食の海にダイブ!〜マッシさん流 食との付き合い方〜
「適切な距離をとるしかないですね」
例えばあなたが、対人関係に悩み誰かに相談したとしよう。すると、ほぼ100パーセントこんなアドバイスが返ってくるだろう。
私だって、そう言いう。
「近付きすぎてない? ちょっと離れた方がいいんじゃない?」
お付き合いは距離感が大事、巻き込まれ注意なのは言うまでもない。
それなのに、イタリア人フードライター マッシさんは、いつも思いっきり巻き込まれている。いや、自ら突っ込んでいっていると言う方が正しいかもしれない。
でも、決して負けない。負けないどころか、相手にどんなに翻弄されても果敢に戦い続け、最後には肩組んで仲良くなってたりする。
今回の相手「きのこの山」は子供の頃のトラウマも相まってなかなか手強そうだけれど、それでも混乱と格闘の嵐を乗り越えた果てに恋にまで落ちちゃってる。
強い。
これがローマ帝国直伝の生き残り戦略か。
・・・
マッシさんのエッセイはいつ読んでも楽しい。この『きのことたけのこの国民的論争に巻き込まれた元イタリア人』にもワクワクがいっぱい詰まってるに違いないと早速読み始めてみた。
が予想に反して、冒頭には長年にわたるきのことの難しい関係が綴られていた。
どうやらマッシさんはきのこが苦手らしい。
戦場から砂漠へとは、なかなか厳しい状況だ。
果たしてこの関係に未来があるのかどうか、先を読み進めてみよう。
どうしてもきのこを好きになれないマッシさんだったけれど、日本に来て間もない頃、あるものと出会ったことで大きく心が揺さぶられはじめる。
こちらが、その出会いの瞬間だ。
ある日スーパーの一角で謎のきのこに遭遇したマッシさんは、一気に驚きと警戒の渦に巻き込まれてしまった。
確かに、海外に行くと時々ぎょっとする食べ物に出会うことがある。そんな時は誰だって混乱するよね、しかも見た目が嫌いなものだし。
と共感しつつ、自分もふと、昔 台湾のコンビニで痛い目にあったことを思い出した。
・・・
一年中冷たい飲み物が欠かせない常夏の島、台湾。観光で歩き疲れた私達夫婦は、少し涼もうと下町のとあるコンビニに入った。
ミネラルウォーターにはすっかり飽きていたので、私は冷蔵庫の扉を開け緑茶のペットボトルに手を伸ばした。そして一本取り出して支払いを済ませ、その「生茶」風飲料の蓋をあけて一口飲むと…
甘い。
とてつもない違和感が脳に広がった。と同時にすぐさま吐き出したい衝動にかられたけれど、なんとか堪えて飲み込んだ。でも、二口目は到底無理だ。困惑した顔を夫に向け「緑茶が甘い」と告げると(?)という表情をしている。「ちょっと飲んでみて」と私に言われるまま口にふくんだ夫も「うーん…」とうなって無言でキャップを閉じた。
それから台湾滞在中は、ペットボトルのお茶には最大限警戒するようになった。買う時は、目を皿のようにして原材料に「糖」の文字が含まれていないかを必ず確認する。そのお陰で、帰国するまで私達の脳と舌は混乱を免れられたわけである。
何ごとも、用心するに越したことはない。
・・・
と、そんなことを思い出しているうちに、警戒心マックスだったマッシさんは手を震わせながらも「きのこの山」を購入し、帰宅するやいなや、こたつの上にその箱を据え置いてまじまじと向き合っているではないか。
そして、ここからの展開が早かった。
早速、印象激変。
さらに、
速攻、恋愛開始。
それだけに止まらず、恋仲になった「きのこの山」を通して、彼女の好敵手である「たけのこの里」との劇的な出会まで果たしてしまっているではないか。
羨ましいほどドラマティックな展開である。
苦手な相手にでも敢えてぶつかっていくと、こんな心躍るストーリーが始まるのか。
自分の慎重至上主義に、少し影が差してきた。
ところで、マッシさんのエッセイを読むたびに感じることがある。それは、食に対して私達とはかなり異なるタイプのアグレッシブさを持っているということだ。
たとえ強い違和感を感じても、ひるむことなく向かっていき、マイナスイメージが覆るまで徹底的に向き合い続ける。そんなマッシさんの姿は、自分の味覚を自分の力で開拓し続ける「食の戦士」と言ってもいいかもしれない。
見慣れない食べ物に出くわしても、それをどう味わうかは自分次第。楽しさと充実感に満ちた体験にするか、それともつまらないものにするかは自分が決める。そんな徹底した自己中心主義が食の場面で遺憾無く発揮されていることに、いつも彼独特のパワーを感じる。
結果、どんな食体験にもすこぶる強いマッシさんが読者の前に現れる。
確かに日本人も食に貪欲だ。餡パンだってナポリタンだってカツカレーだって、西洋の食文化を瞬く間に自分達好みにアレンジした結果であることは疑いようがない。こちらのテリトリーに入ってきたものを完璧にカスタマイズすることにかけては、日本人は驚異的な能力を発揮するのだ。
けれど、未知の食文化に体ごとぶつかっていき、違和感の分厚い壁も果敢に突破していくといった外向きの強さに関してはどうだろう。
自分の甘い緑茶体験からも、ふとそんなことを考えてしまった。
再び、前述の台湾旅行での出来事。
旅行中最大のイベントである有名ホテルでの中華スイーツのバイキングで、私は真っ黒いゼリーの皿を手に取った。恐らくこれは、美容にも健康にも大変良いと噂に聞いた亀ゼリーに違いない。
テーブルに戻ってスプーンを手にしたその時、ホール係の女性がこちらに近寄ってきてゼリーにシロップをかけようとした。おっと、シロップなんてかけられてはたまらない、コンビニ緑茶の二の舞だ。私は、サッと彼女の手を遮って笑顔で「不要」と告げ、そしてひと匙口に含むと…
亀ゼリーは、とんでもなく苦かった。
あまりにキッパリ拒否した手前、やっぱりシロップかけてくださいと言うのもバツが悪く、かといって食べ残すのも気が引ける。結局、震えるほど苦いゼリーを最後まで食べ切るハメになったのだが、今思えば、異国の食には慎重になどと言ってる場合ではなかったのだ。警戒心など手放して、亀ゼリー体験そのものに飛び込んでしまえば良かっただけの話だ。
この「目の前の食体験そのものに飛び込む」ということこそが、マッシさんの本質なのだと思う。だから「きのこの山」とも速攻で心を開き合い、日々食の友好関係を着々と広げ続けている。
いまさら言うまでもないけれど、いまや日本は世界が認める食のビッグオーシャンである。その豊かな海にダイブして、思う存分泳ぎ回ろうとやってくる人々が連日引きも切らない。そして彼らは全力で日本の食を楽しんでいる。
結局、食とは全身体的かつ全人格的な体験で、美味しいか美味しくないかは舌だけが決めることではないのだろう。
マッシさんの奮闘を読めば、そのことが良く分かる。
だから私達も、地球上に果てしなく広がる食の大海原に頭からダイブしない手はないのだと思う。飛び込んでいくたびに最強の自分が更新されるってことは、すでにマッシさんが証明してくれている。
守るのも大事だけれど、自分の世界を広げるチャンスを見送ってばかりの人生じゃやっぱりつまらないのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?