見出し画像

あるサティの思い出

 がらんと開けた茶色い敷地に、かつてのショッピングモールの面影はなかった。
 
 近所のサティがついに潰れたと知ったのは、閉店からしばらく経った後のことだった。
いや、閉店したこと自体はなんとなく頭の片隅にあったのだが、近所といえど自宅からはそこそこ距離があったので頻繁に通っていたわけでもなかったし、閉店してから数年経っても紅イモ色をした商業ビルは相変わらず敷地内にぽつねんと佇んでいたので、通りがかりに目に入ることはあったものの、あれがもう営業していない廃ビルであるという実感はそれほどなかったのだ。

 サティ。ご存知だろうか。ちょっとお高いショッピングモールとして、かつては全国区でその名を轟かせていた生活百貨店である。2011年のジャスコ経営統合をきっかけに全国のサティはその姿をイオンへと変えていったのだが、中には変化に乗り切れなかったサティも相当数いたはずで、うちの近所にあったような経営不振のサティは経営統合のどさくさに紛れるようにして次々と潰れていったのだ。
その頃には自宅のもっと近くに巨大なイオンモールができており、わざわざ旧サティ方面へ向かうこともほとんどなくなっていたので、その解体現場さえ目にすることはなく、気がついた頃にはかつてサティだった場所はただの更地になっていた。あの紅イモ色もすっかり消えうせ、平らに整地されただだっぴろい敷地の中で瓦礫の山と化したサティの残骸が掃き寄せられたゴミのように小さく固まっている。その光景を見た時に、初めて、ああ私の知っているあのサティは本当に潰れてしまったのだなあ、という実感がひしひしと込み上げてきた。


 今思えば、サティ閉店のきざしはもっとずっと前から現れていたように思う。
まず比較的目立たないテナントが相次いで消えていった。テナントの跡地に生まれた小さな空きスペースは、最初のうちは椅子を置いただけの休憩所や取って付けたようなゲームコーナーへと姿を変えていたのだが、撤退するテナントの数が増えるにつれて店内は徐々にがらんどうになっていき、しまいにはフロア全体が白い壁でざっくり仕切られただけの空白地帯になった。各階のエスカレーター脇に貼ってあるフロアガイドからはぽつりぽつりと店名が消え、代わりに紅イモ色の目張りが目に見えて増えていく。行くたびに何かしらのテナントがなくなっているという状態はもはやサティ館内でテナント間バトルロワイアルでも開催されているのかと思うくらいで、その熾烈な争いに最後まで勝ち残っていたのはなんとかいう家電販売店とモスバーガー程度だったように思う。むろんいずれの勝者も、本丸であるサティ閉店と同時に姿を消したのは言うまでもない。

 激減するテナントの数と反比例するように、店内もみずぼらしくなっていった。
三階の本屋脇にあった女子トイレの壁には誰かが蹴りでも入れたのか拳大の穴が空いていたのだが、黄色いビニールテープで雑に塞がれただけの穴はいつまで経っても修理される気配がないまま長いこと放置され続け、そうしているうちに補修代わりのテープさえも粘着が弱まってべろべろに剥がれていき、もはや補修どころか目隠しの役割すら果たしていない。こうなるとテープを綺麗に貼り直すかいっそ全て剥がしてしまった方が見栄え的にも数段ましだと思うのだが、店舗スタッフも何かを諦めてしまっているのか一向に張り直される気配がなく、相変わらず穴の周囲ではべろべろテープが換気扇の風に力なく揺れている。毎度そこのトイレを使うたびに「この店は近いうちに終わるのかもしれない」という終末めいた予感をテープべろべろの大穴から感じ取らずにはいられなかった。
もしかしたらトイレに穴が空けられた段階ですでにサティの閉店は決まっており、潰れゆく商業ビルのたかだかトイレの壁補修などに予算を掛けていられなかったという事情でもあったのかもしれない。だとしても閉店するその日まで客は入るのだから、せめてテープくらい貼り直せばよかったんじゃないかと思うのだが、いまさら言ったところでもうどうにもならない。
 ショッピングモールというものは数日で急に潰れるわけではない。普段と変わらず営業しているように見えて、内部からゆっくりと死んでいくのだ。生物の身体を内側から食い荒らす病魔のようである。
 
 学生時代、ここの本屋で四年ほどバイトをしていた。トイレの壁に例の大穴が空けられる少し前の話である。タウンワークでたまたま目に付いたからという理由で応募したそこは、まあ自宅からは自転車で少し距離があるかな程度の認識だったのだが、実際に向かってみると結構な距離である上にサティまで続く坂道が思いのほかきつかったので、片道二十分掛けてようやく辿り着いた頃には応募したことを半ば悔やみ始めていた。しかし面接の時に、イラストが趣味ですということを話の流れで口走ってしまったばっかりに、じゃあポップ担当ね、ということでその時点で雇用がほぼ確定してしまったのだ。いまさら家から遠いので辞退しますとは言えなかった。
 その頃のサティにはすでに過疎化のきざしがあったものの、休日などはまだそこそこ若者や家族連れで賑わっており、そこの本屋は特にコミック系が強かったからだろうか、バイト仲間も私と同年代の若者が多かった。その中で最も印象に残っているのが地蔵こと笠原くんである。
下の名前は伏せるが、私より数年前にアルバイトとして入社していた彼はその頃たしか大学二年生だったはずである。気のいい先輩達から『地蔵』と呼ばれていた彼は別にお地蔵様のように無口だったわけでも大人しかったわけでもなく、単に笠原という名字から呼び名が『傘地蔵』になり、そのうちに傘が取れてただの『地蔵』になったということで、いかにも物静かなあだ名からは想像も付かないほど明るく、私の偏見かもしれないが、いかにも文系大学テニスサークルに所属していそうなキラキラした陽のオーラを全身から漂わせていた。そしてそれは、彼がテニスではなく手品サークルに所属しているという事を除けばおおむね事実であった。

 地蔵はとにかく人に好かれた。話す話題も面白く、私は地蔵から少し離れたところで品出しをしながら話の内容にひっそりと耳を傾けていた。遠いので辞めますという言葉を無理に飲み込んで遠い坂道をひいこら言いながら自転車で通い続けている私には真似のできないまぶしさを、地蔵はその周囲へ常に振りまいていた。それほど印象が強いのに、今思い返してみると個人的に地蔵と世間話をした覚えがまるでないのが不思議なのだが、多分シフトが地蔵と絶望的に合わなかったか、地蔵の目に私が止まらなかったかのいずれかなのだと思う。どうも後者らしい。類は友を呼ぶということわざの通り、閉店間際のカウンターで地蔵と談笑しているのは大抵地蔵と同じくらいコミュ力の高そうなバイト仲間であった。私はそこから少し離れたレジでただ黙々と売上金を数え、たまに手を滑らせて十円玉を床にぶちまけると見かねた地蔵がそれを一緒になって拾ってくれたような思い出はあるにはあるのだが、人間の記憶というものは都合よく改竄されるのでそれが果たして正規の思い出かは分からない。
真意は不明だが、地蔵が私とあまり話をしなかったというのは事実だ。

 仕事にも慣れ始めたある日、たまたま同じシフトに入っていたバイト仲間に「私は地蔵に嫌われているのかもしれない」と打ち明けると、彼女はそんなこと何でもないように笑って、
「自意識過剰じゃない? あいつ、話すやつとは話すけど、人のこと避けたりするタイプじゃないし、べつにあなたの事が特別嫌いってわけじゃないと思うよ」
 と言った。自意識過剰。そうかもしれない。シフトの休み希望一つ入れるのにも他のバイト仲間との兼ね合いや仕事の忙しさを気にしてしまい、結局いつも人より遅れて休み希望を出すのが私だ。当時の私は、周囲に気を回しすぎるせいでかえって周囲に迷惑を掛けるタイプの自意識過剰人間だった。ここにいるよとアピールしたくとも周囲の目が気になるせいで自ら影に引っ込んでいく、キラキラ地蔵とはおよそ真逆の人種である。月とスッポン、水と油どころの話ではない。
彼女が私を励まそうとしてそう言ったのか、それとも多少なりとも侮蔑の気持ちが含まれていたのか、それは今考えてもどちらとも言えない。ただ彼女も類友の法則に漏れず、明るい茶髪をふわっとカールさせて常にばっちり化粧を怠らないキラキラ人間であった事はしっかり覚えている。私は彼女のそのキラキラが少しうらやましく、しかし片道二十分の自転車通勤ではいくら髪を綺麗にセットしたところであえなく崩れてしまうだろうし、慣れない化粧を施しても汗でぐしゃぐしゃになるのが関の山だ。地蔵をはじめとしたキラキラ人種に対する好奇心と憧れとわずかな羨望を抱きながらレジ金をぶちまける冴えない日々は二年ほど続いた。
 
 地蔵がバイトに来なくなったのは、私が勤め始めてから二年目の九月であった。月初に渡されたシフト表に『笠原』の苗字はどこにもなく、先輩と私の苗字に挟まれた名前欄とシフト欄は一ヶ月ずっと空白だった。一身上の都合です、という説明が店長からなされたが、地蔵についての話はそれだけで終わった。

彼がバイトをクビになったと知ったのは、それから二日ほど後のことだった。

 ある種のコミックには外付けのノベルティが付く。それらは非売品であるが故に人気も高く、ノベルティ目当てに本屋をはしごする客もいるのだが、地蔵はどうやらそのノベルティを不正に持ち出してはネットオークションで売っていたようなのである。書籍の在庫とノベルティの数が頻繁に合わなくなることを不審に思った店長が、地蔵を——在庫が合わなくなるのは決まって彼が遅番のシフトに入っている日だったらしい——問い詰めて発覚したということだ。
地蔵が持ち出していたのはノベルティだけではなく、宣材として入ってくるポスターやイラストポップ、果ては店頭展開用に描き下ろされたサイン入り色紙までこっそり盗んでは高値で売りさばいていたのだという。にわかには信じがたい話だった。

 その日から、地蔵の姿をサティの中で見かけることは一切なくなった。それまで地蔵とつるんでいたバイト仲間も、その日以来、彼を話題に出すことはほとんどなくなった。たまに、思い出したようにふっと話題に上る程度で、辞めた事情が事情なので地蔵のことを口に出すのもなんとなくはばかられたのだろう。あれほど人気者だった地蔵がそんなことに手を出していたという事実が私には衝撃だったのだが、その反面、やっぱり、という謎の納得感も心の内には確かにあった。私の勝手な偏見だとしても、彼のまとっている華やかなオーラの奥には、なにか後ろ暗いものが隠れているような気配があった。そしてそれを、私はひそかに羨ましく思っていた。良くも悪くも、地蔵は決して私には真似のできない生き方をしていた人物だった。
 女子トイレに空けられたあの大穴、もしかしたら、と、そんなことがちらりと頭をよぎった。地蔵が今どこで何をしているのか、私は知らない。
 
 整地された元サティの敷地をぼんやり眺めながらそこまで考えた。
 先に申し上げた話は九割がた嘘だ。五分かそこらでこしらえた嘘の思い出話である。くだんの本屋は確かにあるにはあったが私のバイト先はそこではなく、サティ方面とはまるで真逆の、もっと近いイオンモールに入っている写真屋だった。文系大で手品サークルに所属しているキラキラ陽キャの地蔵くんもそこにはいなかった。むろんクビの話も嘘であるが、非売品のノベルティを持ち出して転売するというのは普通に犯罪なので仮に本当だとしたらクビじゃ済まないはずである。かつてサティだった敷地のがらんと開けた風景を見ているうちに、ノスタルジーにかられてそんなありもしない記憶を捏造してしまった。

 更地になった元サティの上に何が建つのか、詳しいことは定かではないが、また新たなショッピングモールが建つのだとしたらそこが長命であることを、そして願わくば見飽きたイオンモールではないことを祈るのみである。

江古田にコーヒーおごってあげてもいいよ、という方はどうぞこちらから。あなたの善意がガラ通りの取材を後押しします。