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言葉にすることは、面倒臭い。

思考を言葉にする苦痛

私は文章を書くのが苦手だ。いや、正確に言えば、 "文章を書くプロセス" が苦手だ。

なぜか。それは、僕の頭の中で起こることと、それを言葉にする過程との間に大きなギャップがあるからだ。

ちょっと考えてみてほしい。
もしあなたが何か素晴らしいアイデアを思いついた時、どうするだろうか。

おそらく、頭の中でピーンと閃きが走るだろう。

でも、それを誰かに説明しようとすると、途端に言葉に詰まってしまう。

私が苦手だと感じるのは、まさにこの瞬間である。

私の場合、とあることを考えていると、まず結論が浮かぶ。
頭の中ではその結論は完璧なように思えている。

しかし、それを言葉にしようとすると、途端にもどかしさがこみ上げてくる。

なぜそう思ったのか、どういう経緯でその結論に至ったのか、そういった背景を全部説明しないと、相手に伝わらない。この「説明のプロセス」が、私には苦痛以外の何者でもないのだ。

例えば、新しいアプリのアイデアを思いついたとしよう。
頭の中ではそのアプリの機能や意義が完璧に描けている。でも、それを誰かに説明しようとすると、途端に言葉が足りなくなる。

だから多くの人は、デモやモックアップを作る。
言葉だけじゃ足りないから、視覚的な要素を加えるわけだ。

ここで有名な話がある。話し言葉でさえ、9割程度しか正確に伝わらないそうだ。メールや文書になると、さらにその伝達率は下がる。つまり、文章で考えを表現すること自体が難しいのに、それを相手が正確に理解する確率はさらに低いのである。

人間が持つ2つの言語化エンジン

これが「言語化」と呼ばれるものだ。

そして私は、この言語は人間が持つ2つのエンジンから構成されていると考えている。

一つは「考えを言葉に翻訳するエンジン
もう一つは「言葉を解釈するエンジン」だ。

問題は、このエンジンが人それぞれで異なることだ。

だからこそ、コミュニケーションは難しい。相手の言語能力や知識背景を考慮しながら、自分の言葉を選び、調整する必要がある。

結局のところ、私たちにできることは、このエンジンを鍛えることしかない。

しかし、ここでまた問題が生じる。

それは、僕がこのプロセスを嫌いだということだ。結論から思考が始まり、そこから説明を組み立てていく。この過程が、私には苦痛なのだ。

"言葉の海" を泳ぐ

だけど、ここで投げ出すわけにはいかない。なぜなら、言葉は人と人をつなぐ唯一の手段だからだ。

文章を書くこと、ひいては自分の思考を言語化することへの苦手意識。これは私だけじゃなく、多くの人が抱える悩みかもしれない。でも、この悩みこそが、私たちの思考と表現を深める機会になるんじゃないだろうか。

言葉の不完全さを認識しつつ、それでも伝えようとする努力。

相手の理解を想像しながら、自分の考えを整理する過程。

これは単なる文章作成の技術じゃない。思考を磨き、他者との繋がりを深める貴重な経験となる。

私自身、この「もどかしさ」との戦いを続けている。

でも、それは同時に自己との対話であり、他者理解への旅でもある。

この記事を書いている今も、僕は言葉と格闘している。
でも、少しずつでも、この過程を楽しめるようになりたいと思っている。

私はこの言葉の海で泳ぎ続ける。苦しくても、泳ぎ続ける努力をする。

この海で溺れないために。

そして、いつか自由自在に泳げるようになるために。


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