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創作者が冬季うつに立ち向かうためのライフハック術

はじめに〜ここだけでもいいですから〜

記事のポイントは以下の通り。

感覚に意識を持っていけ
・なるべくでいいから体を動かせ
・決まった時間に寝起きしろ
・納豆ご飯、卵かけご飯一杯でもいいから三食きちんと食え
・創作はしばらくあきらめろ、いずれまたやりたくなるから
・もし創作したくなったら、ぼんやりできることをやれ
・どんなに好きでもホラーや暴力系の創作を見るのはしばらくやめとけ

本当に疲れてるならとりあえず上記のことを気に留めてくれるだけでいい。
続きを読むのは少しでも元気を取り戻してからでいいのだ。生きてくれ。

ということでここから本題です。


「死にそうだけれどどうすればいいか分からない」という状態がある。

のっけから重い話になってしまった。
私は趣味で小説だのモキュメンタリーだのをいろいろ書いている物書きである。賞を取る、プロを目指すといった大それた目標があるわけではなく、物書きとして飯を食っているわけでもないのだが、それでも常になにかを書いていないと脳がむくんでくるような感じがしてくる。常になにかを創作し続けていないと落ち着かない。いわゆる「創作していないと死ぬ系の人」である。常に活動していないと死んでしまうという性質をなぞらえてか、界隈ではマグロ系創作者とも言うらしい。

そして、私事だが、毎年冬になると私は「冬季うつ状態」になる。極端な気温低下や気圧変化を受けると、その後しばらく経って、ずどん、と気持ちが落ち込むのである。暖かくなると落ち着くのだが、その最中の辛さたるや言いようもない。また、季節の変わり目にも同じ症状に陥りやすい。

冬季うつ病とは、季節の変化が原因となる季節性うつ病のひとつです。秋から冬に症状があらわれ、春先になると自然に回復していきます。成人前後から徐々に発症し、男性よりも女性に多くみられます。一度発症すると毎年繰り返すことが多いため、原因と特徴をよく理解して対処することが重要です。

『DRUGユタカ ゆたか倶楽』より引用

冬季うつ病の原因は、日照量不足であるといわれています。緯度が高く日照時間の短い北国ほど、冬季うつ病の発症率が高いことがわかっています。一般的なうつ病と大きく異なるのは、過食・眠気といった症状があらわれやすいことです。人類の祖先が冬に備えて栄養を蓄え、静かに過ごす準備をしたことや、それよりずっと以前の進化過程にあった冬眠習性の名残かもしれません。

『DRUGユタカ ゆたか倶楽部』より引用

自覚症状はざっと以下の通り。これが毎冬、5〜6年ほど続いている。

・めまい、倦怠感、頭の重さ
・頭の回転の極端な低下(言葉が出てこない、考えがまとまらない、創作できない
・食欲減退、かと思えば甘いものばかり欲しくなる
・極端な気分の落ち込み
・常に眠い
・希死念慮(いわゆる「死にたい」と思う気持ち)

原因は主に日照不足によるセロトニン量の低下が挙げられるらしいが、それ以外にも当人の気質や生活習慣など、さまざまな要因があるようだ。何千年前からの冬眠の名残なんかとっととかなぐり捨てて文明社会的に肉体のアップデートをしてもらいたい、そうでなければいっそのこと全人類そろって冬眠しちゃえよとヤケになりたくもなる。進化せよ、人類。
春になればいずれ回復はする(多分)のだが、冬季うつの最中は心身ともにとてもしんどいし、頭がろくに働かないのだから実生活に、そして創作活動にもバンバン支障が出る。創作をしないと死んでしまう人間が、創作活動を脳ごと封じられてしまう。
泳げないマグロ。
それが冬季うつ状態。きわめて厄介である。

ならさっさと病院へ行け、という話なのだが、いろいろな理由で病院へ行けない、行きづらいという場合もあるのだ。私もそうである。近場によい病院がなかったり、家庭の事情があったり、予約がなかなか取れなかったり。受診できたとしても、休養以外になすべき方法がない、という場合もある。
※個人的に受診をしない理由としては、仕事柄、休職を勧められても毎冬まとまった休みをとることができないから、診断が降りたところでどうしようもない……というもの。他にもあるけどね。なお今回は「いまを生き延びる」ことに焦点を当てるので、転職など環境を大きく変えることについては言及しません。

そこで、「自助」で乗り切ろう、と思い立った。

最初に断っておくが、この記事は決してうつ状態の改善を約束するものではない。また精神科・心療内科の受診を否定するものでもない。命の危険がすぐそこまで差し迫っている状況なら、何があっても他者の手を頼った方がいい。
ただ、助けを求めたくてもできない環境に陥ることは珍しくない。とりあえず病院にかかろうと思っても、思い立ったその日にすぐ受診できるとは限らず、ひょっとすると月単位で待つこともあるかもしれない。評判の良いところってやっぱり相当に混みます。
数週間、数カ月先ではなく、今この瞬間の辛さをどうにかしたい。そういった精神の非常時に、とりあえずの安全圏まで自分の命をつなぐために模索している自己流メンタルサバイバル術をいくつかまとめた。
なんならこの記事を書いている今も冬季うつ状態真っ只中だし、どうすれば楽になるかを試行錯誤している状態である。この記事を書くこと自体が自助の一つではあるのだが、それは後ほど創作の項目で触れます。

ここから紹介するのは「創作者ができる限り自助努力で冬季うつと向き合う方法」である。まずは生活を立て直して、その次に創作を立て直す。そのための方法。
以下に紹介するものの中には、本で読んだものや、人から聞いたアドバイスもたくさんある。それらを肝心なときに忘れないよう逐一まとめたもので、つまり個人的な備忘録でもある。たぶん今年の冬、そして季節の変わり目にまたメンタルを崩すであろう自律神経ガタガタな自分に向けた備忘録。
この個人的な取り組みが他の人にも効くかどうかは分からないが、少なくとも一つや二つは参考になることがあれば幸いです。

※2023/1/11追記
この記事はあくまで「自分でできる自分なりの対策」をまとめたものです。高照度光療法や投薬治療など、冬季うつに対する医療的アプローチもあります。思い当たる症状があり、なおかつ受診できる環境がある場合はまず精神科の受診をおすすめします。冬季うつの発症には他の要因が隠れている可能性もあるため、この記事のみで「私は冬季うつだ!」と自己判断することは避けてください。


生活について

そもそも「自助」とは

ここで言う「自助」とは「人を一切頼らない、全てを一人で乗り越える」という意味ではなく「自分の機嫌を取れるのは自分だけという自覚を持ち、そのために使えるものや知識はどんどこ積極的に使っていくし、人を頼っても大丈夫そうな時は負担にならない範囲で頼る」というものである。おんぶにだっこを求めるのではなく、正しく頼る。
正直言ってしまえば今この瞬間だって誰彼構わずべったり甘えたいし支えられたい。一度でもメンタルを病むと、不調時に自分で自分を支え続けることが本当に難しくなるのだ。Twitter上でメンタル系の話題になるとたまに言及される「理解ある彼くん」を(その実在性はさておき)病んだ心は無意識に求めてしまう。

しかしそんなものはいない。投げやりではなく、これは事実だ。

周囲を頼ってしまうのは甘えではない。弱った時に周囲の仲間へ助けを求めるのは、群れで生きる生き物として当然の反応である。
しかし他人には他人の生活がある。もし周囲に「なにかあったら頼ってよ」と言ってくれる人がいたとしても、それは「24時間365日いつでもあなたの為に駆けつけます」という意味ではない。どれほど親切な人でも、自分の生活をまるきり犠牲にしてまで他人を助けられるということは(ほぼ)ないのだ。
自分はそんなことしないよ、と常日頃から思っている場合でも、いったん心が弱ると歯止めがきかなくなってしまうものである。「辛かったら話を聞くよ」という言葉を額面通りに受けとって、毎日のように「死にたい」「辛い」と吐き出し続けていたら、しまいに相手からNOを突きつけられてしまった、という話はよくある。その結果、あの人なら助けてくれると思っていたのに裏切られた……とさらに傷ついてしまうことも非常に多い。

他人を唯一の拠り所とした時、その先にあるのは「依存」である。
辛いとき、寄り添ってくれる誰かがいるのは幸せなことである。しかし、その人に依存し続けたとして、仮にその人がいなくなり、その状態でメンタルの調子を崩してしまった時、誰が自分を世話してくれるのだろうか。

極端な例だったかもしれない。しかし他人に甘えるというのはクセになる。
人を頼るなという意味ではない。この記事だって、いろんな人のアドバイスやハウツー、ライフハックを取り入れて書いている。人を頼ることも手段のひとつにしつつ、冬季うつ状態に立ち向かう、あるいはやり過ごすための手札を増やしていくことこそが、自分なりの「自助」であると考えている。

「方法と実践さえあれば、自分で自分を立て直すことができる」
このことを強く胸に刻んで、具体的な対策を取っていきたい。


考え方について〜マインドフルネスで生きよう〜

動物動画とか観ろ!ぼんやりしろ!

マインドフルネスという言葉をいろんな所で目にするようになった。いわゆる「今この瞬間への気づき」というやつ。このワードに自己啓発的なうさんくささを感じる人もいるだろうが、別に後ろ暗いものは何もなく(うさんくささを感じるのは関連ビジネスのせいだと思ってる)、もともとは仏教由来の概念である。

マインドフルネス(英: mindfulness)とは、現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程である。 瞑想、およびその他の訓練を通じて発達させることができるとされる。
語義として「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに捕らわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。 しかし、とりわけ新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する。

Wikipedia『マインドフルネス』より

本来のマインドフルネスはリラックスや能力開花を目的としたものではない、など議論されることがあるが、それは置いておいて、内心の辛さに囚われがちなうつ状態の脳みそにとってこれは非常に有効だ。ろくに頭も働かない状態でメンタルの深い沼へ落ち込むのを避けるには「死にたい気持ちから一瞬でも気を逸らすこと」がなにより重要なのである。正気に戻るのだ。

マインドフルネス瞑想の方法として最も広く知られているのは「呼吸に集中する」というもの。鼻から吸って、口から大きく吐く、この一連の流れに集中して、それ以外の思考は全てわきに置いておく。コツは「あ、息を吸っているな」「空気が喉に入ってきたな」「肺が膨らんでいるな」「唇に空気が触れているな」など、ASMR動画でも眺めるように、ボサーっと「自分の身体に起きていることを眺める」ことである。無理して「呼吸に集中しなきゃ!」と気負う必要はない。
……と、マインドフルネスに関する本を読むとだいたいこんな具合に書いてある。だが個人的には「身体感覚」に集中することがマインドフルネスの第一歩だと思っている。
実際にこの呼吸瞑想をやってみると最初はかなり難しい。「なにも考えないようにしなきゃ」「呼吸に集中しなきゃ」と、今度はそっちの思考で頭が一杯になりリラックスどころではない。うつ状態に陥り、マイナス思考ぐるぐるになってしまった脳みそならなおさらである。
呼吸にこだわらなくてもよい。香りを感じながらゆっくりお茶を飲むのも、味に集中してお菓子をポリポリつまむのも、すべて「しんどい気持ち」から一瞬でも気を逸らしてくれるマインドフルネス的手段である。起き上がるなんてとてもできない、という時でも、頭の中のもやもやをとりあえず脇に置いておいて、布団のぬくもりと柔らかさを皮膚感覚でじっくり味わうことはできる。
必要なのは、頭の中にぐるぐる渦巻くマイナス思考の沼から「今生きているこの身体の感覚」に戻るため、ほんのちょっぴり頑張ってみること、そしてそれを常日頃から意識することなのだ。

断っておくが、マインドフルネスに劇的な即効性はないし、抱える問題がすぐさま解決するわけでもない。というかそもそもマインドフルネス自体、「いまこの瞬間に注意を向ける過程」であって「メンタルの問題をなんでもかんでも解決してくれるもの」ではない。もしそういう効果を大々的に謳ってる高額セミナーやサロンがあったら気の迷いでうっかりポチる前にすぐそこから離れてください。
しかしマインドフルネスによって「しんどい」「死にたい」という気持ちを客観的に眺められるようになることで、しんどさから距離を取り、冷静に対処ができるようになるのだ。これは本当のことである。二年くらい実践してる私が保証する。

その上で「もう少しマインドフルネスについて学びたい」という方におすすめの本があります(アフィリエイトじゃないです)。

マインドフルネスについてはいろんな書籍やアプリなどで実践してきたが、この本がめちゃめちゃにおすすめ。
仏教の考え方や禅寺での修行を「プチ修行」として、よりカジュアルに行えるよう考案された、現役のお坊さんによる本である。仏教ベースの本ではあるものの、難しい教えやディープな宗教観はなし。うつ状態を切り抜ける上で重要な「マインドフルネス=いまこの瞬間への集中」を、分かりやすく、様々な方法で手軽に実践できる。文体も柔らかくユーモア溢れるもので、疲れてる時でも比較的読みやすい。あとKindleで読めます。
「シャワーを浴びる」「あったかい屋内でぬくぬく」「目的を決めて散歩」。これらは実際に本誌で紹介されている「プチ修行」のひとつ。こうしたありふれた日常生活も、心持ちひとつで「死にたい」から心を逸らすための大きな武器になるのだ。
ちなみに「ネコを愛でる」という項目もある。裏表のない動物の愛らしさを心ゆくまで愛で、その愛情にひたる。実物でなくても、動物動画でもよいとのこと。とっつきやすいでしょう。興味を持たれた方はとりあえず立ち読みからどうぞ。
いきなり「呼吸に集中」と言われても最初の頃はなかなか難しいから、日常生活の動作をそのまま「プチ修行」として活用できるこの本はとても重宝してます。

ついでにもうひとつ、おすすめ紹介。
ぼんやり見られる動物動画である。過剰な動画演出や字幕、BGMなどで画面がうるさいのが苦手、という方もいるだろう(私も疲れてるときは避けたい派です)。そんな時に「bird feeder」でyoutube検索すると、野鳥やリスがおしゃれなフィーダーで延々と餌を食べるだけの映像(ほとんどが定点カメラでナレーションなし)が沢山ヒットします。
どれもだいたい1時間くらいある。シードをついばむヤマガラや、クルミを強奪するアカリスなどを、のんびりたっぷり眺められます。

動物動画をぼんやり観るというのも立派なプチ修行で、療養のための努力である。そう考えると気軽に実践できそうじゃないですか。


食べ物について〜なっとうごはん〜

とりあえず納豆を食え!卵を食え!以上!

冬季うつの時に何を食べればいいかについてお医者さんのコラムなどを調べても、だいたい「栄養バランスの整った食事をしましょう」としか出ないのだから途方に暮れる。そんなざっくりしたアドバイスで改善するなら毎年メンタル病んでない。かと思えば、やれタンパク質がいいだのビタミンBが効くだのセロトニンだのナイアシンだのサプリだスムージーだなんやかんや、今度は情報の洪水である。
いや、うつ状態の改善に効果のある栄養素も確かにあるんだろうけど、正直ごはんを食べるのもやっとだという時にそんなせせこましい事まで考えていられない。自分でもワガママだと思うが、自分で思っているより己の脳みそは疲弊しきっているということを決して忘れてはいけない。「脳のためになにを食べたらいいか」でくたびれてしまっては本末転倒である。

メンタルの改善になにが効くか、一応調べてはいる。

・たんぱく質
・鉄分
・トリプトファン
・ナイアシン
・ビタミンB6


分かってはいる。分かってはいるけど脳がぼんやりしている状態のときに「この栄養素が多く含まれるのはこの食品で……」とか考えられますか。私は無理です。栄養を効果的に取り入れるのは、心身がある程度回復してからでいい。とりあえず今を乗り切れればいいのだ。とはいえ、脳みそが疲れている時はふりかけごはんとか食パン一枚とかで済ませがちである。

そういう時に「納豆ごはん」

調べた限り、先に挙げた栄養素は大豆製品に比較的多く含まれているらしい。その上、温めたごはんに掛けるだけなので準備が簡単、ふりかけごはんより栄養がある、ずっと食べても飽きづらい(個人の感想)。栄養うんぬんは正直プラシーボ効果もあるかもしれないのだが、食パン一枚よりバランスの取れた食事であることは間違いない。
ずっと納豆ごはんさえ食べてればなんとかなると言うわけではないが、なんも食べる気がしない時にお菓子だけで済ませたりするよりは数段マシである。納豆に飽きたら卵かけごはん猫まんまバナナ牛乳でもいいんじゃないかと考えている(どの組み合わせもタンパク質とトリプトファンが効率的に摂れるそうです)。バナナ牛乳は腹持ちがそれほどよくないので、オートミール混ぜてチンしたり、溶き卵を足してバナナミルクセーキにしてもいいかもしれない。
これだけ食べればなんとかなる!的な思考の「だけ食べ」を推奨しているわけではないが、食べたいものが思い浮かばない時に「とりあえずこれさえあれば……」という選択肢があると気持ちがずいぶん楽である。
朝ご飯に納豆、弁当に納豆、夕飯も納豆、とかでもいいのではないでしょうか。私もやってます。合間に野菜も挟んでいただければなおよいです。

余談だが、冬季うつ状態の最中は体重が増えやすいと感じる。「はじめに」でも触れた冬眠の名残りなのかもしれないが、数日で2キロ以上増えているとちょっと驚くし悲しくなる。2キロって500mlのペットボトル四本分、それがこの数日で……と考えると恐ろしい。
なので言う。体重計には乗るな。身体がエネルギーを節約しようとしているのから、体重が増えるのは当たり前といえば当たり前のことである。いずれ冬季うつが抜けたら体重もそのうち落ちるので、体重のことはあまり気にしないほうがよいが、ただ糖質の摂りすぎと過食には気をつけたい。普段よりご飯を気持ち少なめによそるようにしたり、お菓子をドカ食いすることのないよう気をつけています。それでも体重が増えるからもうこれは仕方ない。
あと買い食いが増えがちなのでそこも注意。極力コンビニに寄るな。冬のホットスナックって本当に抗えないから。おいしいけどね。


睡眠について〜過眠、かと思えば不眠との闘い〜

いろいろ考えそうになったらひたすら布団を揉め!

うつ状態と冬季うつ状態との大きな違いは、食欲と睡眠に対して顕著に現れるらしい。食が細くなり、眠れなくなるのが一般的なうつ状態。それに対して、過食、過眠しがちになるのが冬季うつ状態。症状は違えど、どちらも脳の異常であることに違いはない。また、アメリカ精神医学会が出版している精神疾患の診断基準・診断分類である「DSM-5」において、冬季うつはうつ病のひとつとして分類されている。気のせいや甘えでは決してないのだ。
「食って寝れるんならどこもおかしい所なんてないじゃないか」などと言う人もいるかもしれないが、いくら寝ても眠い、意識が一日中はっきりしない、というのは相当きついし、実生活でのミスも格段に増える。
ちなみにこの冬季うつ(季節性うつとも)自体は1980年代から提唱されていたとのことで、それほど最近生まれた概念ではないのだ。冬季うつは甘え、昔はなかったなんてのたまう人がいたら教えてください。私が殴りに行きます。

とにかく眠い。眠いというより意識がはっきりしない。トイレでうずくまったまま朦朧とすることなんかしょっちゅうある。歩いていて「あ、これ今なら道端で眠れるな」とさえ思う。
正直、日中の眠さに対するベストな対処法はいまだに見つかっていない。こればっかりは、なるべく身体を動かすようにするとか、常に刺激に触れさせるとか、意地でも寝ないようにするといった根性論での対処に頼るほかないのだ。車の運転もできれば避けたほうがいいし、なにかをする時はしつこいくらいに確認をするくらいでちょうどいい。大事な仕事があるような時は、周囲の人に「この時期はめまいがするので、ミスがあるといけないので確認作業の際は一緒にお手伝いしていただけますか?」と、症状をボカして一言添えるのも有効である。「頭がぼんやりする」「意識がはっきりしない」というのは言いづらいが、「めまいがする」だと結構言いやすかったりする。
ほかに私が取っている対策としては、どんなに辛くても朝は決まった時間に起きて日光を浴びる(就寝時にあらかじめカーテンを少し開けておくといいです)、遅くまで起きて脳に刺激を与えない、などありふれたものしかない。
これについては皆様のお知恵をお借りしたい。この方法で過眠を乗り切っています、などの対処があればコメント等でぜひシェアしてください。

かと言って夜はぐっすり眠れるのかといえばそういうわけでもない。夜は夜で、バツンと電気が消されるような感覚で意識を失う時もあれば、妙に目が冴えて布団の中でごろごろもだもだ、気づけば布団に入ってから2時間が経過……という時もある。もうなんかどっちかであってほしい。もともと幼少期から寝付くのにやたら時間が掛かる体質だったので、過眠+不眠のダブルパンチは心身に対して相当にこたえる。前世で眠りの神様に嫌われるようなことでもしたのだろうか。もしそうなら今からでも償わせてほしい。
入眠障害の対策をする上でよく言われるのは「寝付けないならさっさと寝床から(そして寝室から)出て、気分転換をしなさい」というもの。できない。眠れなさに焦ってもますます目が冴えるだけなのは百も承知なのだが、だからって「眠れないな!よし、じゃあ起きて本でも読むか!」とはならない。いま身体がなにを一番欲してるかってただひたすらに寝たいだけ、ただそれだけなんですよ。

そういう時に取り組んでいる方法のひとつに「セーフティ瞑想」がある。
簡単に言えば「自分だけのリラックス環境でぼーっとするための瞑想」。セーフティゾーンを自分の中に見出す瞑想である。瞑想って言い方に抵抗があればインナースペースとかうすぼんやりタイムとか好きに言い換えてもいい。
先述した「マインドフルネス」と似通っている部分もあるのだが、目を閉じたまま、ただひたすら「今この落ち着ける瞬間」に意識を向けてぼんやりとするのである。

セーフティ瞑想のやり方
①落ち着ける、静かな場所を作って目を閉じる。姿勢はリラックスできるものならなんでもよいが、座禅を組むと集中しやすい。
②鼻から吸う、口からゆっくり吐ききる、少し息を止める、を繰り返す。お腹の膨らみ、縮みに注意を向けるとよい。
※もちろん色々な思考や妄想が浮かびますが、それは全て無視してください。川の流れに乗って葉っぱが流れていくのをぼんやり見ているイメージ。「……という考えが浮かんだ」と、思考の最後に付け足すのもおすすめです。そしてまた呼吸に意識を向けます。
③気持ちが落ち着いて、心地いいな、と感じるまで続ける。そのまま30から逆に、0までゆっくりカウントする。イメージとしては、階段を一段一段ゆっくり数えながら降りてゆくイメージ。
④なにもない真っ暗な空間に、心ゆくまでひたる。そこがあなただけの、誰にも邪魔されることのないセーフティゾーンです。

これを睡眠前に行うと寝つきがとてもよくなる。バチンと電源を落とされるような入眠でなく、すうっと吸い込まれていくような自然な眠りに落ちることができる。一度この感覚を覚えると、日中でもちょっとした時間に目をつぶって呼吸するだけでゆったりした安心感を呼び戻すことができます。
※もし途中で不安感に襲われたりした場合は、無理せず中止すること!昼間に見た怖いものなどが蘇ってきやすいので、うつ状態の時はできれば日中でもホラー系のものは見たり聴いたりしないほうがいいです。

これでも眠れない時は、気持ちが「眠れない眠れないループ」に陥らないようひたすらやり過ごすのみである。毛布に触れている指先の感覚に集中して、ふわふわの手触りを味わったり、布団のにおいをゆっくり嗅いだり。身体感覚に集中していれば、いつの間にか自然とうとうとできるものだ。眠れないまま朝を迎えたにしても、眠れないと焦り続けるより脳への負担は軽く済む。

日中はできれば陽を浴びて、動ける時は身体を動かす。夜は脳をリラックスモードへ持っていき、深く眠る。なかなかそうできない時もあるし、よく休もうとすること自体がプレッシャーになってはいけないのだが、できる限りでいいから自分なりの対処法をストックしていきたい。

おまけ〜「死にたい」と思うことについて〜

冬季うつの最中は、誇張なく四六時中「死にたい」と考えてしまう。考えるというよりは、無意識の暗がりから思考の泡がポコポコ立ち上ってくるのに似ている。おはようからおやすみまで、延々と「死にたい」が湧き出してくる。ご飯を食べていても、Twitterをしていても、なんの脈絡もないのにポコッと出てくる。理由が思い浮かばないのだから、ネガティブとかそういう問題でもない気がする。

個人的にこれは仕方のないことだと思っている。
うつ状態の最中に理由なく湧き出てくる「死にたい」はいわば「精神的なエネルギーが枯渇しているから今すぐシャットダウンしたい」という欲求の現れなのだと思っている。生命維持すらほっぽりだして休みたいという根本の欲求。人工知能と絡めてSF短編のネタになりそう。
しかし人は本能的に、正体不明の不安に理由をつけようとする。「〇〇だから死にたい」「〇〇が辛いから死にたい」など、死にたさに自ら意味を与えてしまいがちなのである。あくまで私見だが、自分でも原因が思い当たらない状態での「死にたい」に深い意味はない(もし明確な理由があるならしかるべき対策を取ったほうがいいです)。

かといって無視をするのも苦しいし、悪くすれば引き込まれそうになる。じゃあどうするか。これもマインドフルネスの応用で、「『死にたい』という言葉が浮かんできた」と思考をうすぼんやり眺めるのである。
マインドフルネス思想の原点とも言うべき仏教。仏教の経典である『雑阿含経』において、悪口を浴びせられたブッダは問答の中でこのように語ったとされている。ざっくり引用。

「悪口を言われたときに悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、
打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。
それらは与えたものを受けとったというのだ。
しかし、その反対に、なんとも思わないものは、
与えたといっても受けとったのではないのだ」

『雑阿含経』より一部抜粋

反応すると苦しくなるが、客観的に眺めれば苦しくない。自分の中に湧き出る「死にたい」を、否定も肯定もせず、ただ「そういう考えが浮かんだんだな」と眺めることで、それ以上のダークサイドに入り込まずに済むのだ。
「死にたいという言葉が浮かんできたな、それはそうとして外すっごい寒いな〜、空が青いな〜」と受け流すだけでいい。たとえ何度も浮かんでこようが、何度でも受け流してやればいいのだ。
「死にたい」と思ってしまった自分を責めたりせず、うすぼんやりと、楽にやり過ごそう。私もがんばる。


創作について

やりたくなるまでは休め!やりたくなったら無意識でもできることをしろ!

創作において我々はマグロである。泳ぎ続けていないと死ぬ。それは冬季うつ状態の際も例外ではなく、「思うように創作ができないこと」はメンタルに想像以上のダメージをもたらす。どんなに病んでいても常に隣にあるのは創作のことである。どれほどメンタルを病んでいても、ちょっと回復してきた頃にまず思うことは「なんか書けるかな」なのだからもはや創作に取り憑かれている、いや毎回創作に救われています。

しかし、ちょっぴりでも創作意欲が出てきたとはいえ、まだ全快したわけではない。ろくに働かない頭から創作を絞り出すのは非常にしんどい作業である。にも関わらず、どんなに頭をひねっても(自分目線では)まったく面白みを感じられない作品が生まれてしまう。なんじゃこりゃ、創作がまったく楽しくない。やめたい。でもやらなきゃ気が済まない。負のループの完成である。
書けない、描けないだけならまだしも、自分の作品すら見るのが辛い、そもそも世の中の創作物全般をしんどいと感じてしまうこともある。ただでさえ、自分でも原因の分からないうつ状態に陥ったことでひどく落ち込んでいるのに、心の拠り所である創作すら一切手につかない。ひょっとしたら、このまま一生創作活動に戻れないんじゃ……怖い。とにかく怖い。

身もふたもないことを書くが、うつ状態の最中は絶対に創作はできない。
うつ状態の脳内では、通常時と比較して前頭葉の血流が低下するという。前頭葉は人間の脳の中でも柔軟な思考、創造性、個人のパーソナリティを司る部位だとされる(厳密にはさらに広義的な働きがあります)。
そこの働きが低下している。つまり、うつ状態の脳ではそもそも創作ができないようになっているのだ。気合いや努力でどうにかなる問題ではない。しかし意欲は戻ってきている、創作したい……。

書きたいのに書けない、書こうとするとまるで頭が働かない。これはアレに似ているな、と気づいた。スランプである。
前頭葉の働きと創造性について「スランプ」という観点から詳しく分析した記事があるため、そこで引用されている書籍も併せて紹介する。

絵を描くことをはじめ、小説や詩をかくこと、作曲することといった創作は、人間特有の高度な活動であり、当然のごとく、前頭葉が重要な役割を果たしています。

不幸にも病気や事故によって前頭葉が損なわれた人は、創作ができなくなります。というよりも、日常生活全般において創造性が低下し、難しいパズルを解くような柔軟な思考ができなくなり、意味もなく同じ行動を繰り返したりします。

『YuKiのスケッチブック』より引用

こちらの記事では、スランプ状態の脳で巻き起こっている「ハイパーグラフィア」「ライターズブロック」をキーワードに、脳の構造や機能面からスランプを分析している。とにかく書きたいのに(ハイパーグラフィア)、書こうとするとまったく書けない(ライターズブロック)。思い当たる節がありすぎるな。
自分なりにざっくりまとめるが(できれば元記事を読んでほしい、本当にタメになるから)、なんらかの条件付けにより、創作面において前頭葉の一部が限定的にロックされることがある(ライターズブロック)。しかしその一方で、別の分野の活動は意欲的になることがある(ハイパーグラフィア)。
前頭葉の働きがロックされている、という点では(あくまで創作面においてのみだが)スランプ状態もうつ状態も似たようなものと考えれば対処法が見えてくるのでは、と考えた。
※記事中でも言及されていますが、創作どころか生活すらままならない状態はスランプではなくうつ状態です。前章に戻って、生活を立て直すところから始めましょう。いずれ創作に戻ってこれます。

スランプから抜け出る手段の一つに「フローに入る」というものがある。

スランプとは、創造性の流れがブロックされた状態ですが、その逆に、創造性がスムーズによどみなく流れる状態は、心理学者ミハイ・チクセントミハイによって「フロー」と名付けられています。

『YuKiのスケッチブック』より引用

ブロックに陥っているときは、一から十まで手動で作品を組み立てなければならないような感覚に陥りますが、フローに入っているときの作品は、人手によらず勝手に組み立てられていくかのようです。それでいて、無理やり突き動かされているような感覚はなく、自分の意志でコントロールしている、という感覚があります。

『YuKiのスケッチブック』より引用

つまり「無意識で創作している」という感じ。編み物、塗り絵、ゼンタングルなどでも似たような感覚はあるかもしれないが「没頭」に近いものがあるかもしれない。
個人の見解だが、のめり込めるほどの創作には、どこかに一つや二つ「半ば自動化してできること」が含まれているのだと思っている。イラストなら細かい線画をひたすら描き込む、延々と陰影をつける。文章なら好きな映画のあらすじを書いてみる、事前に作っておいたネタを元に文章にまとめてみる……など。
実を言うと、記事の執筆も自分なりの「没頭」である。この記事自体が自己流のリハビリであるのだ。冬季うつ状態への対策をひたすら書き出して、それを元にこうして文章を書く。全く頭を使っていないわけではないが、少なくとも普段行っている積極的な創作からは少し離れた「新しいことを考えなくてもよい創作活動」を行っている感じがする。冬季うつ状態のときにクリエイティブな創作をしようと苦しんでいた時と比べると、こちらの活動スタイルの方が格段にヘルシーだという気さえしてくるのだ。
「没頭できる活動をすること」が冬季うつの改善に効果があるのかは分からないが、少なくとも「創作したい」という欲は満たされる。もちろん人にもよると思うが、普段から「自分が無理せずできる創作活動ってどんなものがあるかな」と手札を集めていると、思わぬ所で役に立つこともあるのだ。私の場合はこうして対人用の記事にしてはいるが、無理に形にしなくてもよい。誰に見せるでもない、自分が楽しむためだけの創作でよいのだ。
無心でぼんやり没頭作業。創作マグロを救うための手段がそこにある。

ちなみに今回紹介した記事内で引用されている書籍がこちら。元気になったら一度読んでみたい。脳科学者である茂木健一郎先生もお墨付きです。


おわりに

以上が、自分なりにまとめた「創作者が冬季うつ状態に自助で立ち向かうための手段」である。
これを一から十まで実践したからといってすぐさま元気回復する保証はどこにもない。効果は人によって変わるだろうし、環境が変われば役に立たないものも出てくるかもしれない。しかし、つらさやしんどさに立ち向かう手段を自分の中にいくつかストックしてある、というのは、それだけで心の支えになる。どんなに苦しくても、とりあえず自分の力でなんとかしてみよう、と思えるようになる。

手札があると、冬季うつ状態に対して「感情」ではなく「理屈」で立ち向かえるようになるのだ。

未来の自分に対して具体的な支えになることができなくても、手札の共有くらいはできる。そう思ってこの記事を書いた。いずれまた季節の変わり目になれば七転八倒するのだろうが、その際に自分がこの記事を読んで「冬はこうして乗り切ってたんだな、じゃあ今回も真似してみようか」と思ってくれたならありがたい限りである。

頑張れ、未来の自分。生き延びる術は着々と身についているぞ。

江古田にコーヒーおごってあげてもいいよ、という方はどうぞこちらから。あなたの善意がガラ通りの取材を後押しします。