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芝生の手入れから学ぶ「生きやすさ」

日増しに芝生の青の新芽が育ってきています。あれほど枯れていたのが嘘のよう。

本当に枯れているのではないのかしらと不安になりつつ「春を信じて冬を迎える」気持ちで過ごしていたのですから、初めての冬越しを終え、感慨深いものがあります。

新芽が育つにつれ、雑草たちの芽吹きも盛んになってきています。基本的に、雑草が育ちやすいのは、芝生の密度が粗い部分です。

1年目は必死に雑草抜きを行いました。念入りに刈り込みを行い、芝の密度を上げて、雑草のコントロールを図りました。

今年はというと、広い面積において芝生は美しさを保っており、雑草の芽ばえがあるとはいえ、基本的にはコントロールされているという印象。

ところが、一部分だけ、異常なほどに雑草が生えている場所があります。原因は考察中ですが、雑草の間に芝生があるといっても過言ではないような状況の場所があるのです。

病気がちな状態で冬越しに入った部分でもあります。水はけをよくするため、昨年秋、積極的に土をいれ、他へと雨水が流れていくような仕組みを作りました。

今年の春に再度植えなおしたと感覚で手入れをすることが必要なのかもしれません。この春は、その場所を中心に雑草のコントロールが課題となっていくでしょう。

芝生は思いのほか手のかかる植物です。

一旦軌道に乗れば、多少手間も減りますが、肥料の好みも繊細で、病害虫にも曝されやすい傾向があります。

そんな芝生との付き合い方から私が学んだこと。

それは、「完璧ではないけれど明日に繋げるために必要な作業量」を地道に積み重ねるということです。完璧を目指すよりも、7割8割の作業量を毎日続けていけば、なんとかなると考えます。毎日コツコツほどほどの作業をするのです。

それと同時に、きっちり本腰をいれて手入れを頑張る日があってもよいし、その反対に、全く手入れができない日があってもよいというスタンスも保持する。

コツコツだったり両極端に走ったりを上手に組み合わせることがポイント。

組み合わせかたは、天気と気温の変化と、自分のスケジュールと体力。これらを指針に組み合わせていきます。

芝生は生き物ですから、「行きあたりバッタリにしない」ということだけは守らねばなりません。

その基本を守りつつではありますが、一見矛盾するような2つの取り組みかたを「適宜ミックスさせる」と芝生の手入れは比較的「楽」にできると思っています。

芝生の手入れをしているうちに、この考え方は人づきあいや生きやすさに繋がることではないかしらとも思います。

庭づくりは人生哲学の宝庫ではないかしら?

そんな気持ちにさせてくれる芝生の手入れ。

今年も、そろそろ本格的にスタートです!