世のため人のため
イマドキの世情として受け入れられないことは承知している。
しかしながら「世のため人のため」は父の座右の銘であった。
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父は、私生児としてこの世に生を受ける。
大正生まれの祖母、即ち父の母親が未婚の母となるのを覚悟で生んでくれたということ自体に大変な恩義を感じた父が「世のため人のため」を座右の銘としたことは、ごく自然のなりゆきだったのだろう。
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「闇に葬られても仕方のない命だった」と自らを称し、世のため人のためを全力で体現した父の人生。
その苦しみや悲しみを理解せぬ近親者に、父の心情を語り継ぐのが私の責務といっても過言ではない。
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「きょうだい」という名のもとに育った人たちが、父の葛藤やカナシミを知らずにいたのかと不思議に感じてしまうほど。だが、少なくとも私は知っている。
父の立場からして、私のような存在は、あるべくしてもなお、あってありがたきを思う存在なのかもしれない。
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このような思いで、父の座右の銘を周囲に伝え続ける昨今。
「世のため人のため」
この言葉が、私自身の座右の銘となりつつある。
誰のためでもなく、誰かのためでもなく、漠然とした第三者のために、今の自分ができることを全力で。