三つの軸と猫の神様
人と待ち合わせをする時、いつも
(よく会えるなぁ)
と思ってしまいます。
というのも、「会う」とは別々の人間の時間軸と空間軸の交点がピッタリ重なり合う現象。
そんな難しいことがやすやすと出来てしまうことに毎度感心するのです。
携帯のおかげで昔よりずっとやりやすくなったとは言え、やっぱり凄いと思います。
ところで私は歩きながら相当キョロキョロしているようで、よくいろんなものを見つけます。
それは石垣の隙間から覗く小さな花だったり、身を低くして獲物を狙うカマキリだったりするのですが、先日こんなものを見つけました。
ある駅前の道を歩いていた時のことです。
シャッターが閉まったお店の前に、握りこぶしほどのホコリの塊があるのを見つけました。
どこを掃除したのか随分と煤けています。
(えらく黒いな)
と何気なく覗きこんだその瞬間、思わず足が止まりました。
…もしかして、猫?
しゃがみこみ間近でよく見てみると、確かに仔猫です。
けれど腹ばいになったままピクリとも動きません。
これは嫌な場面に遭遇してしまったかもと思いつつもさらに目を凝らすと、かすかに背中が上下しています。
良かった、生きてる!
と、気配を察したのか、さっきまでホコリの塊だった仔猫は前足の間にしまいこんでいた顔を上げ、毛並みと同じ真っ黒な瞳でこちらを見つめて鳴き始めました。
ミー ミー
豆粒ほどの口を開いて、弱々しく繰り返します。
どうしよう……。
ウチに連れて帰るわけにもいかないし、でも、このまま置いて帰ったら絶対死んでしまうし。
さっきまでただの行きずりだったはずなのに、仔猫と視線が合った途端、いきなり命の決定者となってしまいました。
けれど猫についての知識は皆無。
もちろん飼ったこともない私は、途方に暮れて道端に突っ立っているしかありません。
そんな姿に絶望したのか、仔猫もいつしか鳴くのをやめて再びホコリの塊に戻っています。
「どないしたん? あ、猫やな」
振り向くと、一人のおばちゃんが立っていました。
「あぁ、この子 親からはぐれたんやな。
まだ毛並みが綺麗やし、最近まで親に舐めてもらってたんやなぁ。
はぐれて間なしやったら、そこら辺に親がおるかもしれへんで」
来た! 猫の先生!
思いがけない助っ人が現れました。
彼女の言葉に力を得て、私はおばあちゃんと手分けしてあちこち親を探し回りました。
が、姿はおろか気配さえありません。
「あかんなぁ。この子明日までもたへんで、可哀想やけど」
「そうですよね…」
力なく頷いた私は猫の先生の背中を見送り、なす術もなくホコリの傍らにしゃがみ込みました。
時間はすで午後6時、仕事を終えて駅に向かう人影がいくつも背後を通り過ぎていきます。
中には立ち止まってくれる人もいましたが、仔猫と見るとやはりどうしようもなく、じきに立ち去っていきます。
いつまでもこうしてる訳にもいかないし、もう置いて帰るしか…
あぁ、こんなことなら見つけなきゃよかった、気付かずに通り過ぎてた方がずっとよかった!
仔猫はもう顔を上げようともしません。
ただ、しゃがみ込んでうなだれていた間も、
「ええ、ここに仔猫がいて…」
と背後で誰かが電話をしているのには気がついていました。
(もしかして保健所に電話してる?)
とも思っていました。
すると突然、
「私、連れて帰ります!」
という声が。
驚いて振り向くと、
「その子、私が連れて帰ります。今主人に電話したら、すぐに連れて帰ってって」
と、そうきっぱり言ったのは、さっきから電話をしていた女性でした。
「ホ、ホントですかっ⁈ 」
私は思わず叫びました。
さっきまで仔猫を見放そうとしていた自分です。
あまりの急展開に飛び上がるようにして立ち上がり、その拍子にふらついて思わず女性の腕をつかみながらも、
「ありがとうございます! 神様!!」
と口走ってしまいた。
「神様なんて、そんな」
と軽く笑うと、彼女は早速仔猫を抱き上げて「おウチに行こうね」
と胸に包み込んでいます。
(あぁ、これで大丈夫…)
安堵で膝から崩れ落ちそうでした。
駅までの数分の道のりの間、彼女はこれまでの経緯を話してくれました。
子供の頃からずっと猫を飼っていたこと。
その猫たちは、全員捨てられていた子だったこと。
最近飼っていた猫が亡くなったこと。
「新しい子を迎えたかったんですけど、どうしてもペットショップに行く気にはならなくて。運命の出逢いが必ずあるって信じて、ずっと待っていたんです」
彼女はそう話してくれました。
その間 彼女の胸で暖められた仔猫は、道端にいた時とは打って変わってしっかりと頭を上げ、彼女を見つめて嬉しそうにミーミー鳴いています。
まるで「あ、元気、元気。これなら大丈夫。おウチでみんな待ってるよ」と声をかけてくれるお母さんに甘えているかのようです。
彼女と仔猫。
不思議なことに、そこには早くも絆ができていました。
家に帰ってからも、この出来事の余韻は続きました。
と同時に、出会いの不思議に繰り返し思いがいたります。
最初に書いたように、「出会う」とはお互いの時間軸と空間軸が重なりあうこと。
事前に約束していても、ほんの少しずれただけで行き違ってしまいます。
普段の待ち合わせでさえそうなのに、運命の相手と自分がぴったり重なり合うなんて、これはなかなかあり得えません。
でも彼女は運命の出会いを信じ、そして今日仔猫と出会った。
ここまで考えてふと思いついたのは、出会いには、殊に運命の出会いには、時間軸と空間軸の他にもう一本の軸が必要なのかもしれないということでした。
その軸を何と言ってもいいのかよく分かりませんが「想い軸」とでも言えばいいでしょうか。
それが運命の出会いを引き寄せたのかもと思ったのです。
ということは、彼女は「想い軸」を常に持っていた。
ある日誰かに出会い、自分の中で何かが活性化し始める。
それは単なる偶然なのかもしれません。
けれど、もしかしたら「想い軸」を持ち続けた結果かもしれないし、あの時あの人に出逢っていなければ今の自分はないと、そういう経験もまた同じことなのかもしれません。
だから想いの軸に響いたら、躊躇せず動けばいい。
そしてそんな瞬間に出会えるように、今日も時間軸と空間軸を思いっきり動かせばいい。
仔猫と女性の間に瞬く間に絆が築かれたわけは、彼女の想いの軸が引き寄せた出逢いだったから。
そう思っています。
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