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個性的な旅は素敵なチャンス


旅とは、人生における最も魅力的な機会の一つ

です。太陽が降り注ぐ光は全世界で平等に分けられ、夜空の月も、地球上のどこからでも眺めることができます。しかし、この同じ世界を異なる地点から眺めることで、生活の場、感情の色彩、物の見え方が全く異なるという事実に気づかされるのが、旅の素晴らしい点です。それはまるで、自分自身の中に潜む未知の部分への冒険、すなわちインナートリップとも言えるでしょう。それはまた、外の世界への旅行と同義であると考えています。中には、「深く考えずに、イタリアで軽くワインを楽しむだけでいい」という人もいれば、世界遺産を巡ることで自己の知識を深めたいと願う人もいます。また、議論を好む旅行者もいることでしょう。それぞれが異なり、それぞれに美しい。ですから、私の旅もまた、それで良いのです。

私の節約旅行の初めての試み

は、約半年間におよぶ旅はフランスのパリからスタートしました。その後パリから南下してスペインを経て、北はフィンランド、東はギリシャ、そして西はイギリスと、合計14カ国を巡りました。20歳の若さでのこの旅は、私にとってすべてが新鮮な体験であり、その時期に旅をしたことで得られたものは、非常に価値があったと言えます。そして、今、その旅から学んだことを記す意欲が湧いてきました。それから既に40年が経過していますが、不思議なことに、それはまるで昨日の出来事のように感じられます。

港町のカフェは出会いの場 リスボンPortugal

【補足情報】ヨーロッパの観光情報

ヨーロッパは歴史、文化、自然の美しさが融合した地域で、各国が独自の魅力を持っています。例えば、イタリアのローマでは、古代ローマの遺跡として知られるコロッセオやバチカン市国の壮大な聖ペテロ大聖堂を訪れることができます。フランスのパリでは、エッフェル塔やルーブル美術館など、数多くの有名な観光スポットがあります。スペインのバルセロナには、ガウディの建築作品が多く、特にサグラダ・ファミリアは訪れる価値があります。北欧では、フィンランドのヘルシンキから北極圏内のラップランド地方まで、自然とサンタクロースの村を楽しむことができます。また、ギリシャでは、古代ギリシャの遺跡やエーゲ海の美しい島々を訪れることができます。イギリスでは、ロンドンのビッグベンやブリティッシュ・ミュージアムなど、文化的な名所を巡ることができます。これらの国々を訪れることで、ヨーロッパの多様な文化と歴史を体験することができます。


留年は放浪の始まり

大学三年生になる春

私の人生における一つの転機が訪れました。
高校を卒業し、進学した宮崎大学での日々は、新しい発見と成長の時期でした。大学二年生になったその年、宮崎大学付属の住吉牧場での住み込み体験が始まりました。この牧場での一年間は、後に私の人生に大きな影響を与えることになります。牧場での寮生活は、まるで小説の一ページのような豊かなエピソードで溢れていましたが、その話はまた別の機会に詳しく語ることにして、この物語は牧場を離れるところから始まります。

私は幼い頃から抱いていた夢

ヨーロッパを放浪する旅に出る決意を固めました。学生生活をしていたため、所有する物はそれほど多くありませんでしたが、荷物を整理し、一旦長崎にある実家へと送りました。牧場での生活から離れるのは心苦しかったですが、新たな目標、ヨーロッパへの渡航に向けて心を新たにしました。

母は仰天しました

実家に戻り、母に「子供の頃、外国に行きたいと言ったら、大学に入ったら行ってもいいと言ってくれたよね。だから、行ってくる」と告げると、母は仰天しました。彼女は、小学生の時にそんな約束をしたことをすっかり忘れていたようで、「何を考えているのかしら」と苦笑いしました。しかし、私が旅行の計画を詳しく説明すると、反対はせずに同意してくれました。出発が「明後日」と聞いて、母はさすがに驚きましたが、出発準備が整っていることを知り、了承せざるを得ない様子でした。

新たな一歩を踏み出す勇気

家族は皆、私の決断に驚きましたが、最終的には支持してくれました。家族と離れる寂しさはありましたが、すでに航空チケットを手配していた私は、もはや引き返すことはできませんでした。この時、私は自分自身を奮い立たせ、新たな一歩を踏み出す勇気を持ちました。

【補足情報】海外旅行の必需品

海外旅行には、快適で安全な旅を保証するいくつかの必需品があります。まず、パスポートやビザといった身分証明書は必携です。また、国際クレジットカードや少量の現地通貨も持っていくと安心です。さらに、変圧器やプラグアダプターは、電子機器を使用する際に欠かせません。健康保険証や旅行保険の証書も持参し、万が一の時のために準備をしておくことが重要です。最後に、必要最低限の薬と、緊急時に役立つ連絡先リストを持っていくと、より安心して旅行を楽しむことができます。これらの準備を整えることで、海外旅行をより安全で快適なものにすることができます。


なぜ海外を旅する夢は育ったのか?

1979年、私にとって人生初の大冒険が幕を開けました。それは、長期にわたるヨーロッパへの単身旅行。未知の土地への旅は、想像もつかない不安と期待が入り混じった複雑な感情を生み出しましたが、実際に足を踏み出すまでは、その実感はほとんど湧きませんでした。ただ、唯一心残りだったのは、宮崎大学の付属牧場から本学部への通学に使っていた愛車、ホンダのオフロードバイク「XL125」を手放したことです。一年間共に過ごした愛車を渡航費用のために売却したのは、夢を追う上での苦渋の決断でした。そのバイクは、文字通り私の世界を広げてくれたものでしたが、夢の実現には、何かを手放す勇気も必要だと感じました。

この旅の始まりは、意外にも私が小学校1年生の頃にさかのぼります。当時は家庭にテレビがあるのが一般的ではなく、私の家にもテレビはありませんでした。そのため、夕方になると近所の家に上がり込んでテレビを見ていました。この習慣がきっかけで、やがて私の家にもテレビが導入され、その中で放送されていたNHKの「NHK特派員紀行」という番組に魅了されました。番組で紹介される未知の国々、特にアマゾンの奥地、マナウスに関する報告は、私の心に深く刻まれました。それは、未知の世界への強い憧れと、将来海外を訪れるという夢の始まりでした。

この夢を実現するため、母に外国への旅行を懇願した記憶があります。しかし、当時は海外旅行が一般庶民には手の届かないものだったため、母は「大学に入ったら行っていい」と答えました。その答えは、私にとって大学進学と同時に外国を訪れるという明確な目標を持つきっかけとなりました。

【補足情報】夢を実現するための心得

夢を追い求める道は、決して平坦ではありません。しかし、その夢を実現するためには、いくつかの大切な心得があります。第一に、夢に対する情熱を持ち続けること。情熱があれば、困難な状況に直面しても乗り越える力が湧いてきます。第二に、柔軟性を持つこと。予期せぬ障害や挑戦があっても、柔軟に対応することで新たな道が開けることがあります。第三に、夢に向かって一歩ずつ進むこと。夢を追い求める過程で、小さな一歩が積み重なって大きな成果につながります。最後に、夢を実現するためには、時には何かを手放す勇気も必要です。夢を追い求めることは、時に犠牲を伴いますが、その先には計り知れない価値が待っています。夢に向かって努力し続けることで、夢は現実のものとなるでしょう。


期は熟した

夢を追う旅の準備として

教育学部でのフランス語学習に加え、NHKのラジオ講座を利用してフランス語と英会話のスキルを磨きました。学業とアルバイトに追われる日々の中、放送時間に合わせることは容易ではありませんでしたが、放送用テキストを携帯し、隙間時間を利用して自習に励みました。それは、私にとってさほど苦ではありませんでした。なぜなら、母が小学生の頃に「大学生になったら外国に行っても良い」と約束してくれた大学生である私は、全てのことを犠牲にしてでも夢を実現するという強い情熱を持っていたからです。

解決すべき問題は数多く存在

それでも、渡航に向けて解決すべき問題は数多く存在しました。特に、海外行きの航空券の入手方法や、どのような準備をすればよいのかについては、インターネットが存在しない時代では情報を得るのが一層困難でした。田舎町宮崎では、そうした情報を探すこと自体が難題でしたが、地道に本屋で立ち読みをし、少しずつ情報を集めていきました。そして、ある日の夕方、NHKのラジオ番組を通じて岩崎さんが主催する「世界ケチケチ旅行研究会」の存在を知り、私のヨーロッパへの道が一気に開けました。番組から得た情報をもとに、急いでNHKに連絡を取り、岩崎さんに連絡を試みました。その結果、長らくの悩みの種であったフランスへの航空」を手に入れることができました。
今にして思えば、NHKは簡単に岩崎さんの連絡先をおしえてくれたものです。当時は個人情報とか守秘義務なんてあまりこだわらず、なんだかんだとうるさくはなかったのです。

「期は熟した。」

そしてその日はやってきました。

【補足情報】夢を実現するための心得

夢を追い続けることは、常に楽な道のりではありません。しかし、夢をあきらめずに追い続けるためには、いくつかの心得が必要です。まずは、目標に対する情熱を失わないこと。情熱があれば、どんな困難も乗り越えることができます。次に、失敗を恐れずに新たな挑戦を続けること。失敗は成功への階段であり、それぞれの経験が貴重な学びとなります。また、自分自身を信じることも重要です。自分に対する信頼があれば、不安や挑戦に直面したときに、前進し続ける力が湧いてきます。そして、常に柔軟な思考を持ち、状況に応じて計画を調整する能力も必要です。これらの心得を持つことで、夢の実現に向けての道のりも、一歩ずつ確実に進むことができるでしょう。夢を追う旅は、自己実現の旅でもあります。自分自身の可能性を信じ、夢に向かって歩み続けましょう。


叩けよ、さらば開かれん

1971年、我が家族

は長崎郊外の時津町に新しい一軒家を構え、そこでの生活を始めました。私はその時、中学生でした。数年が経過し、Torio社製の見た目も美しいステレオレコードプレーヤーが我が家に届けられました。母はそのプレーヤーでクラシックのLPレコードや、越路吹雪のような往年の名歌手のレコードを頻繁に聞いていました。中でも、ヨーロッパ風の街路灯に照らされた雨に濡れた石畳の道がプリントされた白黒写真のジャケットがついたEP版のレコードがありました。ある日、私はそのレコードを試しにかけてみましたところ、エディット・ピアフの力強くも低い女性ボーカルの歌声にただちに引き込まれました。それが、私が音楽に感動を覚えた初めての瞬間でした。その瞬間、私の血脈には間違いなくこのレコードに繋がる血が流れていると確信しました。そして、心の底からフランスという地が私の行くべき場所であると直感しました。

高校卒業後、一浪はしましたが、なんとか第一志望の宮崎大学に入学しました。入学後すぐに、フランスへの夢を叶えるために様々なアルバイトを始めました。しかし、言葉の問題がありました。私が通っていた農学部では、必修外国語は英語とドイツ語であり、フランス語を学ぶ機会はありませんでした。

フランス語の授業にモグリで顔を出す

そこで農学部から数キロ離れた、教育学部で開講されているフランス語の授業にモグリで顔を出すことにしました。 しばらくの間、その授業を担当する教授は、無断で出席する学部内の生徒ではない私のことを、知ってはいたものの黙認していました。 私も授業をうけるための費用を払っていないので、教室の一番後ろで小さくなってノートを取っていました。 多分、冷やかしの学生だろうと思って無視していた教授が、無遅刻無欠席の正体不明の学生がいることが気になったのか、ある日の授業の終りに私の方へ近づいてきたのです。

「君は教育学部の学生ではないね?」

「はい、農学部です。」 バレたのであればしかたがないので、来週からはフランス語は独学だなぁと覚悟を決めました。 「農学部の必修の外国語はたしかドイツ語でしょ?なぜ君は私の授業を受けているのかな?」 「いつかフランスに行きたいと考えています。でも農学部ではそのフランス語を勉強することはできないので、教務課には未届けでこの授業を聞きに来ています。」 「教務に届けを出していないのであれば、試験を受けることも単位を取ることもできないのに、それでもいいのですか?」 「はい、それは承知で受けています。」 「そうか、どうしたものかなぁ…。」と困惑した顔の教授に、 ダメ元で「エディット・ピアフが好きなんです。彼女の歌を聴いて、その歌詞を、その歌の伝えたいことを理解したいと思ってこの授業を受けています。」と本当ではあるが、多少大げさに説明しました。 すると教授の顔が急に明るくなり、「君はシャンソン歌手のエディット・ピアフを知っているの?なぜ彼女を知っているんだね。」 「母の持っているレコードジャケットが気に入って、聴いてみたのが彼女との出会いです。それ以来、その歌声に魅了されて彼女と彼女の歌が好きになりました。」 教授は履いているスリッパを机の角を使って脱いだり、履き直したりしながら私の話を聞いていました。 しばらく考えた後、「まあ、授業の邪魔にならないようにするのであれば、私の授業を受けに来ても良いでしょう。テストも受けて結構ですが、点数は出せませんし、先ほど言ったように単位も認められませんよ。いいですか?」 私はモグリの学生から晴れて、単位認定ナシの学生に昇格しました。

翌週、授業を受けるために

階段教室の最上段に座っていると、教授は私に手招きして、もっと前の席に来るようにと勧めてきました。 私は、恐縮しながらも中段まで降りて座ろうとすると、さらに手招きし、結局一番前の席に座ることになってしまったのです。 さらに「今日から出席黙認の中村くんです。フランス語の勉強をしたくて、農学部から越境して聴講に来ています。みなさん、彼に負けないように頑張ってフランス語を学習して下さい。単位は出ませんが、テストは受けても良いと彼には言っています。いわゆるモグリの学生さんですが、試験の点数では彼に負けないようにしてくださいよ。」 教室内は爆笑の渦になり、皆が私に注目しました。 隣の女学生が「スゴイですね。私も頑張らなくちゃね。」と声を掛けてくれました。 私は照れながら挨拶を返し、静かに授業は始ました。

強い思いは通じるんだなぁ

と考えながら、黒板に書かれるフランス語の文法をノートに書き写しました。 隣りに座っている女学生の爽やかな化粧水の匂いが、時々風にのって私を通り過ぎた瞬間、 夢の扉が少し開いたということを実感しました。

【補足情報】It's now or neverという心得

夢を追い求める旅において、「It's now or never」という心得は極めて重要です。この言葉は、「今やらなければ、永遠にできない」という意味を持ち、私たちに行動を起こす勇気と決断力を与えてくれます。夢に向かって一歩を踏み出すことは、常に不安や恐れを伴います。しかし、その一歩が未来を変える力を持っていることを忘れてはいけません。夢を追う旅は、時には困難や挫折に直面するかもしれませんが、それでも前に進み続けることが大切です。夢を実現するためには、今、この瞬間に最善を尽くし、可能性を信じ、恐れずに挑戦し続けることが求められます。「It's now or never」の心得を胸に、夢に向かって果敢に挑戦しましょう。夢への道は、自らの手で切り拓くものです。


ユーレイルパスを手に入れる

私は、ほとんどの持ち物を処分しても生活に支障がないと感じつつも、長崎にある実家へと荷物を送りました。長崎への帰省後、市内の大手銀行で、その当時ヨーロッパ各国が独自の通貨を使用していたことから、フランス・フランのトラベラーズチェックを作成しました。その後、東京へと移動しました。翌日、日本としばらくのお別れをするため、東京で最終的な準備品を揃えるために街を歩き回りました。宮崎を離れたその日から、友人たちは私が既にフランスへ出発したと思っていましたが、実際には知人に伝えた出発日よりも一日長く、私はまだ日本にいました。

この空白の一日に、私は旅の重要な要素であるユーレールユースパスを54,600円で手に入れました。このパスは、2等車に限定されてはいますが、2ヶ月間、オーストリア、ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、ギリシャ、西ドイツ、オランダ、イタリア、ルクセンブルグ、ノルウェイ、ポルトガル、スペイン、スエーデン、スイスといったヨーロッパ15カ国の鉄道を乗り放題で利用できる、若者向けの周遊券です。26歳までの若者が、見聞を広げるための素晴らしい手助けとなるこのユーレイルユースパスによって、私のヨーロッパでの冒険が始まるわけです。

【補足情報】ユーレイルパスについて


ユーレイルパスは、ヨーロッパの広大な鉄道ネットワークを利用して、複数の国を自由に旅することができる周遊券です。特に若者向けに設計されたユーレールユースパスは、26歳以下の旅行者に、より手頃な価格でこの経験を提供します。利用者は、指定された期間中に、参加国の鉄道や一部のフェリーを無制限に利用することが可能です。これにより、旅行者は自分のペースでヨーロッパを探索し、各地の文化や歴史を深く体験することができます。ユーレールパスは、旅の柔軟性を重視する人々にとって理想的な選択肢であり、異なる文化や言語、景色を肌で感じながら、新たな発見や出会いを楽しむことができるのです。


パリへ飛ぶ日:3月16日

東京での空白の一日は過ぎ、今日は、ついに日本を離れる日です。大韓航空の成田空港発13:30の飛行機に乗り、韓国の金浦空港を経由し、アメリカのアンカレッジを経てパリへ向かいます。1979年の当時、ソビエト連邦の上空は飛行禁止区域であり、アメリカのアラスカを回る北回りルートが唯一の選択肢でした。成田空港で支払った1,500円の出国税には、少し腹が立ちました。国外へ出るために税金を支払うのは、なんとも鎖国的ではないかと思いました。
金浦空港で一度飛行機を降り、乗り継ぎのための待ち時間を過ごした後、アンカレッジへ向かう飛行機に再び搭乗しました。この旅で初めて日付変更線を超える体験をしました。地球が丸いために、どこかで日付を調整しなければならないのは理解していますが、西から東へ日付が戻るのは不思議な感覚です。何となく一日を得したような気がしますが、帰りには逆に一日を失うため、結局は元通りになるのです。
南回りのルートも存在しますが、大圏航路を利用した北回りの方がヨーロッパへは最短距離であり、時間が節約できます。しかし、経由地のアンカレッジでの給油時間が必要なため、現代の直行便と比べると所要時間は長くなります。

【補足情報】アンカレッジ経由の歴史的背景

1970年代から1980年代にかけて、冷戦時代の影響でソビエト連邦の空域は西側諸国の航空機にとって閉ざされていました。このため、日本からヨーロッパへの最も効率的な航路は、アラスカのアンカレッジを経由する北回りルートとなっていました。このルートは、太平洋を横断し、アラスカで給油後、北大西洋を越えてヨーロッパへと至るもので、多くの航空会社が採用していました。アンカレッジは、その地理的な位置から国際的な航空のハブとして機能し、多くの長距離国際便にとって重要な経由地点となっていました。日本からヨーロッパへ向かう多くの旅行者やビジネスマンがこのルートを利用し、アンカレッジは一時的な滞在地としても知られるようになりました。この航路は、冷戦の終結後にソビエト連邦の空域が開放されると徐々に使われなくなりましたが、その時代を象徴する重要な航空ルートとして歴史に名を残しています。
※2024年4月の段階では、ロシアがウクライナに侵攻して戦争状態になったため、再び今度はロシア上空を航空機が飛行できなくなってしまいました。戦争は幸福とは全く逆の災いしか招かない「悪」です。

いつもそうだけれど機上から見る夕暮れは、なんともロマンチックだ


初めてのパリは誕生日:3月17日

到着したのは現地時間で3月17日の朝7時30分でした。一年365日ある中で、私の21回目の誕生日にパリに降り立つとは、何か運命的なものを感じます。ただし、時差が8時間あるため、日本では既に午後3時30分になっていました。まるで特別な日に選ばれたような、不思議な感覚に包まれました。

長時間のフライトの疲れか、パリの地に初めて足を踏み入れた瞬間、足元がふわふわしている感じがしました。シャルル・ド・ゴール空港からのコンコースを歩き、ウィング通路の窓から外を見ると、雪がちらついていました。南国育ちの私にとって、3月に雪が降るなんて信じられない光景でした。パリ市内への移動を開始すると、ようやくテレビで見た世界に自分が入り込んだことを実感し始めました。どちらを見ても新しい景色で、そのすべてが私にとっては初めての経験でした。周囲に夢中になりすぎて、足元を見ることを忘れてしまったために、パリでの初体験として犬の糞を踏んでしまうという洗礼を受けました。初めての海外でのペースと緊張感の中で、ちょっとしたハプニングもありましたが、岩崎さんが教えてくれたように、「フランスでは犬の糞を踏むと幸運が来る」という言い伝えを信じて、気を取り直しました。

岩崎さんと共にフライトに同行し、到着後は外国の常識や習慣についてのレクチャーを受けました。最初の日は休養を取り、夕方には皆で近くの中華料理店に行きました。パリの至る所に中華料理店があることに驚きましたが、これもグローバルな文化の一環として興味深い発見でした。時差ボケも経験しました。体のリズムがおかしくなった感覚としかも少し熱っぽい感じです。まあこれもまた旅の一部です。 出発前から気にはなっていましたが、やはり時差ボケになったことは少しショックでした。思えば可愛いではないですか。 まだハタチそこそこの青年が、生まれて初めて海外に来たのです。 なんでも許せます。 今はそう思いますが、その日の私は眠れぬベッドの中で、これからの旅に少し自信を無くしていました。

【補足情報】シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内への交通機関

  1. RER B線: 空港からパリ市内への最も一般的な移動手段です。北駅(Gare du Nord)まで直接行くことができ、約30分から40分の旅程です。料金も比較的安く、頻繁に運行しているため利便性が高いです。

  2. バスサービス: ロワシーバスやエアフランスのバスなど、複数のオプションがあります。これらのバスは主要な鉄道駅や観光地への直行便を提供しており、リーズナブルな価格で快適な移動が可能です。

  3. タクシーまたはシャトル: よりプライベートな移動を好む場合、タクシーや事前予約のシャトルを利用することができます。これらはドアツードアのサービスを提供するため、荷物が多い場合や夜間の到着などに便利です。

これらの交通手段を使って、パリ市内のさまざまな地域にアクセスすることができます。計画に合わせて最適な方法を選ぶことが重要です。


パリの微熱 3月18日

朝から微かに頭痛がしており、他の同行者たちとは別に、この日はホテルに留まることにしました。異国の地で、一人毛布にくるまりながらうとうととしていると、室内の電話が鳴りました。外国での電話応答は初めてでしたが、恐る恐る「ハロー?」と応答すると、日本人の女性の明るくはっきりとした声が聞こえてきました。彼女は岩崎さんを訪ねていたものの、不在だったため、電話が私に転送されたのでした。

身支度を整えてフロントに降りると、野田さんと名乗る女性がロビーにいました。まだ岩崎さんたちは外出中であることを伝え、少しの間ソファで話をすることにしました。野田さんは、20代後半で目が大きく聡明そうな印象の女性でした。彼女はパリの日本人向け土産物店で働いているとのこと。フランスで働くには労働許可証が必要であるにも関わらず、彼女はそれを持っていないと告げました。パリでひとりで働く彼女の美しさと堂々とした態度に、私は大人びた印象を受けました。

野田さんとの会話は、一人で困難を乗り越えて働く女性の強さを感じさせるものでした。彼女の話から、私は少し勇気をもらいました。この出会いは、私が感じていた不安や萎縮を解くための、神様からの応援メッセージのように思えました。

一歩を踏み出すことの重要性を改めて感じさせられました。見えない先に対する恐怖はよくあることですが、何も行動しなければ何も始まりません。リスクを恐れずに、一歩踏み出すことで新たな発見や成長があります。そして、もし犬の糞を踏んだとしても、それを拭き取って前に進むことが大切です。

夕方、同行者たちが帰ってきた時、彼らは私のことを心配してくれました。彼らからのクロワッサンの差し入れをいただきながら、パリでの初めての食体験を楽しみました。初めて味わう本場のクロワッサンの味は、甘さとほのかな塩味が絶妙でした。


【補足情報】パリのホテルの格付け


パリのホテルは星の数によって区分され、その快適さ、アメニティ、サービスの質が示されます。それぞれの星のレベルは以下のような特徴を持っています:

  1. 一つ星:最も基本的な宿泊施設。小さな部屋(最低9平方メートル)と限られたサービスが提供されます。受付は日に最低8時間開いています。

  2. 二つ星:少し快適なホテルで、やや広い部屋があります。受付は少なくとも1日10時間開けられ、スタッフはフランス語以外の他のヨーロッパ言語を話すことが求められます。

  3. 三ツ星:より快適な宿泊施設で、最低13.5平方メートルの部屋に専用バスルームが備わっています。インターネット(公共エリア)やバーなどの追加サービスが提供されることが一般的です。

  4. 四つ星:高品質の宿泊施設で、最低16平方メートルの部屋があります。デスク、国際的なテレビチャンネル、エアコンなどの設備が備わっています。大きなホテルでは受付が24時間開けられています。

  5. 五つ星:最高の贅沢を提供するホテルで、複数言語を話せるスタッフ、24時間のルームサービス、ホテル内ダイニング、スパやプールなどの高級アメニティがあります。部屋は広々としており(最低24平方メートル)、設備が整っています。

さらに、「パレス」と呼ばれる特別なカテゴリーがあり、ファイブスターの基準を超えたホテルに与えられます。これらのホテルは独自の特徴と非常に高いレベルの贅沢を提供します。
これらのカテゴリーは、基本的なものから豪華なものまで、さまざまな旅行者のニーズに応えることを目指しています。それぞれの好みや予算に合わせてパリでの宿泊が選べるようになっています。


真夜中の迷い人 3月18日の夜

真夜中のことです。ドアが開く音がしました。私はその正体を確かめるために、少し体をドアの方へと寝返りました。同室の男の子は隣のベッドで眠っています。「これは泥棒か?」と思い、緊張で身を固めました。息を潜めていると、その足音は私のベッドの方へ近づいてきました。

足音が止まり、私は覚悟を決めて反撃できる体勢をとろうとしました。しかし、意外にも何か香水のような匂いがしました。女性かもしれませんと直感しました。そのふと気を緩めた瞬間、私の毛布の中にその人影が滑り込んできました。目を凝らすと、今回の旅で一緒にパリまで来たEさんでした。彼女はスペインまで留学に行くと話していましたが、どうしたのでしょうか。私が不思議に思って、小声で「どうしたの?」と尋ねると、「これからが不安で心配で眠れないの」と言いました。ああ、心細かったのは私だけではなかったのだとわかりました。

明日からは皆、別行動となります。男である私でも不安で胸が押しつぶされそうですから、女性のEさんはそれ以上に不安かもしれません。「一緒にいてもいい?」と彼女が言いました。顔をよく見ると彼女は泣いていました。私は何も言わずに頷きました。彼女は私の胸に顔を埋めてしばらく泣いていました。

少し落ち着いた後、私は彼女に「どうして私のベッドに潜り込んできたの?」と尋ねました。「日本にいる彼氏に似ているから」と彼女が言いました。「じゃあ彼氏はハンサムなんですね?」と聞くと、彼女は少し微笑んで頷きました。

私は悪い気はしませんでした。私は彼女をしっかりと抱きしめました。彼女は私の胸に顔をうずめました。彼女の髪からはいい匂いがしました。「明日の朝までこうしているつもり?」と聞いたら、彼女は何も言わずにいましたが、顔をのぞき込むと、小さな寝息を立てて眠っていました。隣のベッドでは、コック見習いの男の子がいびきをかいて眠っていました。私もだんだん眠くなってきました。

意識が途切れそうになる中で、これは今夜はいい夢が見られると思いましたが、その瞬間、私は深い眠りに引き込まれました。彼女のかすかな寝息を感じながら、さっきまでの不安が消え去っていました。これは神様が送ってくれた誕生日のエンジェルだったのかもしれません。

パリのスイーツはとてもおいしいのだけれど激甘は虫歯には良くない。

【補足情報】パリのフランスパンはなぜおいしいか?


フランスパンのおいしさは、シンプルな材料—小麦粉、パン酵母、塩、水だけで成り立っています。特にパン酵母の働きが重要で、適切な温度と栄養で活発に活動し、発酵によって素材の風味を引き立てます。フランスパンの特徴はその硬い皮にあり、「バケット」と呼ばれる種類は特に硬い皮が人気です。焼きたての皮は香ばしく、「バリバリ」とした食感、かじると「パリパリ」と音がし、中は「もっちり」としています。これらの食感がフランスパンの魅力を形成し、職人が丹精込めて焼き上げたフランスパンは、素材の味を最大限に生かしています。


涙と雨と春とパリ 3月19日

春の息吹が感じられるパリで、3月19日を迎えます。この日、共に旅をしていた仲間たちは一人また一人と、それぞれの目的地へと旅立っていきました。幸い、前夜にしっかりと睡眠を取ったおかげで、体調もすっかり良くなっていました。

ロビーでは、昨夜遅くまで涙を流していたEさんも、今は元気に旅支度を整えて立っていました。彼女はこの日の夜行でスペインへと向かう予定です。私たちはチェックアウトを終え、それぞれの目的地へ向かうために出発しました。Eさんとの別れは、強い握手と笑顔で印象づけられました。

私は、途中で書店に立ち寄り、トーマス・クックの「ヨーロッパ列車時刻表」を購入しました。この時刻表は、国際的な旅行者には欠かせないアイテムです。各国の主要な列車の時刻や、乗り継ぎ情報が網羅されており、地図や路線図も詳細に記載されています。最初は複雑に見えたこの時刻表も、じっくりと眺めるうちに読み解くコツが掴め、やがては旅の強い味方となりました。

時刻表を脇に抱え、ふと見かけたパン屋でクロワッサンを購入することにしました。店のショーウィンドウで窓を拭いている人形のような店員が、実は本物の人間であることに気付き、私は思わず息をのみました。彼女は、人形のように可憐で、パリのパン屋さんによく見られる美しさを湛えていました。日本人留学生がこうした店員さんと恋に落ちる話が納得できるほどです。もし私が学生としてパリに留まっていたら、きっと彼女と恋に落ちていたことでしょう。

しかし、私の旅はまだ始まったばかりです。定住することなど考えられず、心を鬼にしてクロワッサンを手に、「オ・ルボワール」とフランス語で告げ、メトロに乗り込みました。

この短い滞在で感じたパリの魅力は、これからの旅の中での思い出として、私の心に刻まれるでしょう。時には涙と雨が交錯するが、それもまた旅の一部です。春のパリは、訪れる者の心に、いつまでも残る特別な場所であります。

旅の友であるトーマスクック時刻表を手に入れる

【補足情報】パリの国際列車が出る主要駅

パリからの国際列車は主に以下の駅から出発します:

  1. ガール・デュ・ノール(Gare du Nord): ヨーロッパ最大の駅の一つで、イギリス(ロンドン)、ベルギー、オランダ方面へのユーロスターが出発します。駅内には多数のショップとレストランがあり、利便性が高いです。

  2. ガール・デ・リヨン(Gare de Lyon): スイス、イタリア、スペイン南部へ向かう列車が発着します。建築が美しいことで知られ、歴史あるレストラン「ル・トラン・ブルー」が駅内にあります。

  3. ガール・モンパルナス(Gare Montparnasse): 主にフランス西部やスペイン北部へ向かうTGVが出発する駅です。近代的な設備が整っており、ショッピングエリアも充実しています。


オステリッツ駅の旅立ち パリの章(了)

メトロのプラットフォームには、先ほど別れた人たちが地下鉄を待っていました。お互いに早すぎる再会を笑いました。驚いたことに、その中に大きな荷物を抱えたEさんもいました。目が合うと会釈をし、お互い昨夜のことを思い出して、少しはにかみました。Eさんは今からスペイン方面への列車が出るオステルリッツ駅に移動するとのことでした。なんのことはない、私が行くことに決めた南フランスのカルカッソンヌ行きの列車もそこから出発するのです。

パリには6つの主要な駅があり、それぞれ行く方面が異なります。そのため、出発の駅を間違えると、目的地行きの列車には永遠に乗れません。私はおどけて「荷物持ちにならせていただきます」と言い、Eさんのバッグをひとつ持って駅まで同行することにしました。いくつかのメトロを乗り継ぎ、オステルリッツ駅に着きました。メトロを降りて駅の構内に入ると、歴史ある駅の構造に驚きました。日本とは全く異なり、大屋根が駅のホーム全体を覆っています。構内の雑踏が大屋根に反響して、旅の郷愁を増幅させていました。出発時刻が早い列車の人たちが車中で食べるためのサンドイッチと飲み物を買ってくる間、私は荷物番をしました。

私の乗る深夜特急は、真夜中の出発です。まだ出発まで数時間ありましたので、しばらくベンチに座って皆で話をしました。Eさんが乗るスペイン行きの特急プエルタ・デル・ソルの発車時刻にはまだ余裕がありましたので、彼女が留学しようと思った理由や生い立ち、お互いの家族のこと、これからの不安に思うことなどをゆっくりと話しました。他の人の列車は既に発車しており、私とEさんだけが残っていました。「違う場所で会っていたら、私たち、これからずっと一緒にいたかもしれませんね」と彼女はポツリと言いました。私は何も答えませんでしたが、思いは同じでした。出発時刻が近づくにつれ、二人は言葉少なになりました。横に並んで座っているので、よく彼女の表情は見えませんでしたが、言葉が濡れていました。彼女がどんな様子なのかは概ね見当がつきました。発車時刻10分前になりました。私は立ち上がり、彼女の荷物を持ち、乗車券に印刷されている列車の号車まで先に歩きました。すでに交わす言葉はなくなり、黙って歩くしかありませんでした。彼女のコンパートメントの棚に荷物を上げ、私はステップを降りました。彼女は列車のステップの2段上にいました。ヨーロッパの列車は、発車時刻になると何の合図もなく出発します。私は、ハリウッド映画の「慕情」やイタリア映画の「ヒマワリ」を見ているからそのくらいは知っています。私は言葉もなく彼女を見ていました。彼女も私を見つめていました。もう数十秒で列車は発車するでしょう。最後に握手をしようとして私は一番下のステップに足をかけました。彼女も手を差し出してステップを一段降りました。手を握った瞬間に彼女の唇は私と重なりました。初めからそうなることは分かっているようなごく無意識の別れのキスでした。急に胸が熱くなりました。先頭車両が動き出す金属音が聞こえました。その揺れは私たちの車両まで伝わってきました。それがキスの終わりの合図でした。

私はステップを降り、彼女はステップを上がり、彼女を乗せた列車はゆっくりと動き出しました。私は数歩列車を追いかけたと思います。彼女の目からは、大粒の涙がこぼれていました。私は泣きませんでした。彼女の影は列車とともに薄暗いホームの終わりへと小さくなり、ドアの閉まる音がしました。私は、過ぎ去る列車とは逆の方向に歩き始めました。駅の別れは悲しすぎます。静かに涙が出てきました。引き止めなかった自分の勇気のなさとその理由の無さを悔しく思いました。こんなに切ない「つかの間の恋」があることを知りました。まるで映画の主人公のような自分の悲劇な境遇に驚いていました。私もこの駅から放浪の旅を始めます。そのプロローグにしてはあまりにもドラマチックな展開でした。悲しみと同時に、こんな気持ちになった自分が少し誇らしかったです。パリに春が来るのも間近でしょう。一昨日の底冷えが少し緩んでいます。私の想いが、ちょっとだけ春が来るのを早めたのかもしれません。

その後、私は彼女と会っていません。ただただ今が幸せであることを願います。その夜、深夜特急の中で流した涙は、寂しかっただけという理由だけではないでしょう。

パリの章 了

パリの駅は大きな天蓋に覆われ、駅の雑踏の音が響き独特の雰囲気がある。Paris_Lyon駅

イングランドの農園へ

1979年のヨーロッパ旅行の最後の目的地は、イギリスのケント州にある小さな村でした。この地にたどり着くまでには色々なドラマがありましたが、まずはフランスの港からイギリスへ向かう夜行フェリーの話から始めましょう。

フランスのシェルブール港を出発したのは、夜も更けてからでした。ギリシャの港同様、埠頭はオレンジ色のナトリウム灯で照らされていました。日本では一般的な白色の水銀灯とは違うので、遠く異国の地にいることを改めて実感しました。出航するまで少し時間がありましたが、乗船可能になるとすぐに船に乗り込みました。シェルブールからサザンプトンへのナイトフェリーは、深夜に出港し、早朝に到着するため、宿泊代を節約できます。ただし、船内の客室を使用すると追加料金がかかるため、外デッキでの野宿を選びました。雨は降っておらず、7月の夜もシェラフで寝れば寒さはそこまで感じませんでした。

明日にはイギリスへの初上陸が控えており、わくわくしていましたが、まずは海に落ちないような場所を見つけて、荷物を置き、寝袋を広げました。特にすることもなく、空を見上げると星が輝いていました。日本のことを久しぶりに思い、最近受け取った長崎の両親からの手紙を思い出しました。さすらいの旅人として固定の住所がないため、日本からの郵便はJALのパリ事務所に送ってもらっていました。

友人たちからの手紙は、渡欧後2ヶ月で来なくなりましたが、家族からは月に一度手紙が届きます。父は新聞の切り抜きを送ってくれ、日本の平和を伝えてくれました。その平和がかえって懐かしさを増すばかりで、少しホームシックになりました。

【補足情報】シェルブール港からブライトン行きのナイトフェリー

シェルブール港からブライトン行きのナイトフェリーは、フランスからイギリスへの重要な交通手段の一つです。このフェリーは、特に夏季には多くの観光客や旅行者に利用され、船内には寝るための客室が設けられていますが、追加料金が発生します。そのため、経済的な旅を心がけるバックパッカーには、外デッキでの野宿が一般的です。このルートは主に夜間に運航され、早朝にイギリスのサザンプトンに到着するため、宿泊費を節約しながら旅をすることができます。


親切なイギリス紳士の正体とは?

星空をぼんやりと見上げていると、イギリス人風の紳士が話しかけてきました。「私の部屋の二段ベッドの上が空いているから、来ればいいよ」と彼は言いました。このラッキーな誘いを受け入れ、心細かった船上での一夜が安心感に変わることに感謝しながら、その紳士に付いていきました。船室は広くはありませんでしたが、居心地は良かったです。確かに、二段ベッドの上段が空いていました。荷物を置いて彼の親切にお礼を言い、しばらく他愛のない会話を楽しみました。夜も更けてきたので上段のベッドに横になることにしました。

眠りにつこうと目を閉じたところ、下のベッドの紳士から「そっちに行っていいかい?」と声がかかりました。何の疑いもなく「いいよ」と答えたところ、彼は上がってきて私が包まれていた毛布の中に潜り込みました。驚いたことに、彼は全裸でした。しかし、外国で裸で寝る文化があることは知っていたので、動揺を抑えて何を話すのか尋ねました。すると、彼は明らかにセックスを求めるモードで私の体を触り始めました。彼の手は私の胸から徐々に下へと移動しておへその辺りをまさぐりました。この時点で、彼が同性愛者であることを強く感じました。さらに彼の手が下半身へと移動しようとしたところで、私は「ちょっと待って!私は同性愛者ではありません。やめてください!」と強く訴えました。幸い彼は手を止めました。しかし、彼は恥知らずにも「じゃあ、お金を払うからセックスしよう」と提案してきました。この状況には驚き、彼の部屋を出ていくべきかと考えました。

【補足情報】イギリスの同性愛者の近年の変遷

について イギリスにおける同性愛者の歴史は、過去50年で大きく変化しました。1967年、イギリスは同性間の性行為を合法化しましたが、この法律は長い間、多くの制限が伴っていました。しかし、2000年代に入ると同性愛者の権利は急速に拡大し、2005年には同性パートナーシップが法的に認められ、2014年には同性婚が法的に許可されました。この法改正は、同性愛者の社会における受け入れが進んだことを示しています。しかし、依然として差別や偏見に直面することもあり、同性愛者の権利の完全な平等にはまだ道のりがあります。今日では、イギリスはLGBTQ+の権利を支持する国の一つと見なされていますが、社会全体の意識改革がこれからも求められています。


お金と心の値段の天秤掛け

たしかに、私の手元にはわずか6000円ほどしかありませんでしたが、貧乏旅行者という弱みにつけ込んで、身体を売れと言うなんて、どうかしています!本当に「卑怯者!」と叫んでやるべきだったのですが、驚くべきことに私は思わず「How much?」と返してしまいました。ええ!本当に私は大切な自分をお金で売るのでしょうか?と内心混乱していると、彼は「600ポンドでどう?」と答えました。えっと、1ポンド500円(1979年当時の為替ルート)から考えると、3万円になりますね…。「うーん、どうしようかな?」と考える私、「いやいや、君はお金で身体を売るのか!」と断固として拒否を主張するもう一人の自分がいます。彼の手が私の下半身に迫ってきました。まるで金縛りにあったように身体が動かなくなりました。時間が止まったような感覚の中で、彼の手が動き始めた瞬間に、時が動き出したようでした。私は「だめです!」と声を大にして拒否し、ベッドから飛び降りました。そして、慌てて荷物を持ち、静かな漆黒の海の上を進む船の甲板へと戻りました。彼が追ってくるのではないかと心配もしましたが、幸いそんな気配はありませんでした。風の中でシェラフを引き直し、風が顔に当たらないようにして、丸くなりました。

渡欧前には、ヨーロッパには同性愛者が多いという不確かな情報を耳にしていました。そのため、当初は優しそうに声をかけてくる男性に対して必要以上に警戒していました。しかし、それは杞憂に終わり、私の心配は無責任な風評にすぎなかったと最近では感じていました。それが今回の出来事です。ロンドンは同性愛者が特に多いという噂を思い出しました。油断大敵ですね。しっかりと気をつけなければならないと、改めて感じました。そして、3万円…。少々の苦痛を我慢することになるかもしれませんが、それで一か月分の食費がまかなえるかもしれないという思いも、正直に言えばありました。お金というものは、今の時代では大切なものですが、使い方によっては卑怯です。お金を持っている人が、お金を持たない人のプライドを買うという現実に直面しました。世の中のことがまだわかっていない二十歳そこそこの若造にとっては、これも一つの社会勉強だったのでしょう。様々な感情が交錯する中で、気がつけば眠ってしまいました。船の穏やかな上下動が、まるで揺りかごのように私を包み込み、夜霧の中で星も見えない空の下で、船首が切る波の音を子守唄に、その日の疲れと共に夢の中へと消えていきました。

【補足情報】本音と建て前についての一考

本音

  • 利点: 本音を表現することで、自己の真実の感情や意見が伝わり、より深い信頼関係や理解を築くことができることがあります。また、自分自身を偽らない生き方は精神的な満足感や幸福感につながります。

  • 欠点: 本音が率直すぎたり、配慮に欠けると、相手を傷つけたり、無用な衝突を引き起こす原因になることがあります。特に、個人の感情や意見がグループの和を乱す場合、問題が生じることがあります。

建て前

  • 利点: 社会的な規範や礼儀を重んじることで、衝突を避け、表面的ながらも円滑な人間関係を保つことができます。特に公の場やフォーマルな状況で有効です。

  • 欠点: 常に建て前を優先すると、自分の本当の感情や意見を抑えることになり、ストレスや不満が蓄積する可能性があります。また、人間関係が表面的なものにとどまり、本当の意味での信頼関係が築けないこともあります。

簡単に言えば「本音と建前のバランスが大事」ということでしょうが、その瞬間に判断する必要がある場合は、バランスが大事なんてことは吹っ飛んでしまいます。私に限って言えば、結構判断ミスを数えきれないくらいしてしまったと思います。ただ、その失敗達は次の場面の刹那的な場面での貴重な決断材料になります。本当に幸いですが、まだ致命的な判断ミスをしていないことはラッキーとしかいえません。


イギリスへの一歩は、新しい始まり

翌朝、船は個人的な思い出をたくさん乗せ、なんとかサザンプトンの港に到着しました。天気は快晴で、「Tomorrow is always fresh with no mistakes in it.」という『赤毛のアン』の言葉が心に響きました。昨夜の悪夢はすっかり消え去り、新たな一日が始まります。

サザンプトンの駅へと歩いて移動していると、なんと昨夜の紳士がきちんとスーツを着こなし、近づいてきました。「あのね、君。ロンドンの僕のアパートに来ない?」と懲りずに言い寄ってきたのですが、返す言葉も面倒くさく、振り向きもせずに無視して、さっさと歩きました。今日の目的地はドーバー海峡沿いのブライトンです。なぜブライトンへ行くのかというと、その町では外国の学生のために必要経費を払えば労働許可証を発行してくれるからです。これまでいくつかの国でバイトを経験してはいますが、すべて労働許可証がないため、違法労働でした。バレたら逮捕され、日本へ強制送還されるかもしれません。その中で、夏休み期間中にアルバイトをする学生のために、数ヶ月間だけ有効の労働許可証を出してくれるという情報を得たので、今回のイギリス行きを決めたのです。

朝の光を浴びながらのイギリス初上陸は、わずかな所持金を持ちながらも、イタリアからの出稼ぎ労働者が多い国で、どのような展開が待っているのか、わくわくします。


【補足情報】気乗りしない誘いを上手に断る方法

気乗りしない誘いを上手に断るには、まずは自分の意志をはっきりと持つことが重要です。断る理由が明確であればあるほど、相手にもその意思が伝わりやすくなります。また、断り方にも礼儀を忘れずに、相手の感情を尊重する表現を用いることが望ましいです。

  1. 感謝を示す:まずは誘いを受けたことに対して感謝の意を表しましょう。「お誘いいただきありがとうございますが」と前置きすることで、相手も受け入れやすくなります。

  2. 理由を説明する:単に「NO」と言うのではなく、「今は他の予定があるため」と具体的な理由を伝えることで、相手にも納得してもらいやすくなります。

  3. 代替案を提案する:完全に断るのではなく、「またの機会に」といった言葉を加えることで、関係を悪化させずに済みます。

  4. 明確な態度を保つ:あいまいな表現は相手に期待を持たせてしまうため、断るときははっきりとした態度を示すことが大切です。


イギリスで働くための「いろはのい」

ブライトンには外国の学生のために、必要経費を払えば労働許可証を発行してくれる公的な機関があります。今までいくつかの国ですでにバイトの経験済みでしたが、労働許可証がないため、すべて違法労働でした。バレれば、逮捕、日本への強制送還にもなりかねないヤミの労働でした。なかなかヨーロッパで働くにはハードルがたかかったのですが、旅の途中で出会ったある人から「イギリスでは夏休み期間中、アルバイトをする学生のために数ヶ月間だけ有効の労働許可証を出してくれる」という情報を手に入れたのです。そこで今回のイギリス行きを決めました。

労働許可証の発行手数料は数千円。自分の手持ちは、6000円。ギリギリです。ブライトンのその住所になんとか辿り着き、許可証の発行を依頼しました。多分それが、初めてのイギリス人との会話(昨夜の悪夢は「初めての…」にはカウントしない)でしたが、なんと聞きやすい英語なんだろうというのが、第一印象でした。私が、今まで学習の際に聞いてきた中学校~大学までの英語にしても、こちらに来て会話した英語にしても米語であったり、英語を母国語としていない人たちの英語でした。もちろんイギリスでも地域によっては、かなり訛りがキツくて聞きづらい英語もあるので、この生の正調イングリッシュとの初遭遇は、不思議な感動すら覚えました。まあそれはさておき、必要書類にパスポート情報などを書き込み、発行をしてもらうと、「働く場所は決めているのか?」と聞かれたので、まだだと答えると、では働き口を紹介しようかという話になりました。私は、今回こそ渡りに船ということで、リンゴ農園の夏季アルバイト生として働ける手続きをしてくれたのです。電話でその農園に問い合わせると、2~3日後から働けるということになり、とんとん拍子になんと働き口まで決まってしまいました。最後に必要経費を支払って、出口を出てきたときには、胸を張ってイギリスで働ける就労学生になれたわけです。

ブライトンはイギリスの有名な保養地であることを新たに知りました。何か決まると、周りの景色が一層明るく感じられます。イギリスの夏の日差しは湿度が低いためか、とても心地よく感じました。これまで経験したことのある爽やかな晴れの日とは異なり、今日の晴れは少し誇らしげです。暑さに誘われてアイスクリームを手に取り、駅のコインロッカーにバックパックを預けた後、観光客で賑わう街を散策しました。ドーバー海峡の白い絶壁を見たい一心で海岸線を歩き、丘を登るとそこから望む絶壁が目の前に広がりました。人目を引かないこの場所で、カモメが上昇気流に乗りながら舞い上がる様子を眺めました。カメラを岩に置き、セルフタイマーで記念撮影を試みました。一人旅の中で新たな勝利を手にしたような、そんな充実感を味わいながら、長年の憧れであったヨーロッパでの自分探しの旅が、次の段階へと進んだのを感じました。



7月のイギリスはとても過ごしやすい気候だ。上着を一枚脱いでドーバー海峡を渡ってくる潮風に吹かれてしばし休息だね。

【補足情報】ブライトンの観光情報

ブライトンはイギリス南部の海辺の街で、長いビーチと文化的な活動で知られています。特に有名なのはブライトン・ピア、これは多くのアトラクション、アーケードゲーム、食べ物の屋台がある長い桟橋です。また、ブライトンはアートと若者文化が盛んで、多くのギャラリー、ライブミュージック、ビンテージのショップがあります。毎年開催されるブライトン・フェスティバルは、音楽、ダンス、劇場、映画が一堂に会するイギリス最大の芸術祭の一つです。歴史的建造物も多く、特に注目すべきはエキゾチックなロイヤル・パビリオンで、そのユニークなインド風の建築と豪華な内装が観光客を魅了しています。ブライトンはまた、LGBTフレンドリーな都市としても知られ、活気あるゲイコミュニティが存在しており、年間を通じて多くのプライドイベントが行われています。


ロンドン南部の古都

日が暮れる前に、カンタベリーへ向けて列車に乗りました。高校の世界史の授業で学んだ、イギリス国教会の重要な教会がある場所です。その教会は、かつてチャールズ6世が自分の好きな女性と再婚するために、カトリックの離婚禁止の規則を避けるために新しい宗派を設立した場所であり、その結果、周囲は大いに混乱し、ローマ法王庁との間で戦争に至ったほどです。
カンタベリーに到着し、街の中心にそびえ立つ尖塔群を横目に見ながら、まずは今夜の宿を探しました。街の端にあるB&Bにたどり着き、旅の汚れを感じさせるバックパックを下ろしました。シャワーを浴びた後、フランスで仕入れた食材で夕食をとりました。
この旅はもう4ヶ月以上続いており、ユーレイルユースパスのおかげで数えきれないほどの夜行列車に乗りました。バルセロナにいた時に突然ウィーンのオペラが見たくなり、夜行列車を乗り継いで行ったこともあります。ギリシャには2回訪れ、その美しい風景と列車内で出会った人々との交流は忘れられません。しかし、ユーレイルパスの有効期間ももうすぐ終わります。これからは農場で働き、農民として生活する予定です。イギリスには人種に対する偏見があると聞いていますが、定住して生活する安心感と、地元の人々との関係を築いていくことへの不安もあります。
今日はかなり歩いたので、早く眠りにつきました。深い眠りに落ちると、夢も見ずに一晩中ぐっすりと眠りました。

【補足情報】カンタベリーはイギリス・ケント州に位置する歴史的な街

で、特にカンタベリー大聖堂で知られています。この大聖堂は、アングロサクソン時代から続く長い歴史を持ち、多くの巡礼者や観光客が訪れる場所です。カンタベリーはその美しい中世の建築物が多く残り、歴史的な街並みが魅力の一つです。また、街は文学作品にも登場し、特にジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」の舞台としても有名です。訪れる旅行者は、大聖堂の見学の他、中世の雰囲気を色濃く残す旧市街を散策することができます。カンタベリーはロンドンからもアクセスが良く、日帰り旅行で訪れるのにも適した場所です。


農場で働く前のゆったり日:カンタベリー

カンタベリーでの2日目は、快晴とまではいかないものの、穏やかな朝でした。宿泊先のB&B(ベッド&ブレックファスト)でイギリス式の朝食を楽しみ、紅茶を飲みながらゆっくりと過ごしました。今晩も同じ場所に泊まるため、カンタベリー大寺院を訪ねることにしました。寺院は今まで見た教会と比べても独特な様式で、大きな四角い塔が左右に立ち、尖塔がそれを取り囲んでいます。その構造は、教会の権威を示すかのようで、イギリス国教会の存在感を示しています。寺院の内部は豪華な装飾に包まれ、奥には中庭もあり、まるでハリー・ポッターに出てくる魔法学校のようです。伝統を愛するイギリス人には魅力的に映る建物かもしれません。

翌朝には農場へ移動するため、無理せずに街をゆっくり観光しました。歩いていると良い匂いが漂ってきたので、その香りに誘われてパン屋さんへ。匂いの正体はミートパイで、中くらいのサイズを買いました。手に持ったずっしりとした感触に驚き、早速宿でナイフを入れてみると、中にはたっぷりの肉が詰まっています。ワインを片手にミートパイをおつまみに夕食を楽しみました。最近は携帯しやすいソーセージやサラミを食べていましたが、明日から定住者になることで、食にも余裕が出てきたのかもしれません。お腹いっぱいになるまで食べてもパイの半分しか食べられず、残りは翌日の夕食にとっておきました。新しい場所での生活への期待と不安が入り混じる夜でした。さあ、明日に備えて眠りにつきます。

【補足情報】ケント州について

明日から働くリンゴ農園があるFavershamは、イギリス南東部のケント州にあります。ケント州は、「ガーデン・オブ・イングランド(イングランドの庭)」と称される自然豊かな地域です。特に有名なカンタベリー大聖堂をはじめ、壮大な歴史的建造物や美しい庭園、自然豊かな田園風景が魅力です。州都のメードストンにはショッピングエリアや博物館もあり、観光名所としても人気です。

Faversham(ファヴァシャム)は、ケント州にある歴史ある町で、ブリュワリーや蒸留所が点在し、地元産のビールやサイダーが楽しめます。また、周辺には果樹園や農園が広がり、季節のフルーツ狩りやマーケットで新鮮な地元食材が手に入ります。さらに、マーケットタウンとしても知られ、毎週開催されるマーケットでは、地元の工芸品や食品が豊富に揃っています。


辿りついた小さな村:フェーバーシェム

翌日の移動はイギリス鉄道で数駅だけ進むことでした。ゆっくり朝食をとり、準備を整えます。所持品が増えたわけではないのに、バックパックは出発時よりもぐっと重くなったように感じます。きっと自分の旅の経験や思い出を詰め込んでいるのでしょう。

農場があるフェーバーシェムというイングランドのいかにも田舎の駅といった風情の小さな駅に降り立ちました。イギリスのローカル線は、ハリーポッターの映画でも見たように、車両にたくさんの乗降用ドアがついています。「なぜこんなにドアが必要なんだろう?」と不思議に思いつつも、これが英国式なのだと理解しました。

下車後、労働許可証を発行してくれた事務所からもらった地図を頼りに、これから働くことになる農場の事務所を目指しました。初夏のイギリスはとても気候がよく、青い空が広がり、ヒバリや野鳥の声が響いています。車がやっとすれ違えるような狭い田舎道を歩くと、小さな店が見えてきました。まずは事務所へ行くのが優先なので、帰りに寄ろうと決めて先へ進みました。

しばらく歩くと、目的の農場の事務所が見えてきました。事務所というよりも大きな農場の母屋のような感じです。入り口周辺をうろうろしていると、中から背の高い、姿勢の良い農夫が出てきました。私は先に「ハロー」と声をかけると、「お前はナカムライキオか?」と聞かれました。すでに私が来ることは知られていたようです。「私はナカムライクオです。どうぞイクオと呼んでください」と答えると、「OK!イキオ。明日からこの農場で働いてもらうけれど、とりあえず今日は住むところに連れて行こう」とのことでした。

お、宿泊所があるのかと少し興奮しました。きっとそこでバイトの学生たちが住み込んでいるのでしょう。これから出会う連中とうまくやっていけるか少し心配でしたが、「東洋から来たイエローモンキーなんて言われたらやってやろうじゃないか」と覚悟を決めました。

ボスが運転するトラックタイプのオースチンミニの助手席に乗り込むと、車内は意外に広く、車高は低いものの居住性はなかなか良かったです。しばらくのんびりしていると、数分で目的地に到着しました。


【補足情報】イングランドのローカル駅


イングランドのローカル駅は、大都市の主要駅とは異なる独特の特徴があります。まず、その規模は小さく、多くの場合、駅舎自体が一つの建物で済まされています。駅舎の内部には、チケットカウンターや小さな売店があるだけで、エンターテインメント施設や多数のレストランが並ぶような都会の主要駅とは異なります。

さらに、プラットフォームにはしばしば乗降用のドアがたくさんある独特の列車が停車します。車両ごとに複数のドアがあるため、乗客はそれぞれの目的地に最も近いドアを利用しやすくなっているのが特徴です。各プラットフォームには、利用者が次の列車を待つためのベンチや屋根が備わっており、地域の雰囲気を感じさせます。

また、ローカル駅は周囲の風景や建築に溶け込み、自然や田園風景に囲まれたことが多いです。農村部では、駅から広がる田畑や草原を眺めることができ、歴史的な建物と調和しています。このような駅のデザインは、地域の住民や観光客に親しまれ、イングランドの素朴な魅力を感じさせます。


ホームレスは一挙に一軒家住まい

畑の中に佇む二階建ての一軒家は、白い壁がオシャレで素敵です。ボスが家の鍵を開け、中に入るよう手招きしました。玄関を入ると、すぐ目の前が台所になっていました。家具は使い込まれたテーブルと椅子だけで、水道のシンクの横には2連のコンロがあります。ボスの説明によると、25シリングを投入すると一定時間ガスが使える仕組みで、その入金ボックスは使い込まれていました。コックをひねってみると、無事に火がつき、前の住人の残りがあったことにほっとしました。ボスが軽く笑いながら「ほら、ちゃんと使えるだろう」というジェスチャーをし、奥に進んでいきました。

廊下の奥には薄暗いバスルームがあり、トイレ、バスタブ、シャワーが整っています。南側の部屋はリビングで、天井が高く、南向きの大きな窓から手入れされていない小さな庭と、その向こうに広がる小麦畑が見えました。額縁に美しいイギリスの田園風景が描かれているようで、その景色に見とれてしまいます。

ボスが「二階に上がるぞ」と声をかけたので、階段を上がっていくと二部屋がありました。北側の部屋は台所の真上で、窓の下には車が見えますが、景色はいまいちです。南側の部屋はリビングの真上で、むき出しで擦り切れた木床の中央に、使い込まれたベッドが置かれていました。スプリングマットレスの真ん中がへこんでいますが、ないよりはマシです。カーテンは遮光効果のある布地で、カーテンを開けると夏の日差しが窓から降り注ぎ、素晴らしい眺めが広がりました。リビングから見るより遠くまで見渡せます。

ボスにこの部屋にすることを伝えると、そっけなく鍵を渡し「じゃあ、明日の8時に事務所に来るように」と言い残して出ていきました。一人残されて、しばらく家の中を探検しました。東洋から来たホームレスのようなさすらい人が、いきなり一戸建てに住む労働許可証持ちのアルバイト生になりました。その夜のことはあまり覚えていません。早めに寝袋にもぐりこみ、天井を静かに眺めながら、いつの間にか眠りの深みに落ちていきました。

【補足情報】イギリスのコテージは、伝統的な英国の田園生活の象徴


イギリスのコテージは、伝統的な英国の田園生活の象徴とされています。もともとは農村部での農業労働者の住居として建てられたもので、18世紀から19世紀にかけて一般的になりました。当初は茅葺きの屋根で、石やレンガで造られ、白い漆喰の壁が特徴的です。産業革命の時期に都市部へ労働者が移住すると、これらのコテージはより裕福な階級の人々の避暑地やホリデーホームとして使われるようになり、現代でも休暇中のリゾートとして利用されています。映画や文学で登場することで、その魅力はさらに広がり、多くの人が夢見る田園生活の一部として親しまれています。


イギリスの農場に初出勤

初出勤の日は快晴です。ありがたいことです。初日が雨だと、モチベーションが下がってしまいますからね。手持ちの食糧もほとんど残っていないため、適当にサンドイッチを作ってお弁当にしました。すると、朝食用の食べ物がなくなってしまいましたが、まあいいです。食べ物はあります。ただし食べる時間が遅くなるだけです。自分で納得しました。誰も文句を言う人なんていません。それに、農場に出勤する緊張であまり食欲もないです。バックパックからくたびれたスーパーのビニール袋を取り出して、お昼ご飯を包みました。作業中にのどが渇くだろうから、水道水をアルミの水筒に詰めました。ドアを出ると、明るいイングランドの朝の太陽が昇ってきています。

農場への道をしっかり覚えているわけではありませんが、「なんとなくこっちだったよな…」というかなりいい加減な方向感覚で歩き始めました。とにかく広い農場のようで、かなり歩いてもまだ農場敷地内のリンゴ畑が続いています。囲い込み運動で地主が農地を占有したという歴史を高校のときに習ったことを思い出します。すれ違う人もいません。実は正直ホッとしています。というのも、向こうから誰か歩いてくるとすれば、ずいぶん手前からその姿が見えるわけで、緊張した状況でどう挨拶すればよいのか戸惑ってしまうかもしれないと心配だからです。もちろんイギリスなのだから「グッドモーニング」でいいはずですが、ちゃんと発音できるか急に自信がなくなります。

今までは英語が母国語ではない人たちと英語で会話をしてきたので、まあなんとか通じるだろうと高をくくって話をしていましたが、ここは英語の本家本元です。労働許可証を発行してくれたおばちゃんも、農場のボスもとても聞きやすい英語を話していました。それに比べて私の個性的な英語の発音は、かなりダウングレードです。そんなことを考えながら歩いていると、いきなり後ろから「グッ、モーニング」という挨拶が聞こえました。自分も反射的に「グッドモーニング」と答えました。その男性は颯爽と自転車で私を追い抜いて、見る間もなく過ぎ去っていきました。今まで後ろから追い越しざまに挨拶される経験なんてなかったので、かなり新鮮な経験でした。かっこいいと思いました。それでなんとなく肩の力が抜けて、未経験の緊張感もずいぶん和らぎました。


【補足情報】イギリス人が古いものに固執する理由

イギリス人が古いものに固執する理由は、いくつかの要因によります。まず、イギリスの歴史と伝統が深く根付いていることが挙げられます。イギリスは長い歴史を持つ国であり、多くの文化的・歴史的遺産を誇っています。このため、古い建物や家具、日用品などに対して強い愛着を持つ人が多いのです。

次に、品質と職人技の重視が関係しています。古いものには、現代の大量生産品にはない手作りの良さや細部へのこだわりが詰まっています。イギリスでは、伝統的な職人技が尊重されており、古いものはその証とも言えます。これにより、古い家具や建物が丁寧に保存され、使われ続けることが多いのです。

さらに、持続可能性とエコロジーの観点からも古いものが好まれます。古いものを大切に使い続けることで、新しいものを頻繁に買い替える必要がなくなり、資源の節約や環境保護に貢献できるという意識が広まっています。イギリス人は、このようなサステナブルな生活スタイルを好む傾向があります。


旅は人を育てる…かも

農場の事務所に到着すると、すでに10人ほどの農夫が集まっていました。腹を決めて先に「グッドモーニング」と明るく挨拶しました。すると農夫の人たちもちゃんと答えてくれました。よし、まずはつかみはOKかも?と少し安心しました。しばらくするとボスが事務所からスケジュールが書いてあるらしい紙を脇に挟んで出てきました。皆はボスを中心になんとなく半円状に囲みました。まずはボスが挨拶をして、今日の作業予定をそれぞれの人に伝えていきます。一通り話が済むと、ボスが私に目で合図をして、ちょっと前に出るようにというジェスチャーをしました。ボスが私を紹介してくれました。私のほうを向いて自己紹介をするように言われ、「日本から来ました。夏休みの数ヶ月間ここで働きます。私のことはIKUOと呼んでください」と言いました。ヨーロッパを放浪してきて、それなりに度胸がついているので、とりあえずさらりと自分の紹介はできたかなと思いました。皆、口々に「よろしくな」などと挨拶して、各自本日の担当作業に取り掛かりました。皆真面目そうで、田舎の人間はやはり安心して付き合えるなぁと思いました。あとで大変なことになるのですが、その話はもう少し後に回して、独りぼっちになった私にボスはまた「ついて来い」と言って、ミニの運転席に座りました。私も助手席に座ると、農場の中をしばらく走りました。この農場の広さはいったいどのくらいあるのだろうと思うくらい感心してしまいます。大きなサクランボの木の林を越え、見事なリンゴの老木たちの丘を抜け、何かしらベリー系の木が連なる美しい栽培地を過ぎて、やっと車は目的地に着きました。

ボスが指示したのは、リンゴの収穫エリアでした。大きなカゴが並べられ、収穫の準備が整っていました。ボスは「今日の作業はここだ。収穫したリンゴをこのカゴに入れていく。品質を見分けるコツは後で教える」と言いました。そして、作業用の手袋とエプロンを渡してくれました。私は早速作業に取り掛かり、指示通りにリンゴを収穫していきました。最初は手探り状態でしたが、徐々にコツを掴み、リズム良く作業が進みました。周りの農夫たちも親切で、わからないことがあればすぐに教えてくれました。昼食の時間になると、皆で一緒に休憩を取りました。サンドイッチを取り出し、手作りの簡単なお弁当を食べながら、農夫たちと話しました。彼らは地元の話や農場での出来事を面白おかしく話してくれました。緊張が少しずつほぐれ、彼らとの距離が縮まっていくのを感じました。

夕方には疲労感とともに達成感を感じました。初日の仕事が終わり、農場を後にして帰宅の道を歩きます。行きと同じ道を通りますが、朝とは違い、夕焼けが美しい景色を彩っています。イギリスの田園風景は本当に絵になりますね。家に帰ると、すぐにシャワーを浴びて汗を流し、さっぱりしました。夕食には、昨日の残りのミートパイを温めて食べました。体を動かした後の食事は美味しく、すぐに眠りに落ちました。明日も頑張ろうと思いながら、静かに眠りに落ちました。


【補足情報】イギリス人のティータイムへのこだわりについて

イギリス人がティータイムにこだわる理由は、その歴史と文化に深く根ざしています。ティータイムは17世紀に始まり、アンナ・マリア・スタンホープという貴族の女性が夕食までの空腹を紛らわすために始めたのがきっかけです。この習慣が次第に広まり、社交の場としても定着していきました。ティータイムは単なる飲食の時間ではなく、リラックスして交流を深める大切な時間として認識されています。

さらに、ティータイムはイギリス人の日常生活において重要な役割を果たしています。忙しい仕事の合間に一息つくことで、リフレッシュし、再び活力を取り戻すことができるのです。また、ティータイムには紅茶だけでなく、スコーンやサンドイッチ、ケーキなどの軽食も含まれ、食事としての役割も果たしています。これにより、心地よい満足感を得ることができるのです。

イギリス人のティータイムへのこだわりは、彼らのライフスタイルや価値観を反映しています。リラックスしながら大切な人々と過ごす時間を重視し、質の高い生活を追求する姿勢が見て取れます。このような背景から、ティータイムはイギリス文化の象徴として愛され続けているのです。


一人ぼっちと孤独は違う

翌日は朝のミーティング後にボスは私をトラックタイプのミニクーパーで昨日とは違った現場に私を連れていきました。そこは、果樹の幼木を植えてある明るい農地でした。

荷台に積んである道具を下ろすと、太い針金の部品をいくつか手に取り、幼木のほうに歩いていきました。私も彼の後に続き、どんな作業になるのか少々不安ではありましたが、静かに彼が説明を始めるのを見守りました。「イキオ、これは、まだ小さなリンゴの苗木だ。見て分かるように分かれて出てきている枝が、すべて上を向いている。」なるほど。幹の大きさもまだ人差し指ぐらいの太さです。「これでは、枝から広がる葉が、効率的に太陽の光を十分に受けることができない格好だ。」なるほど…。そこで、イキオ。このS字型の針金製のフックを幹と枝に引っ掛けて、広がった状態に矯正するんだ。」ふむふむ。「見てごらん。まず幹にS字の部分を引っ掛けて、残りの部分を枝に引っ掛けると、ほら枝が広がっただろ。」「Yes, I got it. Boss」「じゃあ夕方になったら迎えに来る」と言い残して、私をひとり残して車で立ち去りました。私は半分唖然としながら、山ほどのS字フックが詰め込まれたコンテナとその部品が取り分けてあるプラスチック製のバケツの前にしばし佇みました。

改めて回りを見渡してみると、遠く水平線まで続くリンゴの幼木の畑に動いているのは私一人でした。空高くヒバリが鳴き、ときどき優しく風が吹きました。とりあえずアリが来ると困るので、S字フックの山の頂上に昼ごはん(昨日ドラッグストアで買ったパンとハムのサンドウィッチ)と水筒を置き、ノロノロと小分けしたS字フックのバケツを持って、初めの列の2本目の木にフックを掛けてみました。もちろん一本目には、ボスのフックがかかっています。実際にやってみると以外に難しく、ボスのように掛けたつもりでもなかなか枝が広がってくれません。何度も自分のフックの掛け方とボスの掛け方を見比べること30分。なんとなくやり方が把握でき、少しづつ掛け方もスムーズになってきました。

日差しは暑いのですが、風が吹くと汗が引きます。湿度が日本と比べると低いことが実感されます。生まれて初めての経験です。日本では想像できないくらいの快適さで、「日本の夏もこんなんだといいんだけどなー」と無駄なことも思い浮かぶ余裕も少しづつ出てきます。とはいっても、間違いなく身体の水分は蒸発していくのだからと、水筒をフックのバケツに突っ込んで、時々のどの渇きを潤しながら作業を続けました。本当に私以外の生き物は地上にいないのだろうかというくらい広々とした畑に動くものが見当たりません。一人ぼっちだけれど、寂しくなかったです。きっと向こうに見えるブッシュの中には、野うさぎが隠れているでしょうし、リスだってあの木の枝で忙しくエサを探しているでしょう。私が大好きな「太平洋一人ぼっち」(堀江健一著)のなかで、主人公の堀江青年は、ヨットによる太平洋の単独横断の途中でこんなことを考えています。一人ぼっちと孤独は違います。太平洋の真ん中に一人で漂っていてもそれが孤独というわけじゃありません。日本に自分のことを思ってくれている仲間や家族がいれば、たまたまその間の距離が遠いだけで心はつながっています。でも、周りにたくさんの人間がいても、心がひとつ孤立しているとすれば、それはとても寂しい事になります。それが孤独です。確かにそう思います。

今は、ヨーロッパを一人で旅して、辿り着いた場所はイギリスです。周りには知人がいるはずもないが、ちっとも寂しくないです。日本には、友達もいるし、家族もいる。まあ最近では、忘れられているかもしれないが、私は忘れていません。今はたくさんの経験をすることで、なにかしら新しい発見をできるように生活したいです。なにかしらの生き方の道しるべが見つけられれば幸いです。それが見つけられないにしても、貴重な経験をしていることには間違いないです。今ならこれまでの大変な経験も有難いと思うようになれた。定住するようになってたった一日なのに、心の持ち方が変わりました。不思議だけれど、これも貴重な経験なのだろうと思います。

【補足情報】一人ぼっちの時に心を平静に保つ心得

一人ぼっちの時に心を平静に保つためには、いくつかの心得があります。まず、現在の状況を受け入れることが重要です。孤独を感じることは自然な感情であり、それを無理に否定するのではなく、その感情を受け入れ、自分自身と向き合う時間を大切にします。次に、自己対話を積極的に行うことです。自分の感情や考えをノートに書き出すことで、心の中の整理ができます。これにより、自分が何を感じ、何を望んでいるのかを明確にすることができます。

さらに、目標や趣味を持つことも有効です。何かに集中することで、孤独感を紛らわせることができます。例えば、読書、絵を描く、楽器を演奏するなど、自分の好きな活動に没頭する時間を作ることが大切です。また、体を動かすことも心の平静を保つために役立ちます。ウォーキングやヨガ、ランニングなどの運動は、ストレスを軽減し、心身のバランスを整える効果があります。

最後に、周囲とのつながりを大切にすることです。家族や友人とのコミュニケーションを忘れずに、定期的に連絡を取り合うことで、孤独感を和らげることができます。物理的な距離があっても、電話やビデオ通話を活用することで、心の距離を縮めることができます。このように、一人ぼっちの時に心を平静に保つためには、自分自身との向き合い方や周囲とのつながり方を工夫することが重要です。


本場イギリスで初めてのティーブレイク

ふと腕時計を見ると、10時を過ぎていました。せっかくイギリスにいるのだから、10時のお茶、いわゆるティーブレイクを楽しもうと思いました。とはいえ、紅茶もクッキーも持っていません。今日は水とお昼ご飯用のサンドイッチだけです。まあいい、格好だけでも楽しもうと思い、ベースキャンプに戻り、昼ご飯用のサンドイッチの一部をちぎって腰を下ろし、水を紅茶代わりに飲みながらなんちゃってティーブレイクをしました。昨日、帰り道に見つけた雑貨屋さんでクッキーとパン、それから本場の紅茶を買おうと思います。しばらく住むのだから、少々買い込んでも問題ないでしょう。とはいえ、給料日までは贅沢はできないので、それなりの買い物しかできませんが…。

さて、仕事の続きを始めようと思いました。広がるリンゴの苗木の林をどこまで進むかわかりませんが、任せられた仕事なので、頑張っていい仕事をしようと思いました。夕暮れまでもくもくと作業をこなしました。もちろん3時のお茶の時間にもちゃんと休憩を取りましたが、お昼ご飯はすでに食べてしまっていたし、水の残りも少なかったので、フランスで買ったDRUMという銘柄の紙巻タバコを巻いて、一服しただけでした。

夕方5時前にボスが迎えに来ました。私の作業を見て、特に文句も褒めることもなく、ふーんと見渡して、「イキオ、明日も同じ仕事だ」と言ってニヤッと笑いました。私は少し引きつった顔で「Yes, Boss」と答え、明日の作業用の道具をそのままにして引き上げました。農場の管理事務所へ向かう道すがら、このリンゴの苗木たちが美味しい実をつけるのはいつごろだろうかとぼんやり思いました。自分のリンゴの木ではないけれど、その成長が楽しみです。管理事務所はすでに静かで、ボスにさよならを言った後、家路に着きました。


【補足情報】英国風ティーブレイクで出されるケーキ

英国風ティーブレイクでは、紅茶と一緒に様々な種類のケーキが出されることが一般的です。特に人気があるのは「ヴィクトリアスポンジケーキ」です。これは、ふわふわのスポンジケーキにバタークリームとジャムを挟んだシンプルながら美味しいケーキです。その名はヴィクトリア女王にちなんで名付けられたもので、ティータイムの定番として親しまれています。

他にも「レモンドリズルケーキ」も人気です。レモンの風味が爽やかなこのケーキは、レモンシロップをたっぷり染み込ませたしっとりとした食感が特徴です。また、「フルーツケーキ」もよく見かける一品です。ドライフルーツやナッツがたっぷり入っており、紅茶との相性が抜群です。

これらのケーキは、家庭で手作りされることも多く、それぞれの家庭で少しずつ異なるレシピが受け継がれています。ティーブレイクの時間には、こうしたケーキを楽しみながら、友人や家族とゆっくり過ごすことがイギリスの伝統的な風景です。


ドラッグストア初入店

農場の一日が終わり、帰り道に少し寄り道をしました。目的地は、例のドラッグストアです。当時、日本にはまだ多くなかったドラッグストアに入るのは初めてで、少し緊張していました。店の中は何でも屋のような雰囲気で、郵便局も兼ねているようでした。ちょっと小太りで親しみやすそうなおばちゃんが出てきました。すでにヨーロッパで4ヶ月過ごしているので、挨拶には慣れています。目で会釈をしました。

ドラッグストアの店主兼郵便局長(?)エリザベスさん

お目当てのクッキーと紅茶、全粒のオートミールパン、お米も手に入れました。旅行者かと尋ねられたので、近くの農場で夏の間だけアルバイトをすることになったと答えました。おばちゃんは、日本からのアルバイト生は初めてらしく、何でも聞いていいと言ってくれました。早速、日本に手紙を出したいので、アエログラムを数枚欲しいと尋ねると、すぐに出してくれました。アエログラムは、ハガキと封筒が合体したようなもので、ハガキよりもたくさん書けて、封書よりも安い料金で出せる簡易封書です。切手は既に封筒側に印刷されています。数ヶ月間はここにいるので、明日ボスに住まいとして貸してもらっている家の住所をきちんと聞いて、日本の家族に連絡しようと思います。4枚ほど購入しました。

外に出ると、高緯度のイギリスの夏の夕方は長く、やっと陽が傾いてきました。気がつかなかったけれど、今日は相当歩いたようで、家に戻ると急いでシャワーを浴びました。お腹に牛乳とパンを流し込み、ベッドに倒れ込みました。外には、シンとした闇が広がっていました。


【補足情報】イングランドの田舎にある郵便局とドラッグストアが一緒になったお店について

イギリスの田舎には、郵便局とドラッグストアが一体となった店舗が多く見られます。これらの店舗は、小規模なコミュニティにおいて重要な役割を果たしています。以下に、いくつかの特徴を紹介します。

  1. 多機能店舗: 郵便局とドラッグストアが一体となっているため、郵便サービスだけでなく、日用品や薬品の購入も一箇所で済ませることができます。これにより、地域住民は必要なものを一度に揃えることができ、非常に便利です。

  2. コミュニティの中心: こうした店舗は、単なる買い物の場にとどまらず、地域の人々が集まり交流する場でもあります。地元のニュースや情報を共有する場としての役割も果たしており、コミュニティの結束を強める一助となっています。

  3. 個人経営の温かみ: 多くの場合、こうした店舗は家族経営で運営されており、店主や従業員との温かい交流が魅力です。常連客との信頼関係が築かれており、顔なじみの客が気軽に立ち寄る場所となっています。

  4. 歴史的な建物: 特に田舎の店舗では、歴史的な建物を利用していることが多く、外観や内装に趣があります。古き良きイギリスの雰囲気を感じられるのも魅力の一つです。

  5. 便利なサービス: 郵便局としての基本的なサービス(手紙や小包の送付、切手の販売など)に加え、ドラッグストアとして医薬品や健康食品、化粧品なども取り扱っています。さらに、銀行業務を行う店舗もあり、現金の引き出しや振り込みも可能です。

イギリスの田舎に訪れた際には、こうした店舗に立ち寄り、地元の雰囲気を感じながら買い物や交流を楽しんでみてください。きっと素敵な思い出になることでしょう。


リンゴの木と野うさぎと戦闘機

二日目の朝、農場への道を歩きながら出会う人々と元気に挨拶を交わし、朝礼も無事に終えて、ボスに連れられ再びリンゴの赤ちゃんたちのお世話をするために昨日と同じリンゴ畑へと向かいました。今日は万全の準備です。水筒には紅茶、ミネラルウォーターはペットボトルに入れ、お昼ご飯用のサンドイッチとティータイム用のレモンクリームがサンドされているクッキーを一袋用意しました。案の定、ボスは私を畑に落とすなり、さっさと帰っていきました。

私は、10時のティータイムまで、S字フックを掛ける「tieing tree」の作業をしました。相変わらず本当に気持ちの良い天気です。10時の紅茶を楽しんでいると、リンゴの幼木の間から何かが飛び出してきました。野うさぎでした。パッと出てきたものの、私がいたためびっくりしたのでしょう。しばらく固まっていました。私もびっくりしました。うさぎを見たことはありましたが、野うさぎとの遭遇は初めてです。野うさぎは固まってはいるものの、こちらを怖がっている風でもありません。しばらくお互い見つめ合いましたが、うさぎには私に近づくだけの理由はなかったのでしょう。近くを適当に散策した後、出てきたときと同じ勢いでブッシュの中に消えて行きました。

その直後、ものすごい轟音とともにジェット戦闘機が超低空飛行で飛び去りました。編隊を組んだその戦闘機群は、きれいな赤に機体がカラーリングされていたため、見せることを目的としたイギリス空軍のチームかもしれません。(後日、ドラッグストアのおばちゃんに聞いてみたら、レッドアローズというイギリス空軍のアクロバチックエアロチームだと教えてくれました。)さっきの野うさぎも、この轟音を私よりも先に聞きつけてブッシュの中に飛び込んだのかもしれません。戦闘機が飛び去ると静けさが戻りました。特に作業を止める理由もなかったので、再び作業に戻りました。なんという静かで平和な時間でしょう。作業は決して楽しいというものではありませんが、自分のペースで進められます。こんな作業が、3日ほど続きました。

永遠と続くリンゴ農園ではいったいどれくらいのリンゴが収穫されるのだろうか?この農園の規模の大きさに驚く

【補足情報】レッドアローズについて

レッドアローズ(The Red Arrows)は、イギリス空軍(RAF)のアクロバット飛行チームで、正式には「RAFアクロバティック・チーム」と呼ばれています。1965年に創設されて以来、その見事な飛行技術と華麗な編隊飛行で世界中の航空ショーやイベントで観客を魅了してきました。

レッドアローズの特徴は、赤を基調とした鮮やかな塗装と緻密なフォーメーション飛行です。使用される航空機は「BAEホークT1」という軽量で高性能なジェットトレーナーで、これを使って複雑なアクロバット飛行やスモークトレイルを伴った編隊飛行を行います。

レッドアローズは、年間を通じてイギリス国内外で多数のパフォーマンスを行っており、その訓練とショーのために厳しいスケジュールをこなしています。パイロットたちは厳選されたエリートで、空中での高度な技術とチームワークが要求されます。また、彼らの飛行技術だけでなく、地上での整備チームやサポートスタッフも含め、完璧なショーを実現するために一丸となって取り組んでいます。

レッドアローズのショーは、観客にとって忘れられない体験となり、その精緻な飛行パフォーマンスと美しいスモークトレイルが描く空のアートは、航空ファンだけでなく多くの人々に愛されています。


道すがらナゾのキノコを獲る

ドラッグストアでは少し馴染み客になり、住んでいる家のちょっと個性のある煮炊き用のコンロのクセもわかってきました。農場への近道も発見しました。大きなリンゴの木の林を突っ切り、ブラックチェリーの見事な大木がズラリと並ぶ林を通ると、あっという間にドラッグストアの前に出ます。そこから家までは5分もかかりません。しかも思いもよらぬ収穫もありました。リンゴの林を抜けるときにふと木の根元を見ると何かしら白いものが見えました。何だろうと近づいてみると、それは白いキノコ、なんと自生のマッシュルームだったのです。

それまでマッシュルームと言えば缶詰か小さなパック詰めのものしか知りませんでしたが、これが自然に生えているのを見つけたのです。キノコは毒を持つものもありますが、その姿格好がまさしくマッシュルームそのままでした。私は手ごろな大きさのものを4、5個採ってカバンに入れました。ふと上を見上げると、小ぶりのリンゴも赤くなっているではありませんか。しばらく考えた後、これだけ沢山あるんだから味見ということで2、3個採ってもバチはあたらないだろうと判断して失敬しました。後日、農場の農夫の人たちも適当に採って帰っていたので、まあ職員特典ということなのでしょう。

さて、マッシュルームの話に戻ります。どのように料理しようかと我が家までの道すがら考えました。やっぱり焼くのが無難かなと決めかねて、なんとなく日本から持ってきたポケットタイプの日英辞書で調べてみると、マッシュルームは「西洋マツタケ」と翻訳されていました。では自炊用に買ってきたお米でマッシュルームご飯に決定です。早速、準備しました。まずお米を研ぎます。日本のお米とは違って長粒種、いわゆるロングライスなので、少し水加減は多めにします。そこにドラッグストアで買ったしょう油で塩加減を調整しました。なんとイギリスの田舎でもしょう油が売ってあるのを見たときは感動しました。しかも日本製です。日本のセールスマンは世界中で日本製品を売り込んでいてすごいなぁと感謝して、手を合わせて買いました。

貴重なしょう油なので必要最小限の量を加え、足りない分はイギリスの塩で調整しました。日英同盟です。そこに2、3mmの厚さにスライスしたマッシュルームを入れました。本当にマッシュルームだろうかという不安は若干ありましたが、今まで培ってきた野生の勘を信じることにしました。蓋をロックして準備完了です。


【補足情報】リンゴ農園に自生するマッシュルームについて

リンゴ農園に自生するマッシュルームは、一般的に Agaricus bisporus という種類のキノコです。このマッシュルームは、温帯地域の農地や牧草地でよく見られ、特に有機物が豊富な土壌で育ちます。リンゴ農園のような場所では、落ち葉やリンゴの残骸が分解されて肥沃な土壌を作り出し、マッシュルームにとって理想的な環境が整っています。

自生するマッシュルームは、新鮮で香りが良く、一般的な市販品よりも風味が豊かです。ただし、キノコの識別には注意が必要です。食用のマッシュルームと有毒なキノコは見た目が似ている場合があるため、十分な知識がない場合は専門家に確認することが重要です。リンゴ農園で自生するマッシュルームを安全に楽しむためには、地元の農夫やキノコの専門家に教えを乞うと良いでしょう。

また、マッシュルームを採取する際には、環境への影響を考慮して適切に行うことが大切です。過剰な採取は生態系に悪影響を及ぼす可能性があるため、必要な分だけを採取し、自然のサイクルを尊重することが求められます。


こだわりのマツタケ風炊き込みご飯

コンロにかけて火をつけます。お米を炊くのには、持参してきたコッフェルが非常に役に立ちます。このアルミ製のコッフェルは、ふた付きでしかも簡易的にロックができるので、お米を炊くときにはそれなりに圧力がかかり、いい具合にお米が炊けるのです。日本にいるときも、このようなシチュエーションがいつかあるだろうと思って、かなりお米を炊く練習はしてきました。その成果を試すときが来ました。この旅の中でお湯を沸かしたり、クノールのインスタントスープを作ったり、ここに来てからは絶対に外せないティータイム用の紅茶を煮出すのに使ってきました。

個性的なコンロで火加減を調整するのは至難の業ですが、マッシュルーム(多分…)の炊き込みご飯を食べるために、微妙な火加減をするために格闘します。個人的な経験で確かと言うわけではないですが、ご飯を炊くときに一番必要なのは聴覚だと思います。もちろん火加減は必須ですが、最後の仕上げの段階は火加減というよりは、お鍋の中から聞こえてくる音の聞き分けに成否があると思います。まあ仕上がり間近まではグツグツという音ですが、すっかりお米に火が通り、水分がいよいよなくなってくる頃になると、グツグツがプツプツという感じに変わります。そこであわてて火を止めるとベッチャリとして水っぽい、いわゆるおかゆに近い仕上がりになります。そこでプツプツからしばらく放っておきます。すると蓋の脇から湧き上がっていたねっとりした湯気が少なくなり、微妙に焦げ臭い匂いが漂ってきます。ほとんど水分が蒸発して、なべ底のお米が焦げ始めた証拠です。当然そのまま放置すると、せっかく炊いたご飯はおこげご飯になります。しかしおいしいお米に仕上げるためには、このギリギリの辛抱が大切になります。プツプツという音はもう少し高い音になり、パチパチという「もういっぱいいっぱい」というお米からの悲鳴が聞こえてきますが、ここでも「後もう少しだ!」と最後の辛抱します。さらに高音のピチピチという音になれば「もう我慢できない!だめだぁー」という我慢の限界が訪れた時点で、火を止めます。

さて、はたして西洋マツタケ風炊き込みごはんの出来は…?

【補足情報】ヨーロッパで主に流通しているロングライスを上手に炊く方法

ヨーロッパで主に流通しているロングライスは、日本の短粒米とは異なるため、炊き方にも工夫が必要です。ロングライスを上手に炊くためには、以下の手順を守ると良いです。

  1. 洗米: ロングライスも洗うことで、余分なデンプンを取り除くことができます。2〜3回水を替えて、軽く洗います。

  2. 浸水: 洗米後、約30分から1時間程度水に浸しておきます。これにより、米が均等に水分を吸収し、ふっくらとした炊き上がりになります。

  3. 水加減: ロングライスの場合、水の量は米の1.5倍から2倍程度が適切です。浸水後の水を切り、新たに炊くための水を加えます。

  4. 炊飯: 中火で炊き始め、沸騰したら弱火にして15〜20分ほど炊き続けます。蓋はあまり開けないようにし、蒸気を逃がさないようにします。

  5. 蒸らし: 炊き上がったら火を止め、蓋をしたまま10〜15分程度蒸らします。これにより、米が均等に蒸気を吸収し、さらにふっくらとした仕上がりになります。

  6. ほぐし: 蒸らしが終わったら、しゃもじで軽くほぐします。これにより、米が均等にほぐれ、ふっくらとした食感が楽しめます。

以上の手順を守ることで、ヨーロッパのロングライスでも美味しく炊き上げることができます。炊飯器がない環境でも、この方法で美味しいご飯を楽しむことができます。


覚悟を決めて…食べる

さて、今夜のお米の仕上がりはどうだろうとコッフェルの蓋をとると、なんとつやつやした仕上がりのマッシュルームご飯が湯気の向こうに見えました。別名、西洋マツタケご飯です。匂いはまったく、おいしそうです。最後の確認は、舌で確かめるしかありません。その美味しそうなご飯の香りに負けて、まずスプーンでご飯を味見しました。久しぶりのご飯の味にテンションが上がります。勢いでマッシュルームのようなキノコもすくって、食べてみました。香りは日本のマツタケには及ばないものの、味はほのかにマツタケのうまみが口の中に広がります。間違いない、これはマッシュルームです。

その目の前の西洋マツタケご飯ができたこともうれしいですが、通勤路に食材が生えている。つまり飢える可能性が低くなるということは、ホームレス同然の生活をしてきた人間にとっては希望の光です。帰る家がある。食べる物がある。胸を張って仕事できる職場がある。この状況に出会えた自分は幸せです。たった一つのイギリスのアドレスから道が広がりました。やはり、生きるとは前進することが大切であると再確認しました。

毎日、静かで落ち着いた生活を送っています。大きなリンゴ林の横には、私が大好きな西洋梨(pear)の相当広い林も見つけました。もちろん、鈴なりの西洋梨を職員特典ということでどっさりもらって帰りました。もう職員特典のオンパレードで、ブラックチェリーも出勤前と帰宅するときに空き缶に入れて帰りました。ああ幸せです。旅っていいなぁ~などとお気楽にしていました。ただし、次の試練がもうすぐそこまで来ていたことを知らずに…。


農園への通勤途中で毎日拾った(?)食材:左から西洋梨、プラム、マッシュルーム、リンゴ

【補足情報】マッシュルーム(西洋松茸)と松茸の違いについて

マッシュルーム(西洋松茸)と松茸は、見た目も味も異なるキノコですが、どちらも料理に使われる人気の食材です。

マッシュルームは、ヨーロッパをはじめとする多くの国で広く栽培されているキノコで、白くて丸い形をしています。風味は柔らかく、ほんのりとしたナッツのような香りが特徴です。食感は滑らかで、炒め物、スープ、サラダ、ピザなど、様々な料理に使われます。栽培が容易であり、年間を通じて安定して供給されるため、価格も比較的手頃です。

一方、松茸は、日本、韓国、中国などで自生する高級キノコで、秋の味覚として知られています。傘が開く前のつぼみの状態で収穫されることが多く、独特の香りと風味が特徴です。香りは強く、風味も濃厚で、炊き込みご飯や土瓶蒸し、焼き物など、松茸の香りを活かした料理が多くあります。松茸は栽培が難しく、主に野生のものが収穫されるため、価格は高めです。

これらの違いを理解し、適材適所で使い分けることで、料理の幅が広がります。マッシュルームは手軽に手に入るので、日常の料理に使いやすい一方で、特別な日の贅沢な一品には松茸がぴったりです。それぞれのキノコの特徴を活かして、様々な料理を楽しんでみてください。


車持ちのアルバイト生

木曜日、出勤すると農場の事務所のほうから賑やかな声が聞こえてきました。何事かと思いながら農場の門をくぐると、そこには英語の洪水が広がっていました。近くの職員に尋ねると、この日から学校が夏休みになり、新たに農場でアルバイトをする学生たちがやって来たのだと教えてくれました。私と同じ身分の彼らが、まるで祭りのようにどやどやと入村してきたのです。

一瞬、彼らが私の住んでいる家に来るのかと思いゾッとしましたが、どうやら専用の宿泊施設が用意されているらしく、少し安心しました。しかし、ボスが私を呼び出し、新しい住人がスペインからやってくることを告げました。「Yes, boss」と答えるしかありませんでした。こうして、のんきな一軒家でのハッピーシングルライフは終わりを告げました。

新しい住人について詳しく聞くと、スペインのイギリス大使館の職員の息子だということで、少しは安心しました。大使館関係者の子息なら、それなりに行動や相手に対する敬意の払い方は知っているだろうと思ったからです。しかし、続けてボスは「実は、その男の子は英語があまり話せないんだ」と言いました。えっ?イギリス人なのに英語があまり話せない?驚きましたが、聞けばスペインでの生活が長く、スペイン語が生活のほとんどであり、英語はスペインの高校で習った程度だとのことです。ふむふむ、ということは、もしかして私のほうが英語が上手かも?そんな余裕も出てきました。しかも、私は先に住んでいるということで、先住民の立場です。何かと優位に事が運ぶかもしれないと少しホッとしました。

ボスは「まあ、仲良くやってくれ」と言い、「Yes, Boss」で話は終わりました。翌日から地元のバイト生がtieing treeの作業を担当することになり、「では、今日から私は?」と尋ねると、ボスは「イキオ、お前は車の運転免許を持っているのか?」と聞きました。「持ってます」と答えると、「では、今日からこの車を仕事のときに使いなさい」と言って、車のキーを渡されました。どの車かと尋ねると、指差された先にはなんとオースティン・ミニトラックがありました。やったぁ!なんということでしょう。これでとりあえず車持ちの装備まで整いました。これなら世界中を行けるぞと、ほくそえんでいる自分がいました。

【補足情報】ミニクーパーのトラック仕様について

ミニクーパーは、1959年にイギリスのBMC(British Motor Corporation)によって初めて生産されました。ミニクーパーのトラック仕様、正式には「ミニ ピックアップ」は、その多用途性と独特のデザインで知られています。1961年から1983年にかけて生産されたミニ ピックアップは、全長約3.4メートルとコンパクトながら、荷台部分には意外と多くの荷物を積むことができました。

ミニ ピックアップのデザインは、基本的なミニクーパーのデザインを踏襲しつつ、後部に荷台を追加する形になっています。エンジンは当初848ccのAシリーズエンジンが搭載されており、その後1,000ccエンジンや1,275ccエンジンも搭載されました。トラックとしての耐久性も備え、農場や工場、配達業務など、さまざまなシーンで活躍しました。

ミニ ピックアップは、そのコンパクトなサイズと優れた機動性により、狭い道や都市部でも容易に扱うことができました。また、そのレトロなデザインと愛らしい外観から、多くのファンに愛され、クラシックカーとしても人気があります。今日でも、レストアされたミニ ピックアップはクラシックカーショーやコレクターズアイテムとして高い評価を受けています。


スリリングなイギリスでの初運転

早速、作業の道具を荷台に積み込み、今日が最後となるリンゴの畑に向かいました。右ハンドルで左側通行のイギリスでは、日本と同じように運転できるのが助かります。というのも、ヨーロッパに来た当初、日本とは逆の交通ルールに慣れるのが大変で、道路を横断する際の左右の確認や、バス停でバスを待つときに、つい日本の車の流れを思い出して右往左往してしまいました。左方向に行くバスに乗るには、道路の向こう側のバス停で待たなければならないのですが、日本の感覚で手前のバス停に立ってしまうのです。ヨーロッパでは通行ルールが逆なので、バス停を間違えると大変です。

街中では車が頻繁に通るので、視覚的に右方向か左方向かを確認できるため問題は少ないのですが、田舎のほとんど車が通らないバス停でぼんやり待っていると、いざバスがやってきたときに慌ててしまいます。イギリスではその心配がないので安心です。不思議なことに、日本とイギリスは島国同士で通行方向が同じ左側という共通点があります。

ミニトラックに乗り込み、エンジンをかけて農場から出発しました。道幅が非常に狭いことは以前にも書きましたが、オースティン・ミニにとっては問題ありません。快適に運転していたら、前方にトラクターが現れました。離合する場所が少し先にありそうだったので、そこでやり過ごそうとハンドルを切りましたが、どちら側に寄せれば良いのか一瞬迷ってしまいました。こちらでしばらく暮らしたせいで、いつの間にか左側通行の頭が右側通行の頭に切り替わっていたのです。

正面から大きなトラクターが近づいてくる中、冷や汗がどっと出ました。すんでのところで、イギリス式の交通法規に則った左側の離合スペースに停めることができました。正面から来たトラクターの運転手がにこやかに手を上げ、「グッ、ダイ」と声をかけて通り過ぎました。危ないところでした。一つ間違えば正面衝突になっていたかもしれません。世界中どこでも安全運転を心がけることを私の標語にしようと心に刻みました。

慎重に、まるで初心者のように前方と後方の確認を指差し呼称で行い、しっかりとギアをローに入れて静かに再出発しました。安全運転を心がけることの大切さを改めて実感し、注意深くリンゴの畑に向かいました。

【補足情報】イングランドが左側通行である理由

アメリカやヨーロッパのほとんどの国が右側通行なのに対し、イングランドが左側通行であるのには歴史的な背景があります。左側通行の起源は中世に遡ります。当時、人々は馬に乗り、右手で剣を扱うために左側を通行するのが自然でした。これにより、すれ違う人々はお互いの右手が見える位置にあり、突然の攻撃を避けることができました。特に武士や騎士が多い時代には、左側通行が安全とされていました。

イングランドが左側通行を正式に採用したのは、18世紀のことです。1835年には道路交通法が制定され、左側通行が法律で義務付けられました。一方、ナポレオン時代のフランスでは、ナポレオンが右手で剣を持って戦うために、彼の支配下にある国々に右側通行を採用させました。この影響で、ヨーロッパ大陸の多くの国々が右側通行となりました。

アメリカでも、右側通行が広まりました。これは馬車の運転手が左に座り、右手で鞭を扱うため、右側通行が便利だったためです。また、アメリカはヨーロッパの影響を受けて右側通行を採用しました。

このように、イングランドが左側通行を採用したのは歴史的な経緯によるものであり、現代でもその伝統が続いています。他の国々とは異なる通行ルールを持つことは、イングランドの独自性の一つとも言えます。


イギリスの田舎の交差点はロータリー!!

ところがまたまた、問題発生です。次の曲がり角がロータリーだったことを思い出しました。「進入方法ってどうやるの!?」という不安が頭をよぎります。それまでボスの運転で気楽に助手席に乗って通り過ごしていたのですが、今までにロータリーを車で通過したことがなかったため、右へ曲がる方法に困惑しました。左に曲がるのは簡単です。日本の交差点と同様に左にハンドルを切って道なりに進めばよいのです。しかし、右に曲がる場合、まず左へ曲がる必要があります。左へ曲がる道を通過し、さらに右回りに回って、ロータリーの進入点から見ると直線方向の道を通過し、やっと目的の方向に進めます。ロータリー初心者にとっては、目が回るような右折です。下手をするとロータリーを一周して元の道に戻ってしまうかもしれません。一人で運転しているので独り言を言っても問題ありません。「よし、安全運転でロータリーへ進入!」と気合を入れて円状のロータリーの交差点に進入しました。周りを見渡すと500メートル半径内にはまったく車が見えないので、ノロノロ走っても誰にも迷惑はかけなさそうです。しかし、練習のつもりで安全に、かつスロースピードではなく、静々と回転しました。あやうく一周しそうになりましたが、無事に右折に成功しました。次回進入するときは3周くらい回ってやろうかとも思いましたが、せっかく世界どこでも安全運転という誓いを立てたので、やめておきました。なんとか無事に作業するリンゴ畑に到着しました。

【補足情報】イングランドの田舎のロータリー方式の交差点について

イングランドの田舎では、ロータリー方式の交差点がよく見られます。ロータリーは、複数の道路が円形の交差点で交わる仕組みであり、交通の流れをスムーズにするためのものです。ロータリーの中央には芝生や花壇が設けられていることが多く、美しい景観を提供しています。

ロータリー方式の利点の一つは、信号機が必要ないため、交通の流れが途切れることが少ない点です。車両はロータリーに進入する際に、すでにロータリー内を走行している車両に優先権を譲る必要があります。これにより、交差点での渋滞が減少し、スムーズな交通が維持されます。

また、ロータリーは事故を減少させる効果もあります。信号機のない交差点では、信号無視による衝突事故が発生するリスクがありますが、ロータリーでは車両が減速して進入するため、重大な事故が起こりにくくなります。さらに、ロータリーは歩行者にも安全な環境を提供します。歩行者用の横断歩道が設けられており、車両が減速するため、安全に渡ることができます。

イングランドの田舎のロータリー方式の交差点は、美しい景観と機能性を兼ね備えた優れた交通システムです。これにより、地域住民や観光客は快適に移動でき、田舎の魅力を存分に楽しむことができます。


数千本のリンゴの木と付き合う

今日も快晴です。見渡すと、3日間の作業でずいぶんとリンゴの子供たちは枝を広げるようにS字フックがセットできています。みんな手を広げて、私に手を振っているようにも見えます。いつかまた大きくなったこのリンゴの木たちと会ってみたいとも思います。まだ10時までには時間があるので、できるだけ今日中に作業を進めようと決意しました。

ふと気が付くと明日は金曜日です。初の給料日であることに気づきました。はたしてどのくらいの給料になるのでしょうか。少なくとも一週間の食費が稼げれば良いのですが、急に現実味を帯びて少し心配になってきました。今の時点で考えてもしょうがないと自分に言い聞かせ、こつこつためればきっと日本に帰れるくらいのお金になるだろうと思いました。でも、高福祉国家のイギリスだからガッポリ税金とられたらどうしようなんて、えらく世知辛いことを今日は考えるなぁ~と思いました。

とにかく日が傾くまでリンゴの木と向き合いました。最後に遥かに丘の向こうまで続くリンゴの若木たち見渡した後、広い広い農園の真ん中で手を振りました。「みんな元気に大きく育つんだよ!」と少し寂しい気もしましたが、次の日には新しい同居人も来ます。給料日でもあり、初めてのこの地でのウェークエンドです。やっぱり、みんなでパブに行くのかなーと考え、生ぬるいということで有名なラガービールでも飲んでみるかなと思いました。

帰りがけに職員特典のリンゴ、マッシュルーム、西洋梨、プラム、ブラックベリーをしこたまバッグに詰め込んでドラッグストアに寄ってみました。おばちゃんは外出中ということで、高校生くらいの女の子がカウンターにいました。名前を聞くとシャーロンという名前でした。久しぶりに若い女性と会話をして、ガラになく恥ずかしかったです。私宛に郵便が来ていないかととりあえず聞いてみました。まだ、こちらから出した手紙を出した日から数日しか経っていないので、日本に着いてもいないだろうと思いつつ、会話する事が見つからなくて、とりあえず聞いてみたのです。シャーロンはアングロサクソン系のきれいな目をしていて、いわゆるイギリス美人の典型でした。私が聞きやすいように、ゆっくり話してくれる優しさも持っています。しばらく会話を楽しみ、週末用の牛乳と食パンを買って帰りました。

充実した一日でした。ボスに信頼されて社用車のミニクーパーを運転し、イギリス美人と知り合い、かつてないいい日でした。ただし明日から始まる大変な共同生活などまったく知らずに安らかに寝りにつきました。

FavershamのドラッグストアでアルバイトをしているMiss.Sharon Owen

今日は充実した一日でした。ボスに信頼されて社用車のミニクーパーを運転し、イギリス美人と知り合い、かつてないいい日でした。明日からの大変さなどまったく知らずに安らかに寝入りました。


【補足情報】イギリスの農場の囲い込み運動について

囲い込み運動(エンクロージャー)は、16世紀から19世紀にかけてイギリスで進行した農地の再編成運動です。これは農業生産性を向上させるために、小規模な農地を統合し、大規模な農場に変えることを目的として行われました。この運動により、農業の効率化が進みましたが、一方で多くの農民が土地を失い、都市への移住を余儀なくされました。

囲い込み運動は、初期には地主が自分の土地を囲い込む形で行われましたが、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、法律による強制的な囲い込みが増えました。これにより、農地の集約が進み、農業の機械化や大規模化が可能となりました。結果として、イギリスの農業生産は飛躍的に向上し、農業革命が進展しました。

しかし、この過程で多くの小作農や農業労働者が土地を失い、失業や貧困に苦しむこととなりました。囲い込み運動は、イギリスの社会経済構造に大きな変革をもたらし、産業革命の基盤ともなりましたが、その一方で農民の生活に深刻な影響を与えました。この歴史的背景を理解することで、現在のイギリス農業の成り立ちや社会構造の変遷を知ることができます。


スペイン語しか話せないイギリス人

朝からちょうどお弁当箱の大きさにぴったりのピクルスのプラスチックケースがあったので、昨晩のマッシュルームご飯を詰めて昼ごはんにしました。朝食も嬉しいことに和食です。アルミ製の水筒には熱い紅茶を入れました。昨日、全粒のビスケットも買っていたので、ティータイムのサイドメニューは問題ありません。それに職員特典のフルーツもリンゴと西洋ナシがあって、なんとまあ贅沢なラインナップです。サブバッグはすでにパンパンです。ショルダーバッグの紐が肩に食い込むのを感じながら農場の事務所に向かいました。

事務所に到着すると、おぉ、いるわいるわ…。まったく学校の朝礼前の校庭といった雰囲気です。若さと騒々しさが溢れる中庭で朝の挨拶と今日の作業段取りが指示されました。完了すると、その他大勢のアルバイト生はトラックに積み込まれて、昨日まで私が作業していたリンゴの幼木が植えてある畑に向かいました。きっと昨日会った野うさぎは今日の騒々しさに驚くに違いありません。ちょっとお気の毒だなぁ~とぼんやり考えていると、ボスが私に来いと手招きしました。

ボスの横には、私と同じくらいの背格好の若者がいました。ははぁー、こいつが例の大使館員の英語が下手なイギリス人だなとピンときました。「イキオ、彼が今日からあの家に一緒に住むことになるジェームスだ。」と紹介されました。私は、第一印象でなめられてはいかんと思って、ジェームスのつま先から頭のてっぺんまでゆっくり舐めるように見てやりました。自分のことを「なんとなく尻の穴の小さい奴だなぁー」と感じながらも、最初が肝心と気合を入れて目を合わせました。

すると「ボク、ジェームスです。仲良くしてね。」と馴れ馴れしく話しかけてきました。私はちょっとツッパリの感じで「あぁ、俺はイクオだ、よろしくな!」と相手の目を見つめながら言葉を返しました。「きっと、いい友達になれるね。」などと無邪気に語りかけてくるのでちょっと気を削がれる感じではありましたが、まあこれでなめられることもないだろうと自己満足していました。なんとまぁ心の狭い自分がいました。

とにかくあいさつが終わるとボスは、私たちに「じゃあ、今日の作業エリアに連れて行くよ。」ということで、私はミニトラックの助手席に乗り込み、ジェームスは荷台に乗って、ボスの運転で今日の作業場に連れて行かれました。

【補足情報】外国人との同居でコミュニケーションを潤滑にするための心得

  1. 文化の違いを尊重する:

    • 同居人がどのような文化背景を持っているのかを理解し、尊重する姿勢が重要です。文化や習慣の違いを受け入れ、相手の生活スタイルに対して寛容であることが求められます。

  2. コミュニケーションを大切にする:

    • こまめにコミュニケーションを取り、疑問や不満を溜め込まずに話し合うことが大切です。言語の壁があっても、誠実に向き合い、相手の意見や感情を尊重することが関係を円滑に保つ鍵です。

  3. 共通のルールを設定する:

    • 生活する上での基本的なルールや取り決めを同居人と話し合い、共通の理解を持つことが重要です。例えば、掃除やゴミ出しの分担、共有スペースの使い方などを事前に決めておくとトラブルを防ぐことができます。

  4. 互いのプライバシーを尊重する:

    • 同居しているとはいえ、お互いのプライバシーを尊重することが必要です。個々のスペースや時間を大切にし、過干渉にならないように注意しましょう。

  5. 問題解決に前向きに取り組む:

    • 何か問題が起きた場合には、冷静に話し合い、建設的な解決策を見つける努力をすることが大切です。感情的にならず、相手の立場や視点を理解しながら協力して解決する姿勢が重要です。

外国人との同居は、新しい文化や価値観を学ぶ良い機会でもあります。互いに理解し合い、助け合うことで、充実した同居生活を築くことができるでしょう。


生意気スペイン人とチームを組む

着いた先では、すでに何人かの農夫が作業をしていました。「トーマス!ちょっと来てくれ。」というと、作業している中から初老の男性が私たちの方に近づいてきました。「トーマス、今日の作業で使ってやってくれ。イキオとジェームスだ。」と私の肩を叩きながら、その作業主任に私たちを紹介しました。「イキオ、ジェームス、彼はここの主任でトーマスだ。今日は彼の指示で作業をしてくれ。」軽く私たちに会釈して「オーカイ、ボス。じゃあ作業を一緒に進めるように段取りするよ。」と手短に会話すると私たちについてくるようにとアゴで合図しました。

その作業場では、送水用の金属製のパイプを二人一組で運ぶ作業をしていました。トーマス主任は私たちに「お前ら二人でこのパイプを一本ずつトラックの荷台に積んでくれ」ということになりました。概ね8人が、長さ10m程のパイプを手前から順番に二人で持ってトラックの荷台で待っている作業者に渡します。荷台の作業者は奥の方から順番に詰めながら積み込み作業をしているようです。「じゃあやってみろ。」ということで、私とジェームスはパイプの両端に立ってパイプを持ちあげようとしました。他の作業者がトラックに近い側から持っているので私もそれにならって手前のパイプを持ち上げました。ところがジェームスは全く適当にこちらに気にすることもなく適当なパイプに手をやって持ち上げました。もちろん私とジェームスが持ち上げたパイプは違っているので、パイプが互い違いに持ち上がったことになります。

私は思わず「ばか!」と日本語で言った後「みんなトラックに近い側から順に積み込んでいるのだから、お前にとって一番右端のパイプから持ち上げるんだよ。」と言いました。不届きにもジェームスは「適当でいいじゃないか、イキオ、俺の持っているパイプをお前が持ちかえればいい。」と言い、私が持っているパイプを降ろし、彼が持っているパイプを持てと主張するではありませんか。「みんな、順序良くトラック側のパイプから持っているのだから、そのパターンを守れ。」と言い返すと、生意気にも一週間先輩の私に対して「いやだ。イキオがボクの持っているパイプを持ってよ。」といきなり口論となりました。

空気の読めない奴で、観察力のない奴と憤慨しながらも、他の作業者と同じルールで作業しないと、私以外の作業者と組む事になった時、また同じことになるだろうと思ったので、「ジェームス!他の作業者と同じやり方でやらないと作業がスムーズに進まない」と少し語気を強めて言い返しました。横で見ていたトーマス主任が、「そうだ、バカ!ジェームス、お前はイキオが言うように、トラックに一番近いパイプから持つんだよ!」と注意されました。他の作業者も「そうだ、イキオのようにやれ」と責められて、しぶしぶとふくれっ面をしながら、自分が持ち上げたパイプを降ろして、私が持っている一番右端のパイプを持ち直しました。

へぇー、日本語の「バカ」という言葉は世界標準で通じるのだなと感心しながら、これは使い方を気をつけないと日本語が通じないからと言って、気を抜いてバカとつぶやけないなとも思いました。空気の読めないジェームスはのろのろと作業をします。先ほどの注意されたことを根に持っているのか、あるいはスペイン育ちのぼっちゃんは頭が悪いのか、観察力がないのか働くことが嫌いなのか、いずれにしてもチームプレイにはちっともマッチングしない人材であることは明らかでした。他の作業員も同じように感じているようで、作業が進むにつれてジェームスへの風当たりは強くなっていきました。それに反して、ダメなジェームスと比べれば、キビキビと作業する私への評価は作業するごとに受け入れられていき、他の作業員も気軽に「イキオ、もう少し奥に」とか、「イキオあと10本積んだら、少しトラックを移動するから気をつけろ。」とか指示をするようになりました。ジェームスは他の作業員から半分無視されるようになり、ますます肩身が狭くなってしまいました。それはそうです。履いているジーンズにちょっとでも泥が付くと一生懸命汚れを取ろうとします。その間、流れ作業でやっている仕事なので、他の作業員の仕事も止まってしまいます。「そんな汚れが付くのが気になるようなジーンズなんか履いてくるなよな!」などと内心イラついていましたたが、他の作業員も同じようで「急げ急げ!」と追い立てられて怒鳴られました。その度に私も作業を止めなければならないので、半分呆れて、半分あきらめ10時のティータイムまで作業は続きました。

【補足情報】文化や慣習が違う同士の友情形成について

異文化間で友情を築くためには、いくつかの心得が重要です。まず、理解と尊重です。異なる文化や背景を持つ相手に対して、彼らの価値観や習慣を理解し、尊重する姿勢が大切です。これにより、相手も自分の文化を尊重してくれると感じ、信頼関係が築かれます。

次に、コミュニケーションです。言語の壁がある場合でも、努力してコミュニケーションを取ることが重要です。ジェスチャーや絵、簡単な単語を使って意思疎通を図り、相手との距離を縮めることができます。

また、柔軟性も必要です。異なる文化や習慣に対して柔軟に対応し、自分の価値観を押し付けず、相手の考え方を受け入れる姿勢が求められます。

最後に、共通の経験や活動を通じて友情を深めることが効果的です。一緒に何かを成し遂げたり、楽しんだりすることで、自然と絆が深まります。異文化間の友情は時間と努力が必要ですが、これらの心得を持って接することで、強い友情を築くことができます。


マイペースな困ったちゃん

10時になるとトーマス主任が「じゃあ、一休みしよう」と皆に声をかけて、休憩に入りました。各自が持参した紅茶や牛乳、ビスケットを適当に座って楽しみながら、紙巻きタバコを巻いて一息つきます。私もミネラルウォーターで喉の渇きを潤して、一服しました。隣に座ったトーマス主任が「イキオ、英語はどこで習ったんだ?」と言いながら、手製のクッキーを勧めてくれるので「ありがとう、いただきます。日本では12歳の中学校から英語の文法や発音、簡単な英作文、英文の読解を始めます」と答えました。「ただし、英会話に関してはほとんど教えられていないので、大学に入ってから独学でやるしかありません」と付け加えました。

トーマス主任は「そうか、イキオ。結構英語を上手に話すじゃないか」と褒めてくれました。「はい、ありがとう。やはり英会話は直接英語を話す人たちとコミュニケーションを取らないと上手くならないので、今はいいチャンスをもらっていると感じています」と、相当お世辞を込めて答えました。

そうやって話をしていると、後ろから誰かが肩を叩きました。振り返るとジェームスが立っていました。「イキオ、俺、タバコ持っていないから、イキオのタバコをくれ」と言うので、この空気読めない奴と思いながらもポケットから紙巻きタバコを取り出して彼に渡しました。「ありがとう、イキオ」と答えてタバコを受け取ったジェームスは、さらに「イキオ、ボクは紙巻きタバコを巻いたことがないので、ボクのために一本作ってくれ」と頼んできました。

私は呆れて「自分で作れない様じゃ、紙巻きタバコは吸えないね」と彼の顔を見ながら皮肉を言いながら一本作ってやりました。この依存症の人間めと思いながら渡すと、なんとジェームスは「あと3本作ってくれないか」と頼んできました。私は完全に固まって「はぁ?」と聞き直しましたが、彼は「だって、お昼までにあと3本ぐらいタバコ吸いたいんだもの」と説明しました。

さすがの温厚なイキオ君も頭にきて「仕事中にタバコを吸う暇はないだろ!」と言い切りました。彼はまるで私が悪いことをしたみたいに「どうしてそんなにボクに冷たいんだ!」と逆ギレしましたが、私は何も答えずに立ち上がって「さあ、仕事の準備をしよう!」と聞こえるように独り言を言い、立ち上がりました。

トーマス主任も呆れたように首を振り「ほら、俺のタバコを一本やるから取っておけ」とジョンスプレーヤースペシャルを一本取り出してジェームスに渡しました。するとジェームスは「あと2本ちょうだい」と言い切りました。さすがの主任も呆れて「その一本を大切にして吸いなさい」と言い、全員に作業を再開するように指示をかけました。

私はその横柄な態度に相当頭に来ていましたが、仕事は仕事と割り切ってジェームスとのコンビを続けました。しかし、ジェームスは相変わらず手に付いた泥を払い、ジーンズに付いた泥を払い、手が痛いと大げさにジェスチャーして手を休めたり、ちょっと言い残して水を飲んだりして、まったく空気読めないとんでもない作業員であることは誰の目から見ても明らかでした。

周りの作業員にもイライラが伝染したようで、相棒の私までとばっちりを受けそうで心外でした。今日は昼になるまでの時間がなかなか経たず、二倍疲れた気分で、ようやく昼休みになりました。

【補足情報】イングランドの農夫が好んで吸う紙巻きタバコ

イングランドの農夫たちは、古くから紙巻きタバコを好んで吸う習慣があります。特に手作りの紙巻きタバコは、手軽さとコストパフォーマンスの高さから人気があります。農場での長時間の作業の合間に、手作りの紙巻きタバコを吸うことでリラックスする時間を持つことが一般的です。

紙巻きタバコの材料はシンプルで、タバコの葉と巻き紙さえあれば作ることができます。農夫たちは、自分好みのブレンドでタバコを作り、その味わいを楽しむことが多いです。また、手作りの紙巻きタバコは市販のものよりも経済的であり、自分のペースで作ることができるため、農場作業の合間にリフレッシュする手段として重宝されています。

特に、ジョンスプレーヤースペシャルのようなブランドは人気があります。これらのタバコは、香りが豊かで吸いごたえがあると評判です。農夫たちは、手作りのタバコを仲間と分け合いながら、短い休憩時間を楽しむことで、作業のストレスを和らげています。


イギリスで正規の給料をもらう

私はホッとして、ジェームスからなるべく離れたところに腰をおろし、楽しみにお昼の弁当として持ってきたなんちゃってマッシュルームご飯の入った弁当箱を開けました。冷えてはいましたが、お米の味はとても麗しく、一口一口噛みしめながらその味を楽しみました。ジェームスは、なにかきっかけを作って私の方へ来そうな雰囲気だったので、ほとんど目を合わせないようにしながら、しっかり休憩を取りました。ちらりとジェームスの方を見ると、今度は他の作業員にタバコを要求しています。呆れたというか、アッパレというか、ここまで空気が読めないのは、スペイン人の気質というよりは彼自身の個性なのでしょう。そうでないとスペイン国民に失礼です。

さて、その日は彼とのコンビがそのまま続くことになりました。午後の作業は、まさしく修行の時間でした。慣れない作業というよりは、ジェームスと一緒に作業をすることの苛立ちが全ての原因で、作業の終了時には、完璧に疲れていました。さらには、これから彼と同居するとなるとどれほどのつらさが目の前に広がるか想像しただけで帰路の夕日がとても悲しく思えました。何がなんでも彼とは別々に帰りたかったので、あっという間の帰り支度を済ませて、いつもは全員と交わすさよならもそこそこに、近道を通り、ドラッグストアで炭酸飲料を買って、そこからはゆっくり田舎道を楽しみながら帰りました。

そうそう、ジェームス事件で書き忘れるところでしたが、今日は給料日でした。現金が茶封筒に入れられて各自に渡されます。私の番になり、「イキオ!」と呼ばれて週給を受け取りました。それなりに厚みがありドキドキものでした。封を切ってみると500ポンド以上が入っていました。予想をはるかに超える金額でした。日給に換算すると、12000円位で、時給ははるかに1000円を超えています。この分でいくと数ヵ月後には日本に十分帰れる資金が貯まりそうです。ジェームスも一丁前にもらっていましたが、たった一日では大したものではないでしょう。あの売春強要事件を今になって振り返ると、簡単にOKしなくてよかったなと胸をなでおろしました。まあジェームスが盗みまではしないにしても、虎の子の資金ですから、私の寝室のカーペットの下に500ポンドをへそくりしました。残りの数十ポンドあれば、一週間の食費などはクリアできそうです。

今夜もマッシュルームご飯にします。へたなレストランなんかで散財するよりは、自炊が一番です。これまでレストランでお金を払って、挙句の果てに大変まずい料理が出てくるという悲しい思いを何度も経験をしていたからです。すっかり晩ご飯の段取りをしてやっと人心地着いたころにジェームスがやってきました。

あぁー、そうでした。今日から同じ屋根の下で空気が読めないスペイン育ちで英語が話せないイングランド人と共同生活をしなければならなかったことを思い出しました。


【補足情報】イングランドの農夫が給与から支払う税金について

イングランドの農夫が給与から支払う税金には、主に所得税、国民保険料(National Insurance Contributions: NICs)、および年金保険料が含まれます。

1. 所得税 所得税は、個人の収入に対して課される税金です。イギリスでは、所得税には複数の税率があり、所得に応じて税率が異なります。基本的な控除額があり、それを超える部分に対して税率が適用されます。例えば、年間所得が特定の金額を超えると、その部分に対しては高い税率が適用されます。これにより、収入が多いほど税率が高くなる累進課税制度が導入されています。

2. 国民保険料(NICs) 国民保険料は、イギリスの社会保障制度の一環であり、主に医療、失業保険、年金などの財源となります。従業員として働く農夫は、その給与からNICsが自動的に差し引かれます。NICsの額は、収入に基づいて計算され、収入が高いほど高額になります。

3. 年金保険料 イギリスでは、国民年金(State Pension)が提供されており、その財源は国民保険料によって支えられています。従業員として働く農夫も、将来の年金を受け取るために、給与から一定額が年金保険料として差し引かれます。

これらの税金や保険料は、農夫の給与から自動的に天引きされるため、農夫自身が特別な手続きを行う必要はありません。しかし、税金の計算方法や適用される控除額、税率などについて理解しておくことは重要です。これにより、自分の手取り額を正確に把握し、将来の計画を立てやすくなります。


悪魔の同居人と過ごす花の金曜日の夜

悪魔のように空気読めない同居人ジェームスが今日からこのコテージに住みつくのです。ジェームスはやって来るなり、「イキオ、今日は金曜日だからパブに行こうぜ」と飲みに誘うのです。「ジェームス、残念だが俺はここで週末の夜をゆっくり過ごすのだ」と言い切りました。ワインも買ってあるし、久しぶりに美味しそうな燻製のハムも手に入れたから、たとえジェームズでなく誰か他の人に誘われたとしても、今夜の外出する気持ちはさらさらなかったのです。するとジェームスは、「イキオは酒が飲めないのか?それとも酒が弱いのか?」と少し嘲笑うように言うので、かなりカチンときました。なにせ、大学一年から、焼酎の本場である宮崎で酒は鍛えられてきたのです。

「なにぃー、俺は酒は飲めるぞ!」とむかつきながら言い返すと、「日本人はアルコールが強いのか?」とさらに挑発的に言いました。「ボクはスペインでお酒を飲んでいるから強いぞぉー」と対抗心むき出しでニヤニヤ言うので、「おっしゃ、わかった。じゃあ今からパブに行って酒飲みの勝負をしよう!」と浅はかにも簡単に酒の誘いに乗ってしまいました。スペイン人(正確には英語の話せないスペイン育ちのイギリス人だが…)に負けるわけにはいかない。ましてや、ふざけたスペイン人を相手に敵前逃亡では、宮崎県の人たちに申し開きできないという、よく分からないプライドもあったのですが、金曜日のパブという言葉にも相当引きつけられたこともまた事実です。

ほとんど真っ暗な道を歩いてジェームスについて行きました。私がここに先に住むようになっているが、パブのある場所はまだ私のマップデータベースに登録されていなかったのです。夜道は星の光でなんとなく道筋が見えます。こんないい加減な奴の言うことは信じられるのかと不信感に支配されそうになったころ、遠くに明かりがついた酒場が見えてきました。おぉ、久しぶりに酒場に出向くぞぉ、と胸が高鳴りました。

パブに着くと、内部は思ったよりも広く、多くの人々が賑わっていました。カウンターでは笑顔のバーテンダーが忙しそうにドリンクを作り、テーブルには楽しそうに談笑するグループが集まっていました。ジェームスが私を連れて行ったカウンターでは、先払いでお酒を注文します。超ローカルな国際飲み比べ試合の幕はまもなく開きます。



【補足情報】イングランドの金曜日のパブ

イングランドの金曜日の夜は、多くの人々にとって特別な時間です。週末の始まりを祝うために、仕事終わりの人々がパブに集まり、友人や同僚と一緒に飲んで楽しむのが一般的です。パブはイギリス文化の重要な一部であり、地域のコミュニティセンターのような役割を果たしています。パブでの時間は、ただの飲み会だけでなく、リラックスし、日常のストレスを解消する場でもあります。

パブでは、地元のビールやエール、カクテルなどが楽しめるだけでなく、フィッシュアンドチップスやパイなどの伝統的なイギリス料理も提供されます。金曜日の夜は特に賑わいを見せ、バーテンダーも忙しくなります。多くのパブではライブミュージックやクイズナイトなどのイベントも開催され、客同士の交流が深まる場ともなっています。

イングランドのパブ文化は、その温かさと親しみやすさで訪れる人々を魅了します。地元の人々と触れ合いながら、ゆったりとした時間を過ごすことができるため、旅行者にとっても魅力的な体験となるでしょう。


ラガービールでとりあえず乾杯

ちょっと気分がハイになり、「ジェームズ、どんな酒で勝負をするんだ?」と尋ねると「ビールかな?」と返ってきました。「ふざけるな!ビールで勝負なんてばかばかしい」と言い返すと、ジェームズは「ボクは、初めにビールが飲みたい」とごく当たり前のことを言いました。その点は同感だったので、「初めの一杯は、お前がおごれ!」と先輩風を吹かせて言うと、意外とあっさり「うん、わかった!」と承諾しました。「よし!」と一杯目は、生ぬるいラガービールで乾杯しました。なかなか芳醇な香りで、生ぬるいビールなんてバカにしていたが、いやいや美味しいものでした。つい気も大きくなり、「ジェームズ、2杯目は俺のおごりだ!」と盛り上がりました。

すでにジェームズの顔は赤くなっています。白人のためか、余計に赤がくっきりしていました。「それで、ジェームズ、どんな酒で勝負するのか?スコッチウィスキーか、モルトウィスキーか?どうだ?」と聞くと、「ボクは、強い酒は好きじゃないので甘くておいしいお酒がいい」と言うではありませんか。なんじゃ、こいつマジで酒が飲めるのか?といぶかしみました。そこで、ドリンクの欄を見ると、シェリー酒という文字が目に飛び込んできました。確か甘いお酒だったという記憶があったので、「お前は、シェリー酒を飲んだことがあるか?」と聞くと「ない」との返答。「じゃあ、まず一杯目の勝負は、シェリー酒だ!」ということにしました。

前金制なので、カウンター越しに金を払って、目の前にシェリー酒が運ばれてきました。きれいな細長いグラスに注がれたシェリー酒は、ほのかにピンク色で、なんとなくクリスマスの時に日本でお子様が飲む炭酸飲料にも似ています。まず色のインパクトはなんともかわいいものでした。「イキオ、シェリー酒に乾杯だ!」と生意気なことを言うジェームズに「あぁ、勝負だ!」と気合を入れて、グラスに口をつけると、はんなりと口当たりは甘く、スーッと入ってきました。上手い!そう思いました。たぶんジェームズも同じことを感じたらしく、「イキオ、ボクはこのお酒が気に入った!」とあっという間に飲みほしました。くぅーっ、負けてたまるかと、こちらも一気に飲み干すとウェイターにもう一杯ずつ同じシェリー酒を頼みました。

おばかのジェームズは、「イキオ!これは俺が始めた勝負だから、今日の酒代はみんなボクが出すよ!」などとふざけたことを言うので、「当然だ!」とその提案に乗って、全部酒代はジェームズ持ちとなりました。いやいやこれは楽しいことになってきました。

【補足情報】イングランドのシェリー酒について

シェリー酒は、スペインのアンダルシア地方で生産されるフォーティファイドワインの一種で、その名はスペインの都市ヘレス(Jerez)に由来します。シェリーは独自の製造プロセスを経て作られ、その過程でブドウの発酵を止めるためにブランデーを添加し、アルコール度数を高めます。この独特な製法により、シェリー酒はその豊かな風味と長い保存期間が特徴です。

シェリー酒にはさまざまな種類があり、主なものとしてフィノ、アモンティリャード、オロロソ、ペドロ・ヒメネスなどがあります。フィノは軽くて乾いた味わいで、冷やして飲むのが一般的です。アモンティリャードは中程度の色と風味を持ち、オロロソは濃厚でリッチな味わいです。ペドロ・ヒメネスは非常に甘く、デザートワインとして楽しまれます。

イングランドでもシェリー酒は人気があり、多くのパブやバーで提供されています。特にクリスマスや特別なイベントの際には、シェリー酒がよく飲まれ、その甘くて豊かな風味が楽しみの一つとなっています。シェリー酒は食前酒としても、食後のデザートワインとしても最適で、その多様な味わいはさまざまな料理と相性が良いです。


スペイン人と酒飲み対決

「イキオ、今日の勝負は、ボクの勝ちだよ!」と少し口元が怪しくなってきたジェームスは、2杯目のシェリー酒もあっさり飲み干してしまいました。それを見ると、これは長期戦に持ち込まないとあっちのペースでは、こちらのペースコントロールを乱されてしまうと思いました。「はぁ?何を言ってるの?ここにお互いが飲んだグラスを並べていこう。どっちが多く並ぶかが勝負の決め手だ!」と提案しました。「OK、イキオ、それじゃあ今二人とも2杯目だね。ボクは3杯目を飲むからね。」とすでに2杯目を飲み干し、3杯目を注文しました。私もこのままついていくしかないと覚悟を決めて、目の前にむき出しのまま置いてあるジェームスのお金をつかんで、3杯目を注文しました。お金を取るときに微妙に体が揺れたので、シェリー酒とはかなり危ないお酒かもしれないと気付きました。甘いのですっと飲み干せるが、これは気をつけないと大変なことになるぞと気を締め直しました。

ジェームスの方を見ると、これがまた少しずつ酒に呑まれ始めたという雰囲気で、酒に自分は強いとは言ってはいたが、意外と早く勝負はつくかもしれないという予感がしました。今では時効になっているだろうから告白しますが、宮崎大学の新入生歓迎のコンパはかなりすさまじく、春先の時期には、毎年数人が救急車のお世話になったというニュースがテレビをにぎわせていました。したがって、そのような中で鍛えられてきているので、ペース配分が乱れると、勝負の分かれ目になるのです。

ややジェームスリードですでに5杯目に突入していました。私は、まだ4杯目の半分に到達したところです。しかしもうすぐ勝負がつくことは目に見えて明らかでした。ジェームスの目は既に宙を漂い、グラスを持とうとするが、手が泳いでいて、つかめません。私もかなりきていますが、足には力が入るし、冷静に判断できているようです。ついにジェームスは、気持ちが悪いと言いだしました。そこで「こらぁ、これで勝負は着いたな。お前の負けだ。ジェームス」「おい、聞いてるのか?」と彼の体を揺さぶると「うわぁー、だめだやめてくれ。もう勘弁してくれ!」と唸りました。

「ばかやろう、はっきり負けたと言え!」とさらにガクガクと頭を揺さぶると「わかった、負けだ。金をやるからごめんなさい!」と言いました。いい加減なジェームスには念押しが肝心と考え「もう一回認めろ。お前の負けだな?」とくどく問うと「あぁ、やめてくれ、イキオは強い。俺の負けだ。どうか外に出してくれ。」というので、カウンターに残っている紙幣とコインを私のポケットにねじ込んで、店の外に連れ出しました。

【補足情報】イングランドで人気があるアルコール飲料

イングランドで人気があるアルコール飲料の一つに、エールがあります。エールは、ホップを使用したビールの一種で、特に地元のパブでは、多種多様なエールが提供されます。エールは低温で発酵させるラガービールとは異なり、常温で発酵させるため、豊かな風味と香りが特徴です。中でも、IPA(インディア・ペール・エール)は特に人気があり、その苦味とホップの香りが魅力です。

また、ジンもイングランドで非常に人気があります。特にジントニックは、パブやバーでよく見かける定番のカクテルです。ロンドンを中心に多くのクラフトジン蒸留所があり、各地で個性的なジンが作られています。ジンはボタニカルと呼ばれる植物成分を使用して風味をつけており、蒸留所ごとに独自の風味を楽しむことができます。

さらに、イングランドのパブではサイダーも人気があります。サイダーはリンゴを発酵させて作る飲み物で、アルコール度数がビールと同程度です。甘口から辛口まで幅広い味わいがあり、特に夏場には冷やして飲むと爽やかです。サイダーもまた、地元の農場や小さな醸造所で作られることが多く、その土地ならではの味を楽しむことができます。


星空に飛んだスペイン人

外に連れ出すとジェームズは、近くの植え込みに頭を突っ込んで、胃の中のものを戻し始めました。私も4杯目から5杯目だったので、かなり足に来ていました。しばらく戻していたジェームズが、植え込みから這い出してきて、「イキオ、もう俺はだめだ、家まで連れて帰ってくれ」とふざけたことを言います。「帰りたければ自分の足で歩け。オラオラついて来い」と背中を押すとまた茂みの中に頭から突っ込んでしまいました。「イキオ、助けてくれ」と懇願するが、「ばか、自分で歩けない奴は、そこで寝てろ」と日本語で叫んでさっさと歩き始めました。歩き始めると私もかなり足にきていることに気がつきました。まさしく千鳥足です。もう、ジェームズどころではありません。街灯もない道をフラフラしながら家路を急ぎました。急ぐといっても、気持ちは先に進むのですが、まっすぐ歩いていないようで、あちこちの沿道の木に抱きつきながら、歩き続けました。

いよいよと思ってしばらくしゃがんでいると、なんと後ろからジェームズが歩いてきました。「イキオ、待っててくれてありがとう」となんともおめでたいことを言うので。放っておいて、先に歩き始めました。道は、川沿いの土手の上になりました。そこは、川沿いの土手の下に整備された憩いの遊歩道がある。見覚えのある道であと5分も歩けば懐かしの我が家です。そこに来て後ろからついてきたジェームズが、「イキオ、手を貸してくれ、手を握ってくれ」と懇願するので、今日の一番迷惑を掛けたスペイン人に恨みを晴らすチャンスとばかりに、手を取ってやりました。「イキオ、君は僕のベストフレンドだ!」とほざくので、彼の手をしっかり握って、私を中心にして、ハンマー投げの要領で2回ほど彼を振り回した揚句、「お前なんか宇宙の果てまで飛んでいけぇー」と叫ぶとパッと手を離しました。彼は、あぁーっと叫びながら、土手の下に飛んで行った。しばらくゴロゴロ転がり落ちる音の後にうぅっという声が聞こえて静かになりました。水の中に落ちる音はしなかったので、おぼれ死ぬことはないだろう。この川沿いは、遊歩道がちゃんっと整備されていて、その幅も20mとかなり広く、川沿いには公園やテニスコートがあることは知っているから、まあ土手の芝生の上でお気楽に明日の朝までぐっすり寝るだろうと判断して、彼のことは放置して、私はヨタヨタしながら家に着きました。もちろん洋服を脱ぐ余裕もなく、二階までやっとのことで這い上がり、ベッドにばったりと倒れこみました。昼間のリベンジを果たすことができ、スペイン人に酒の強さで勝つなんていうどうでもよい勝負にも勝って、初めてヨーロッパで稼いだ給料も手に入れ、なにか騒動だった初めてのイギリスの週末を過ごすアルバイト生は、泥のように眠りにつきました。それにしても、もうシェリー酒はコリゴリです。

【補足情報】イングランドの川沿いの遊歩道

イングランドの川沿いの遊歩道は、その美しさと整備の良さで知られています。特にテムズ川沿いの遊歩道は、多くの人々に愛される観光スポットです。遊歩道は整備されており、季節ごとに異なる景色を楽しむことができます。春には花が咲き乱れ、夏には緑が生い茂り、秋には紅葉が美しく、冬には静かな佇まいが魅力です。沿道にはベンチやピクニックエリアもあり、家族連れやカップルがリラックスできるスペースが設けられています。

遊歩道の多くは、自転車道と併設されており、サイクリングを楽しむ人々も多いです。また、ウォーキングやジョギングをする人々にも人気があります。川沿いには歴史的な建物や橋も点在しており、散策しながらイングランドの歴史と文化を感じることができます。夜には街灯が灯り、安全に歩けるよう配慮されています。イングランドの川沿いの遊歩道は、自然と触れ合いながらリフレッシュできる場所として、多くの人々に親しまれています。


二日酔いと快晴のウィークエンド

翌日も素晴らしい快晴です。イングランドの夏は本当に愛すべき季節です。週末には、皆外に出て熱心に庭の手入れをしたり、散歩や日光浴を楽しむのが普通ですが、今日の私は最低の気分です。昨夜のシェリー酒勝負には勝ったものの、勝利の美酒というよりは、二日酔いの種を頭に植え込んだようなものでした。昨日から同居するはずのジェームスは、イギリスの夏の朝をきっと美しい芝生に横たわって眺めたことでしょう。日本の芝生と違って、イギリスの芝生は素足で歩いても日本のようにチクチク足の裏に刺さることはありません。公園やフットボール場、個人の庭に手入れされ明るい緑色の柔らかな芝生は大変鮮やかで、ヨーロッパの芝生という雰囲気を演出しています。公園にしても数キロも続いている遊歩道でも、芝生はしっかり手入れされています。

週末はまず洗濯と決めていたので、フラフラする頭を水のシャワーですっきりさせて、生活に必要な作業である洗濯やゴミ出しなどの作業をのろのろ始めました。やっと頭が正常に機能し始めたころ、台所の窓から外を見ると、よろよろと足取り重く誰かがやってきました。近くまで来たとき、見覚えのある洋服であることに気がつきました。ジェームスがやっと帰ってきたようです。服にはあちこちに木の葉が付き、お気に入りのジーンズは泥だらけです。頭はもっと悲惨で、カールした茶色の髪の毛は壊れかけた鳥の巣のようにボサボサで、お飾りでこれまた枯葉がちりばめられています。芝生の緑の切れ端がデザインされた帽子のように頭を彩っています。顔は泥だらけでうつろな焦点が合わない眼が目立っています。

私は、初め一体どうしたらそのような姿になるのであろうかといぶかしみましたが、そういえば私が土手の道から遊歩道に発射したのでした。ボロ布のような姿のジェームスは、まるで墓からよみがえったゾンビのような風体でした。やっとドアの前までたどり着き、なんとも笑いをこらえるのがやっとでしたが、入ってきたジェームスに元気よくあいさつしました。なんとそのゾンビはニヤニヤしながら「おはよう、イキオ」とちゃんと返事ができました。私は白々しくも「どうしたんだい?ジェームス」と尋ねると、「よく覚えていないんだ。気が付いたら朝まで川の公園で寝ていたみたいなんだ。」私は吹き出しそうになるのをこらえながら「なんだ?酔っ払って川の土手で寝てたのか?まったく信じられない!しかもなんだその恰好は?」と呆れて見せました。まさか自分が一枚かんでいるとは言えません。

「イキオ、確か昨日は、一緒にパブに行ったよね。それでシェリー酒を飲んで、イキオが酒飲みの対決に勝ったことまでは覚えているんだけれど、外に出てからは記憶がないんだ。イキオはどうやって帰ったんだ?僕と一緒じゃなかったのか?」と聞くので、「知らない、俺もかなり飲んでいたのでジェームスのことはわからなかったよ。」と答えました。「そうか、ボクはどこかで転んだみたいだね。」まだ昨日のお酒が残っているのか、自分でも昨日の状況がよく把握できていないようで、こちらにとっては何よりです。「ボクは昨日お金は全部使ったのかな?」と言うので、「お前はフラフラしてお金を残して店の外に出て行ったのだから、俺が預かってたよ。」と昨夜ジーンズにねじ込んでいた、いくばくかの紙幣と小銭を返してやりました。「オー、イキオ、君は素晴らしい!ボクのベストフレンドだ!」と本当にうれしそうに言うので、昨日のことが少々後ろめたくなりましたが、わがままが招いた墓穴だからしかたあるまいとも思いました。「ジェームス、お前相当に汚いから、外で泥と枯葉を払ってこい」と言うと今日は素直に「わかった」と答えて、またドアの外に出て行きました。彼の背中にはくっきり私の靴の跡が付いていました。私はさりげなく近づいて「おいおい、まったく背中は泥だらけだよ。」とたしなめながら、さりげなく証拠の私の足跡を消し去りました。一生懸命に笑いをこらえながら…。

【補足情報】日本風の二日酔いから回復するための食事

  1. 味噌汁 - 味噌には豊富なアミノ酸が含まれており、二日酔いによる胃の不快感を和らげる効果があります。また、具材に豆腐やわかめを加えることで、さらに栄養価が高まります。

  2. おにぎり - シンプルなおにぎりは胃に優しく、炭水化物を摂取することでエネルギーを補給できます。梅干しや鮭などの具材を選ぶと、さらに食欲を刺激します。

  3. うどん - 柔らかくて消化に良いので、胃に負担をかけずにエネルギーを補給できます。温かいうどんは特に体を温め、リラックス効果も期待できます。

  4. 納豆 - 納豆は発酵食品であり、腸内環境を整える効果があります。酵素も豊富で、二日酔いによる消化不良を改善する手助けになります。

  5. 生姜湯 - 生姜には抗炎症作用があり、胃の不快感や吐き気を和らげる効果があります。温かい生姜湯は体を温め、リラックスさせる効果もあります。

このような食事を摂ることで、二日酔いからの回復を早め、体調を整えることができます。


感謝する日曜日

1979年当時、日本の休日は日曜だけで、土曜日は半ドンでした。しかし、イギリスでは既に週休2日制が導入されており、週末に2日も休める習慣にはまだ慣れていませんでした。そのため、週末が来るたびに大変得をしたような気持ちになっていました。特に土曜日に家事をすべて済ませると、日曜日は完全にフリーになり、心も体もリフレッシュできます。

朝の光がカーテン越しに差し込み、部屋全体が明るくなります。窓の外を見ると、正装した人々が通りを歩いて教会に向かっているのが見えます。イギリスでは日曜日は教会に行く日であり、キリスト教を信じている人々にとっては重要な日です。この光景を見ると、宗教的な価値観の差を肌で感じることができました。

一方、スペイン人もどきのジェームズはと言えば、案の定、彼には神を信じる心はないようで、日曜日に昼近くまで寝ているぐうたらな生活を送っていました。向かいの寝室のドアが開け放たれたまま、彼の緊張感のない寝顔を見ると、彼が今までどのような人生を送ってきたのかと、人ごとながら情けなく感じました。

イギリスでも教会離れ、宗教離れが進んでいることをドラッグストアのおばちゃんから聞いたことを思い出しました。若い人ほど無信教が増えているとのことです。無信教は日本だけの問題ではなく、世界的な現象なのだと改めて感じました。とはいえ、私自身も熱心な仏教徒ではないのですが。

不安だったジェームズとの同居生活も、こちらが意識的に距離を持って接すれば何とかやっていけそうな雰囲気になってきました。私はほとんど自分の寝室で静かに日曜日を過ごしました。紅茶を飲み、クッキーを食べ、洗濯物をたたみ、昼寝をして、まったく平和な休日を過ごすことができました。これもやはり神様に感謝すべきことかもしれません。Thanks God for Sunday!

【補足情報】イングランドで教会離れが進む原因

イングランドで教会離れが進んでいる原因は複数あります。まず、都市化と生活の多様化が挙げられます。現代の生活は忙しく、仕事や家庭の責任が増える中で、日曜日に教会に行く時間を確保するのが難しくなっています。

次に、社会の世俗化も大きな要因です。科学技術の進歩や教育の普及により、宗教に対する見方が変わり、宗教的な信仰が薄れてきています。特に若い世代は、宗教に対する関心が低くなっていると言われています。

さらに、教会自体の問題もあります。教会が現代社会のニーズに応えられていないことや、教義が時代に合わなくなっていることが指摘されています。また、教会のスキャンダルや腐敗が信者の信頼を失わせる要因となっています。

これらの要因が重なり、イングランドでは教会離れが進んでいます。しかし、地域によってはまだ教会がコミュニティの中心として機能している場所もあり、完全に宗教が消え去ることはないでしょう。


農作業が本格化

新しい一週間が始まりました。朝6時には目が覚め、身支度を済ませました。ベッドから起きて庭に面した窓のカーテンを開けると、広々とした小麦畑が広がっています。既に収穫が済んでいるため、朝の静けさが一層際立っています。庭ではウサギが朝食を取っていたようで、カーテンが開く音に驚いて急いで庭の境にある茂みに飛び込みました。まるでピーターラビットの世界が現実にあるかのようで、その美しい光景に心が癒されます。

昨日のうちに作ったサンドウィッチを涼しい場所に置いておいたので、ゆっくりと朝食を取る時間が確保できました。冷蔵庫はないものの、買い置きしておいたニンジンやレタスも台所の戸棚に包んで置いておくだけでなんとか持ちます。朝食は午前中の肉体労働を支えるために大切なので、しっかり取ります。目玉焼きとクノールのインスタントポタージュやコンソメスープ、それにイングリッシュスタイルのパン、ミルクティー、そして職員特典のブラックチェリー、西洋ナシ、リンゴ、ブラックベリーとフルーツは完璧です。

備え付けの手ごろなバスケットにフルーツを盛り付け、見た目も楽しみました。もちろん味も楽しめ、10時と3時のティータイムの簡便な紅茶の付け合わせにもなります。朝の一通りの準備が終わり、スリッパから靴に履き替えて食料をバッグに詰め込み、出社します。ジェームズと手をつないで農場に出社するなんてまっぴらごめんなので、彼が起きる前にさっさと出てしまいます。

安定した天気のおかげで、服装も気にする必要がなく、日本との決定的な違いは湿度です。同じ島国なのにこんなにも夏の環境が違うのは、正直うらやましいです。日本の夏も風情がありますが、あの蒸し暑さだけは閉口します。この農場で働くようになって体調が良くなりました。精神的にも体調的にも問題がなく、英語圏の会話にも慣れてきました。挨拶もワンパターンですが、流暢に英語で交わせるようになりました。今週がどんな一週間になるかワクワクしています。ただし、ジェームズの件を除いてですが。

今日からブラックカーラントというブルーベリーのような果実の収穫作業を始めます。初めて組む農夫の人たちとの共同作業になります。地元のアルバイト生は既にどこかの現場に直接出向いているようで、あの騒々しさはありません。ジェームズは朝礼終了時にのっそりと現れ、ボスはため息をつきながら再度今日の作業について彼に説明しました。

【補足情報】イングランドの夏の気候が日本と比較して過ごしやすい理由

イングランドの夏の気候は日本と比べて過ごしやすいと言われています。その理由はいくつかあります。

  1. 湿度の低さ: 日本の夏は高温多湿で、湿度が高いため蒸し暑さが感じられます。一方、イングランドの夏は湿度が低く、乾燥しているため、気温が高くても過ごしやすいです。

  2. 気温の違い: 日本の夏は気温が30度を超えることが多いですが、イングランドの夏は平均的に20度から25度程度であり、暑さが比較的和らいでいます。

  3. 風の影響: イングランドは海に囲まれており、海風が吹くため、気温が上がっても風によって体感温度が下がります。これにより、暑さが和らぎます。

  4. 日照時間: 夏のイングランドでは日が長く、夕方まで明るい時間が続きます。これにより、活動時間が長く取れ、余裕を持って過ごせます。

これらの要因が組み合わさり、イングランドの夏は日本と比べて過ごしやすいと感じられるのです。


イギリスの訛りに困惑する

新しい一週間が始まりました。朝6時に目が覚めたので、さっそく身支度を整えます。ベッドから起きて庭に面した窓のカーテンを開けると、広々とした小麦畑が見えました。すでに収穫が終わっているようです。庭ではウサギが朝食を取っていたようで、カーテンを開く音に驚いて急いで茂みに飛び込んでいきました。ピーターラビットの世界がこんなにも身近に感じられることに感動しました。

昨夜のうちにサンドイッチを作り、涼しい場所に置いておいたので、朝食をゆっくり楽しむ時間が確保できました。冷蔵庫がない環境ですが、ニンジンやレタスは台所の戸棚に包んでおくだけでなんとかなりそうです。朝食は午前中の肉体労働を支える大切な食事なので、しっかりと摂ります。目玉焼きとクノールのインスタントポタージュやコンソメスープ、イングリッシュスタイルのパン、ミルクティー、そして職員特典のブラックチェリー、西洋ナシ、リンゴ、ブラックベリーといったフルーツの豪華なラインナップです。備え付けのバスケットにフルーツを盛り付け、目でも楽しみます。もちろん、10時と3時のティータイムの紅茶のお供にもなります。

朝食後、トイレを済ませ、スリッパから靴に履き替え、食料をバッグに詰めて出社します。ジェームズと手をつないで農場に出社なんてまっぴらごめんなので、彼が起きる前にさっさと家を出ました。安定した天気のおかげで服装も気にする必要がなく、日本との決定的な違いは湿度です。同じ島国なのに、夏の環境がこんなにも違うのは驚きです。日本の夏も風情がありますが、あの蒸し暑さだけは耐え難いです。この農場で働くようになってから、体調も良くなりました。たぶん、こちらに来てから一番健康な状態です。精神的にも肉体的にも問題ありません。英語圏での会話にも慣れてきましたし、挨拶もワンパターンですが流暢に交わせるようになりました。今週がどんな一週間になるのかワクワクしています。ただし、ジェームズの件を除いてですが…。

今日からはブラックカーラントというブルーベリーに似た果実の収穫作業を始めることになります。地元のアルバイト生は、既に他の現場に出向いているようで、あの騒々しさはありません。ジェームズは、朝礼終了時にのっそりと現れました。ボスはため息をつきながら、再度今日の作業について彼に説明しています。不届きにも手間をかけて説明しているのに、聞く態度が悪く、爪や髪の毛を気にしていて、ちゃんと話を聞いている様子がありません。喉のところまで「こらぁー、しっかり聞かんかぁ!」と怒鳴りそうになりますが、私は単なるバイト生なのでぐっと我慢します。こいつのやる気のなさには本当に腹が立ちますが、こういう人もいるんだなと人生勉強になります。

今日は、トラクターが引く台車に乗って、現場までゆらゆらと移動します。それなりに顔見知りになったので、ちょこちょこと会話が弾みます。ただ驚いたのは、地元の人間が話す英語には相当に方言があり、発音が違うため聞き取りづらいことです。まったく聞き取れないこともしばしばです。これもまた勉強だと感じます。日本と同じように、各地方で方言があることを身をもって経験します。それでも、今までの経験から、伝えようとする気持ちと聞き取ろうとする気持ちがあれば、ほとんど通じることは実証済みです。しかし、英語の母国でこのような経験をするとは予想していませんでした。

そう言えば、鹿児島の友人と指宿市までバイクでツーリングに行ったことがありました。鹿児島と言えば、薩摩藩の外部からの侵入を防ぐために薩摩弁を使っていた県です。明治維新から200年近く経っているにもかかわらず、今でも田舎に行くとおじいちゃんやおばあちゃんがご先祖様から引き継いできた言葉を話しています。薩摩半島の最南端の温泉の民宿に泊まったとき、その宿のおばあちゃんが話す言葉が、初めから最後までまったくわかりませんでした。あまりにも普段聞く日本語とはかけ離れていたため、横にいた鹿児島県出身の友人に「今の話の内容ってどんなだったの?俺は最後のワハハしかわからなかったぞ」と聞くと、「実は鹿児島県人の俺もまったくわからんかった」というすごい経験をしました。元は同じ言葉であったはずなのに、意図的あるいはその土地に根差した言葉に少しずつ変化した結果、方言が発展していったのでしょう。郷に入れば郷に従えというように、こちらの英語もジャパニーズイングリッシュなので、ちょうどバランスが取れていいのかもしれません。

【補足情報】イングランド南部の訛り、特にコックニー


(Cockney)は、ロンドンの労働者階級に根付いた特徴的な英語の一形態です。コックニー訛りは、東ロンドンのイーストエンド地区を中心に発展し、独特の発音とリズムが特徴です。

まず、コックニー訛りでは、"th" の音が "f" や "v" に置き換えられます。例えば、"think" は "fink"、"brother" は "bruvver" と発音されます。また、"h" の音が省略されることも多く、"house" は "ouse" となります。これにより、標準英語とは大きく異なる音が生じます。

さらに、コックニー訛りには独自のリズムとイントネーションがあり、しばしば早口で話されます。文章の最後にイントネーションが上がることが多く、疑問文のように聞こえることがあります。このリズムとイントネーションは、コックニー訛りを一層特徴的にしています。

コックニーライムスラングも南部訛りの一部として知られています。これは、特定の言葉を別の言葉で置き換える遊び心のある言葉遣いです。例えば、"stairs" は "apples and pears"、"telephone" は "dog and bone" といった具合です。このライムスラングは、コックニー訛りをさらに興味深く、地域特有のものにしています。

近年、ロンドンの多文化化により、コックニー訛りは変化し、他の方言や外国語の影響を受けています。それでも、コックニー訛りはロンドンのアイデンティティと文化を反映し続けており、地域の伝統として大切にされています。


過激なフルーツ収穫

今日からは、ブラックカーラントというブルーベリーのような果実の収穫作業を始めることになります。初めて組む農夫の人たちとの共同作業です。地元のアルバイト生は既にどこかの現場に直接出向いているようで、あの騒々しさはありません。ジェームズは、朝礼終了時にのっそりと現れました。ボスはため息をつきながら再度今日の作業について彼に説明していました。

農作業自体は、身振り手振りで通じますし、基本的には繰り返し作業なのでポイントさえ押さえればどうにかなることは今までの経験で分かっています。作業としては、胸の高さぐらいに育てられた、ちょうど茶畑のようなブラックカーラントというどんぐり大の深い青色の実を、まさしくお茶の摘み取り機のような機械で収穫します。その収穫方法が素晴らしくシンプルです。機械の先頭部には、木を激しくブルブルと揺すって木の実を振り落とす振動機が付いています。その後方に巨大な掃除機が付いていて、落ちてくるブラックカーラントの実を吸い取ります。人間はというと掃除機の後ろから、強烈に噴き出す風と一緒に飛ばされてくる実を収穫用のトレーに収穫します。後ろに繋げられたトレーラーには、作業員が2人乗り込み、収穫した木の実が出てくる口に待機して出てくる実を80cm四方のトレーにビニールシートを敷いて均等に広げていきます。8割程度溜まったら、後ろに控えているスペースに積み上げていきます。20段ほど積み上がると、別働隊として後ろから追走してきているトラクターに積み込み、そのまま加工場に運ぶという流れです。

トレーラーには2名しか乗り込めないので、4チーム編成で作業します。ある程度の時間作業をするとローテーションで交代していきます。私にとって一番恐れているのは、あのジェームズとコンビを組むことです。もしもその場合は、きっと恐ろしいことになるのは目に見えています。どんどんと出てくるブラックカーラントの果実の川。もたもたするジェームズの横で一人孤軍奮闘する自分。そして、後ろから早くしろと飛び交う罵声。想像しただけでも気絶しそうになります。

トーマス主任が今回もリーダーになってチームを組むらしいです。二人ずつパートナーが決まっていきます。私の名前は呼ばれていません。しかもジェームズの名前も呼ばれていません。どんどんと悪夢が現実になることが確実になりそうで心臓がギュッと締め付けられます。「それと俺とイキオ」おぉ、やったー頼もしいトーマス主任となら、上手くやれる自信はあります。となるとジェームズと組むのは誰かと見回すと、既にすべてのチームは決まっています。つまりジェームズはこの作業から外されるのです。まあ先週の作業ぶりを見れば、彼にできる作業はゴミ拾いかと想像していたから納得です。

【補足情報】イングランドの果実ブラックカーラントの特徴と味と調理法

ブラックカーラント(Ribes nigrum)は、イギリスでは非常にポピュラーな果実で、深い紫色をしており、小さなベリー状の実をつけます。その味は非常に濃厚で、酸味が強く、ビタミンCが豊富です。ブラックカーラントはそのまま食べることもできますが、ジャムやゼリー、ソース、ジュース、リキュールなどに加工されることが一般的です。

特に有名なのが「カシス」というリキュールで、ブラックカーラントを原料としています。また、ブラックカーラントの葉も香りがよく、お茶として利用されることがあります。ブラックカーラントは抗酸化作用が強いとされ、健康食品としても注目されています。調理法としては、果実を砂糖と一緒に煮詰めてジャムにしたり、スムージーに加えたり、ヨーグルトやアイスクリームにトッピングするなど、多岐にわたります。


「見る」と「やる」では大違い

トーマス主任は「ジェームズは、トラクターの後ろに散らばっている小枝を集めて、畑の隅にあるコンテナに集めるのが作業だ。」と指示されました。あー、やっぱりこいつにはゴミ拾いしかできないんだろう、かわいそうにと同情していると、あらぬことか、ジェームズは嬉しそうに返事をして皮の手袋をはめ始めました。まったく、コイツはバイト生としてのプライドはないのかと呆れてしまいました。時給を決められて働くのだから、せめてその分の仕事くらいしないといけないと思います。もしかすると主任は、全体の指揮を取るための管理職としての仕事があったのかもしれないのに、ジェームズのせいで現場に張り付くことになったために、それができないのではと想像すると、ジェームズの脳なしぶりに腹が立ってきました。

そんなことを考えていると機械が動き始めました。トーマス主任と私は、チームとしては4番目のしんがりです。たぶん私が他の農夫たちが仕事をしている様子を観察させて、作業のイメージを私に見せるためではないかと思います。さて、摘み取り機は、すさまじい勢いでお茶の木状に刈り込まれた木々を揺すり、果実の収穫用の開口部から、これまたすさまじい勢いでブラックカーラントの実を吐き出します。同時に風も一緒に出てくるので、トレーの下に引くためのビニールシートが風のせいで、なかなかトレーの底に敷けません。そのため二人がかりでビニールシートの四方を摘まんでトレーに敷いています。しかし敷くために時間がかかると引いたシートの下に木の実が溜まってしまい、その分の果実は無駄になります。それでも農夫たちは、強引に作業を進めています。なんとかビニールシートを敷くことができれば、作業は楽になるし、無駄もなくなるだろうにと何かアイディアはないかと知恵をめぐらしました。

30分ほど連続作業をすると次のチームと交代します。私たちは、実際の作業をするのは、10時のティータイムの後になるだろうと予想しました。案の定、3チーム目の途中で10時の休憩になりました。結局、私は、機械が通った後に出る小枝を他の作業員と一緒に集め、それをコンテナに運ぶだけでした。つまりジェームズと同じ作業でした。肝心のジェームズはとチラリと見てみると、もう誰も相手をしてもらえないのか、一番端で、つまらなそうに水を飲み、タバコを吸っています。先週末パブでお金を使いまくって、金もないだろうに、贅沢にも高級な箱入りのタバコを吸っています。まったくなんてマイペースな奴なんだろう。周りの空気なんて関係ないのです。半分うらやましくもあります。

さて、ビニールシートを上手く敷く方法ですが、ひとつアイディアが浮かびました。実際トレーラーに乗り込んでみないと結果はわかりませんが、せっかくここで働いているのだから、能動的に仕事をして、なにか役に立てればやり甲斐にもなると思います。さて、休憩も済み、機械のけたたましいエンジン音が再び響き始めます。「イキオ!こっちこい!」トーマス主任が、大きな声で呼びます。多少緊張しているが、日本代表(?)として足を引っ張るわけにはいきません。心の中でよっしゃ!と気合を入れてトレーラーに乗り込みました。足元は、踏みつぶされた実が散らばり、紫色に染まっています。木の実が出てくるステンレス製の出口からは、既にかなりの風が噴き出しています。「イキオ、気を楽にな、誰にだって初めてはある。」とリラックスする言葉をかけてくれました。「オーカイ、トーマス。これが初めての作業だ。上手くやってみせるよ。」と答えて間もなくすさまじい音とともに振動音がさらに高まり、その数秒後からドッとブラックカーラントの川が押し寄せてきました。主任が膝の高さにある袋からビニールシートを引っ張りだすと私に端を持てとジェスチャーしました。確かに強烈な風でシートは私の言うことを聞いてくれず、バタバタと震えながら、排出口から出てくる風にあおられてしまいます。なんとか一枚目のシートを敷いたが、案の定、かなりの実がシートの下にこぼれてしまいました。数トレー無駄にしたあとに、自分の考えを実践してみることにしました。

【補足情報】「行動する」と「見るだけ」には大きな違いがある

多くの人が物事を理解する際に、観察することから始めます。観察は情報を得るための重要な手段であり、他人の行動や環境を理解するための第一歩です。しかし、観察だけでは得られない経験や知識があります。実際に行動することによってのみ得られるものも多く存在します。

行動することは、理論や観察だけでは理解できない実際の経験を伴います。例えば、スポーツや楽器の演奏などでは、理論を学んだり他人のプレイを見たりすることは大切ですが、自分で実際に体を動かしてみないと身につかない技術があります。同じように、職場での業務や日常生活のタスクにおいても、他人がどのように仕事をしているかを見て学ぶことは有益ですが、自分でその仕事を実際に行ってみることで初めて理解できる細かい手順やコツが存在します。

さらに、行動することで、失敗や成功の経験を積むことができます。失敗は貴重な学びの機会であり、成功は自信とモチベーションを高めます。行動することにより、自分の限界を知り、それを克服する方法を見つけることができます。このプロセスを通じて、自己成長やスキルの向上が促進されます。

一方で、見るだけではこれらの経験を得ることができません。観察するだけでは、理論的な理解や他人の経験を借りるに過ぎず、自分自身の成長やスキルの習得には限界があります。行動することで初めて、自分自身の経験として知識や技術が蓄積され、それが実際の問題解決能力や創造力の向上につながります。

総じて、「行動する」と「見るだけ」には本質的な違いがあります。観察は学びの一部として重要ですが、行動することで得られる経験や実践的な知識は、それ以上に価値があります。成功や失敗を通じて成長し、自分自身の限界を超えるためには、見るだけではなく、積極的に行動することが不可欠です。


困るから考える

トーマス主任に向かって、「ちょっとしたアイディアがあるんだけれど、試してみてもいいですか?」と頼みました。トーマスは手を休めることなく、「何だって?どんなアイディアだ?」と尋ねました。「みんながシートを敷くのに苦労しているようなので、少しでも楽になる方法があるかもしれないと思いまして。」と答えると、「オーケー、イキオ。やってみろ。」と言ってくれました。「わかりました。ビニールシートを一枚取って私に渡してください。」と頼むと、トーマスはすぐにビニールシートを渡してくれました。

シートを敷くタイミングは、収穫用のトレーを吐き出し口の下にセットする時ですが、風が邪魔してなかなか敷けません。そこで私は、横に積んである空の収穫トレーにあらかじめシートを敷いておくことを提案しました。トレーが果実でいっぱいになるまでには多少時間があるので、その間に前もって空のトレーにシートを敷いておけば、シートを敷く手間が省け、下敷きになって無駄になる果実も減るはずです。

私は、トーマスから受け取ったシートを横に積んである空のトレーに敷いてみました。トーマスは私のアイディアの意図を理解したようですが、実際にやってみないと効果はわかりません。果実がどんどん溜まるのを見ながら、トレーを取りかえるタイミングを図ります。トーマス主任の合図で、ブラックカーラントでいっぱいになったトレーを彼が後ろの積み上げスペースに置き、私は空のトレーを機械の収穫口にセットします。シートはすでに敷いてあるので、その手間が省けました。

しかし、手で押さえていなかったシートは、風にあおられてあっという間に後方に吹き飛ばされてしまいました。トーマスが新しいシートを取り出し、二人で再び敷き直しました。残念ながら、詰めが甘かったため、シートは風で飛ばされてしまいます。そこで、何か重しになるものを先に入れておけばシートが飛ばないと考えました。

私は周りを見渡し、目の前にあるブラックカーラントの実を重しにすることを思いつきました。「もう一枚くれ!」と頼むと、トーマスはやれやれといった感じで、もう一枚のビニールシートを渡してくれました。私は再度空のトレーにビニールシートを敷き、今回は2握りほどのブラックカーラントを吐き出し口から手に受けて空のトレーにばらまきました。特に隅の方に散らばるようにしました。トーマスもそれを見て軽くうなずきました。

次に、トレーが一杯になったら、改良型のトレーをセットしました。強い風が吐き出し口から出てきますが、すでに少量の果実を敷いているのでシートは飛ばず、見事に果実が収穫されていきます。「イキオ、イエス、ブラディアイディア!」とトーマスは喜び、ハイタッチを求めてきました。身長の高いトーマスとのハイタッチは少し無理な体勢になりましたが、二人とも狭いトレーラーの上で喜びました。

【補足情報】困ることがあるから目の前に現れた問題を解決することで進歩がある

日常生活や仕事の中で、さまざまな問題に直面することは避けられません。これらの問題を解決する過程で、新しい発見や技術の進歩が生まれることがあります。問題を前向きに捉え、解決策を見つけるための創造的なアプローチが重要です。

例えば、農業の現場での問題解決の一例として、収穫作業中に風でビニールシートが飛ばされるという問題に直面しました。この問題を解決するために、事前にシートを空のトレーに敷いておく方法を考え、さらに果実を重しとして使用することで、シートが飛ばされないようにしました。このように、困難に直面したときこそ、創意工夫と実験を重ねることで効果的な解決策を見つけることができます。

困難な状況に直面したときにこそ、冷静に対処し、問題解決のための方法を模索することが大切です。行動を通じて経験を積むことで、新しいスキルや知識を得ることができ、さらなる成長と進歩につながります。問題を解決する過程で得られる経験と知識は、将来の課題に対する備えとしても重要な資産となるでしょう。


価値ある労働者とは?

小さな業務改善ではありますが、収穫改善の効果は高いはずです。喜びにひたる暇もなく、次のトレーを準備しなければなりません。トーマスがシートを渡し、高く積んである収穫用のトレーにシートを敷き、収穫口から果実を適当に取り分けて、次のトレーに平らに敷きます。振り返ると、まだセットしてあるトレーは一杯になっていなかったので、もう一枚トーマスからシートを取ってもらい、もう一段下のトレーにもビニールを敷きました。これで、次の2回分のトレーの準備が完了しました。

手元の作業に先が見えてくると、今度は足元のぐちゃぐちゃにつぶれて汚いブラックカーラントの残骸が気になりました。皆は足でつぶれた実を隅にどけながら自分の足場を確保していましたが、果汁でトレーラーの床が濡れて長靴が滑りやすくなっています。私は自前の靴だったので、茶色の革靴に紫色の果汁が飛び散り、水玉の模様がついていました。

前もってシートを敷くことで、収穫のトレー入替えの時間に余裕が出てきたので、少しずつ時間を利用して、手近にあったチリトリで足元のゴミを集め始めました。と言っても、掃き集めたブラックカーラントの残骸をトレーラーの後部から掃き出すだけなのですが…。それでも私たちの作業当番が終わるころには、それなりに床もきれいになって、気持ちよく次のチームに引き継ぐことができました。

次のチームも私たちがやっていた方法が参考になって、いわゆる「中村方式」で無駄なく作業が進むようになりました。みな作業に余裕が出て、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」なんかを合唱しながら、昼までの作業を快調に進めました。

私たちの番が終わり、ホッとして後ろを振り返るとつまらなそうに作業をしているジェームズの姿が目に入りました。相変わらずのろのろと落ちている枝を拾う姿は余計に疲れているように見えました。農場で働くということは大変な作業も伴いますが、ほんの少しの心の持ち方次第で充実した一日を過ごすことができます。ジェームズという反面教師がそのことをよく教えてくれました。

別に自慢するつもりはありませんが、楽に働くと楽しく働くでは、労働の意味がずいぶん違うと思います。今は自分の作業で手がいっぱいだから、ジェームズの面倒までは見る余裕もないのですが、彼がその意味に気がついてくれればいいのになと思いながら、ブラックカーラントの収穫作業は続きました。


【補足情報】価値ある労働者とはどのようなことか

価値ある労働者とは、単に業務をこなすだけでなく、自らの仕事に対して積極的に取り組み、改善策を考え出し、実行できる人のことを指します。例えば、作業中に問題点を発見し、それを解決するためのアイディアを提案し実行することで、作業効率が上がり、全体の業務改善につながることがあります。

また、価値ある労働者は、チーム全体の士気を高める役割も果たします。自らが前向きに取り組む姿勢を見せることで、他のメンバーにも良い影響を与え、職場の雰囲気を良くすることができます。これは単に自分の業務に集中するだけでは得られない成果です。

さらに、価値ある労働者は、自己成長を続ける意欲を持っています。新しいスキルや知識を習得し続けることで、自分自身の市場価値を高めるだけでなく、組織全体の成長にも貢献します。

総じて、価値ある労働者とは、自己の業務に対する責任感を持ち、積極的に問題解決に取り組み、チーム全体の士気を高め、自己成長を続ける姿勢を持つ人と言えます。このような労働者がいることで、職場全体がより良い方向に進むことができるのです。


三笠の山に出でし月かも

結局、ジェームズは2週間も持たずにスペインに帰ると言い出しました。彼は最後までこの農場には馴染めず、相当ボスにも怒られていたようですが、いじめというよりも、彼の自発性のなさが一番の原因に思えます。なんと去る日に、私の部屋に来て「イキオは、ボクのベストフレンドだった。」と思ってもみない言葉を言いました。「俺は何もしていないよ。」と本当のことを素直に言うと「実はイキオ、ボクは君の思い出として、君が使っていたポンチョのレインコートを持って帰りたい。」と本音を吐きました。要は私が持っているポンチョ型の雨具が欲しいのです。「そのようなタイプのレインコートはスペインにないので譲ってくれ」と懇願しました。

「その代りボクが使っていたこのコンパクトラジオをあげるよ。」と今度は交換条件まで出してきました。そのラジオは、ジェームズがこの農場で働き始めてすぐ、カンタベリーの電気店で購入したものでした。週末には彼の部屋から音楽が流れてきて羨ましく思ったものです。特にレディオ・キャロラインというラジオ局の音楽番組は選曲が素晴らしく、私も思わず耳をそばだてて聞き入っていました。なんとそのラジオを私にくれるというのです。ラッキーではありますが、雨の作業時には大変重宝していたので、雨の対策を考えると手放すのも困ったものです。しかし、最終的には、彼の申し出を受け入れることにしました。

レインコートは、農場にも備え付けのものがあります。もちろんお気楽ジェームズがこの家からいなくなることは、大変な慶事ではありますが、ラジオがジェームズと共になくなるとなれば、少し寂しいということも事実です。その夜から、気に入ったラジオ局の番組を聴きながら、夜の楽しみが一つ増えました。外に出ると満月で、夏とは言え、夜のイングランドはひんやりします。まるで日本の秋のようです。

高校の時に覚えた百人一首の歌が思い出されました。「天の原ふりさけみればかすがなる三笠の山にいでし月かも」たしか阿倍仲麻呂が、遣唐使として中国に渡って久しくなったときに、日本でも見上げた月がこの地でも見ることができる。今頃この月を見ている日本にいる友人たちはどのように過ごしているのだろう、という大まかな意味です。私も久しぶりに日本のことを思い出しました。みんなどうしているだろうか。既に日本を出て五か月が過ぎました。人に噂も79日というし、それぞれの暮らしを過ごしているのでしょう。私も遥かイングランドで充実した日々を送っています。ちょっとセンチメンタルな気分になりました。夏にしては冷たい風が吹いて、身震いをしました。最近は日本の人たちはちっとも便りをくれません。「なんとなく冷たい奴ら」そんな気持ちがふと浮かびました。さて、明日からまた新しい現場に行くことになるのでもう寝よう。体調はいい。食欲もあります。体重も一時期減ったものの今では、日本にいた時より増えたかもしれません。なかなか英語力は上達しないものの、ヒアリングの能力だけはかなりついたと思います。最近は、日本に帰ったらこんなことがしたいという夢も出てきました。旅を始めたときには、自分の将来についてなかなか具体的な像は見えませんでした。もっと勉強をしようと思えるようになってきました。ヨーロッパを旅したいという小さいころから思い描いていた夢が叶いました。これからもきっと旅を続けるのでしょうが、今の旅の延長線上にある自分の将来に少し楽しみが出てきました。それが日本を出る旅で手に入れたい目的の一つだったのです。

電気を消して、かなり真ん中がくぼんだベッドに横たわると、月の光が部屋の中まで差し込んできました。いよいよ旅のクライマックスが近づいてきたような予感がしました。

【補足情報】イングランド南部の「ブラディ」

イングランド南部の人々がよく使う「ブラディ(bloody)」という言葉は、感情を強調するためのスラングとして使われます。元々は「血まみれの」という意味の形容詞ですが、現代では感情や意見を強調するための軽い罵り言葉として広く使われています。「bloody good」や「bloody awful」など、ポジティブにもネガティブにも使われます。

この言葉は特に強い感情を表現するために使われることが多く、日常会話の中でも頻繁に耳にすることができます。しかし、あまりにも頻繁に使うと粗野な印象を与えることもあるため、使用には注意が必要です。

例えば、イギリスのドラマや映画を観ると、「ブラディ」という言葉が多用されているのがわかります。特にコメディやアクション映画などでは、その感情表現の豊かさから効果的に使われることが多いです。

また、イギリス国内でも地域によって使用頻度やニュアンスが異なることがあります。南部では比較的軽い感覚で使われますが、他の地域では違った意味合いや強さを持つこともあります。そのため、地域の文化や言葉遣いを理解することが重要です。

総じて、「ブラディ」という言葉はイギリス文化を象徴する一つの要素であり、その使い方やニュアンスを理解することで、より深いコミュニケーションが可能になります。


日本に帰る…かな?英国の章(了)

イギリスでの生活が安定し始めると、驚いたことに日本でアルバイトをしていたころの生活とほとんど変わらないことに気付きました。違うのは住んでいる場所がイギリスで、話している言葉が英語というだけです。生活の範囲はせいぜい数十キロ、立ち寄るお店も数軒程度です。馴染みの店とその周りの人々とのコミュニケーションは、特に劇的に変化するわけではありません。

旅とは、さすらうことであり、移動することです。しかし、一度定住してしまうと、そこから生活が始まります。人生とは旅だという言葉が、今ではとても実感として理解できます。どこかへ移動し、そしてある場所に住む。その繰り返しが生きるということなのでしょう。今の私は、イギリスを旅行しているというよりは生活しています。

最近では、日本に帰る日のことを考えるようになりました。ヨーロッパを離れることに寂しさを感じるのか、それとも日本に帰れることに喜びを感じるのか。いずれにせよ、日本への旅がすでに始まっていることには違いありません。

この気付きは、旅と生活の境界線が意外に曖昧であることを教えてくれます。どこに住んでも、人は日常の中で小さなコミュニティを築き、その中での生活を楽しむものです。それが日本であれ、イギリスであれ、根本的な部分は変わりません。

さて、そろそろ日本に旅したくなってきました。最近では、ヨーロッパを離れる日のことを思うようになりました。さらばヨーロッパと寂しくなるのか、あるいはやっと日本に帰れると思うのか…。いずれにせよ、日本への旅が始まっていることには違いありません。

【補足情報】達成感を感じるのはなぜか?

達成感を感じるのは、目標を達成したときに得られる満足感や喜びから来るものです。この感覚は、いくつかの要因によって生じます。

  1. 目標の設定と努力:達成感は、明確な目標を持ち、それに向かって努力する過程から生まれます。努力を重ね、困難を乗り越えた末に目標を達成すると、自己効力感が高まり、達成感を強く感じるのです。

  2. 挑戦と成長:目標に向かう過程で、自分の能力を試し、成長を実感することが重要です。新しいスキルを習得し、自分の限界を超える挑戦をすることで、達成感が深まります。

  3. 他者からの認識:周囲からの承認や評価も、達成感を感じる一因です。努力が認められ、賞賛されることで、自己肯定感が高まり、達成感を感じやすくなります。

  4. 自己評価:自分自身で達成感を感じることができる場合もあります。自己評価が高まり、自分の努力や成果を客観的に評価できると、達成感が生まれます。

  5. 心理的報酬:達成感は、心理的な報酬としても機能します。成功体験は脳内の報酬系を刺激し、ドーパミンが分泌されることで快感を感じるのです。

これらの要因が組み合わさることで、達成感は強く感じられます。目標を設定し、努力し続けることが、達成感を得るための重要なプロセスとなります。

英国の章(了)

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