見出し画像

『 Someday 』を聴くたびに。


人は、子供の頃まわりにいた誰かを無意識に見習って、他者との関わり方を決めているのではないか。
そう感じることがよくあります。
私の場合、実家のすぐ側に住んでいた祖母がお手本だったと思います。
祖母とは波長が合うというか、なんというか。
身内に『万年女学生』と呼ばれていた大正生まれの祖母が、私は大好きでした。


中学生の時のことです。
当時私は、コンサートというものに行ってみたくて仕方がありませんでした。
同級生の中にはすでにコンサート経験者がチラホラおり
「昨日マッチのコンサート行ったんで!めっちゃくちゃ良かったわ~」
などと語る友達の輝く笑顔を、羨望の眼差しで眺めていました。
羨ましさが丸出しになっていたのでしょうか、彼女は
「ここちゃんも、マッチのコンサート行こうや!」
と誘ってくれました。
けれど、残念ながらマッチには興味がありません。
「う~ん、マッチあんまし好きじゃないんじゃけど…」
「好きじゃなくても、コンサート行ったら絶対ファンになるから!なっ、行こう、コンサートほんまにええで!」
友人の言葉には確信が溢れています。
(マッチかぁ…ほんまファンになるんかなぁ)
今ひとつ信じられませんが、なにせこちらはコンサート未経験です。
すでに新しい世界を体験し、一歩先行く彼女の言うことの方が正しいに違いありません。
(やっぱりコンサートはすごいものらしい。高校生になったら絶対に行こう)
私は密かに心に決めました。

そして高校生になり、大好きな佐野元春のコンサートチケットを手に入れました。
会場は倉敷市民会館、いよいよ私もコンサート・デビューです。
憧れの佐野元春を、この目で見られる!
そう思うと嬉しさが足元から湧き上がりゾクゾクします。
まさに天にも昇る気持ちでした。

さて、ここで少し説明が必要なのですが、岡山県の山間部に住む高校生がコンサートに行くということは、都会の高校生には想像がつかないほどハードルが高いことです。
厳密に言うと、コンサートに行くのが大変というよりも、帰るのが大変なのです。
そもそも会場のある倉敷まで電車で四十分ほどかかります。
そのうえ本数も少なく、コンサートが終わる夜九時過ぎともなれば一時間に一本あるかないか、下手をしたら夜のホームで一時間以上電車を待つことになります。
そうなると、家にたどり着くのは真夜中。
女子高生が深夜に帰宅はあり得ません。

という訳で、コンサート経験者の同級生たちはみんな、会場までお父さんに車で迎えにきてもらっていました。
ですがうちの場合、それを忙しい父に望んでも無理なことは火を見るよりも明らかです。
そこで私は、親が迎えにきてくれる友人を探しだしてなんとか説得し、その子と二人でコンサートに行く段取りを整えました。
夜分遠出することに難色を示していた母も、まぁ友達の親御さんの車で帰ってくるのならと了承し、無事難関を突破。
あとは当日を待つばかりです。
はやる気持ちを抑えきれず、佐野元春のコンサート行くんで!と、私は毎日のように浮かれていました。

ところが。
コンサートまであと一週間ほどになったある日、友人が
「行けなくなった…ごめん」
と言うではありませんか。

——— え?

真っ青になりました。
すでに書いたように、帰りの足がないと百パーセント行かせてもらえません。
けれど、目の前で申し訳なさそうにしている彼女に「なんで⁈」と詰めよる訳にもいかず…
(こうなったら、なんとしてもお母さんを説き伏せるしかない!)
突然足元が崩れ崖の下に落っこちたような気持ちを必死で立て直し、私は母を説得する作戦の構築にエネルギーの全てを集中させることにしました。
いつもながらまどろっこしい授業の後のホームルームにも耐え、「起立~、礼!」の頭をあげるや否やカバンをつかんですっ飛んで帰りました。
そして乱暴に玄関を開けて靴を脱ぎ、息せき切って茶の間に入るなり
「お母さん、話があるんじゃけどっ!」
母と、ちょうど訪ねてきていた祖母が(どしたん?)という顔でこっちを見ています。

「あ、おばあちゃん、来とったん。お母さん、あのな、コンサートじゃけどな」
相手に考える隙を与えたらアウトです。
なので、一緒に行くはずだった友達が行けなくなったという件はさっと流し、ダメ出しを食らう前に譲歩案を連発して先手を打つ。
そうして、こちらの形勢を有利にしようという策です。
「アンコールまではおらんから、途中で帰るから、絶対に早めの電車で帰ってくるから!」

けれど必死の懇願の甲斐もなく、母は頑として聞き入れません。
「一人で行くのはダメ!絶対に、ダメ!」
「なんで⁈ 死ぬほど楽しみにしとったのに!早く帰ってくる言うとるのに!」
「女の子が夜一人で倉敷行くなんか、いいはずがない!」
状況はみるみる不毛な言い争いの様相を呈しはじめ、私が言い張れば言い張るほど母は頑なになっていきます。
「絶対に行く!」
「絶対にダメ!」
もうお互い意地の張り合い、作戦などあっという間に崩れ去り真っ向からのガチンコ勝負。

その時です。
私と母の言い合いを横で見ていた祖母が、突然口を開きました。
「ほんなら、おばあちゃんが行ってあげらぁ」

……へっ⁈

今 —— なんて?
頭に血がのぼっていた私も母もその一言に虚を突かれ、祖母の顔をキョトンと見つめました。
「コンサート、おばあちゃんが一緒に行ってあげらぁ」
表情といい声の調子といい、お小遣いあげらぁぐらいの体です。
「おばあちゃん、佐野元春、知っとるん?」
思わずそう尋ねると
「そりゃあ知らん」
「あのな、おばあちゃんがいっつも聴いとるのとは、ちょっと違うんじゃけど…ええん?(いいの?)」(祖母は童謡が好きでした)
おずおずとそう訊いてみても
「ええで」
とうなずいています。

「ええで」と言われても…
とっさに母の方に視線をやると、おばあちゃんっ!何をむちゃくちゃなことを!とツッコむかと思いきや
「じゃあ、二人で行っといで」
と言うと、さっさと台所に行ってしまいました。

え、え?どうしたらいいん…

あまりに予想外の展開に激しく戸惑っている私の前で、そんなんお安い御用じゃとばかりに祖母は涼しい顔をしています。
「おばあちゃん、ほんまに大丈夫?ロックって聴いたことある?ちょっと聴いてからもういっぺん考えてみる?」
とにかく、おばあちゃんに自分の言っていることを認識してもらわねばと、私は祖母をステレオのある部屋につれていきました。
そしてフラミンゴのシルエットがお洒落なLPを手に取り、しばし考え込んでしまいました。
おばあちゃんにどの曲を聴かせよう…
一番好きなのは『悲しきRadio』だけど、ちょっと激しすぎる?
『アンジェリーナ』も厳しい?
「こりゃあ、おばあちゃんにはやっぱり無理じゃわ~」と言ってほしいような、でもコンサートについてきてほしいような。
さんざん悩んだ末に『Someday』を選び、私はレコード針を慎重に落としました。

すぐにスタッカートの効いたピアノのイントロが響きはじめ、続いて甘い歌声が追いかけてきます。
ソファーの端っこにちょこんと腰かけている祖母はというと、軽く手をたたき小首でリズムを取りながらニコニコと聴いています。
「おばあちゃん、どんな?」
「ええ歌じゃが~」

かくして、私は祖母とコンサートに行くこととなりました。

結論から言うと、その数日後に「佐野元春のコンサート、行きたい!」という友人が絶妙なタイミングで現れ、彼女のお父さんが会場まで車で迎えに来てくれることになりました。
おかげで私は無事アンコールまで堪能することができたのですが、会場に着いて自分の席が天井まで届きそうな巨大なスピーカーの真ん前だということが分かった時、おばあちゃんをつれて来なくてホントによかった…と心底胸を撫でおろしたものです。

「おばあちゃん、一緒にコンサートに行く友達見つかったん。ごめんな」
と言いに行った時も
「ほぅかな(そうなの)」
と祖母は涼しい顔をしていました。
「おばあちゃん、ありがとう」
その言葉に返事があったかどうかは、思い出せません。


人との関わり方は、子供の頃まわりにいた誰かをお手本にしているのではないか。
と最初に書いたのは、もしかしたら自分は無意識に祖母と同じような言動をしているのではないか、と常々感じているからです。
『万年女学生』の祖母は、いくつになっても子供のようなところがありました。
だから時に思慮が足りないこともある。
けれど「おばあちゃんが一緒に行ってあげらぁ」と無邪気に言ってしまう祖母に、私は何度助けられたことでしょう。
そしてその祖母の影響か、今でも関わるか関わらないかの選択の場面になれば、私は「ええで」と引き受け足を踏みだすことが圧倒的に多いのです。
自分自身を、目の前の存在に躊躇なく重ねる。
そうすると、しんどいこともあります。
考えが足りない、危なっかしい、と注意してくれる人もいますし自分でもそう思います。
けれど関わることで、私の世界は確実に広くなっていきました。


祖母の指には、結婚した時祖父に買ってもらったという翡翠の指輪がいつもありました。
その形見の指輪は今私の手元にありますが、とても小さく小指にしか入りません。
佐野元春の歌声を聴くと、『Someday』のリズムに合わせて楽しげに動いていた祖母の華奢な手を思い出します。
そしてなんの頓着もなく「一緒に行ってあげらぁ」と言った祖母の無邪気さを、尊く思い出すのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?