中潔って言うんだけど。」
「達川さんは分かります。」
「僕は達川が好きでね。でも山中は守備が上手かった、特にワンバウンドの処理がね。それから何しろ男前だった。シュッとしてたんだ。」
「はい」
「野暮ったいんだけど、なんだかしぶとい働きをする達川が僕は好きだったなぁ。」
隆が遠い目をしてそう言うと彼女は少し嬉しそうな顔をした。
川本が戻って来て3人でハンバーガーを食べ終えると、3人はまた2台で走り出した。友紀子が席を外している間に川本から仲人を頼まれた事を思い出し、隆の鼻の奥がツンとした時だった
「カチョー!最高っすね!」
川本が能天気に叫んだ。
後ろに乗った彼女の被るメッキのヘルメットに入道雲が映り込んでいた。