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後ろを見るために前に進む

遠くを見渡せる場所が好きだ。

山のテッペンや灯台などの「高いところ」から遠くを見渡すと、全てがうまくいくような晴れやかな気持ちになるからだ。



日々の暮らしでは、見通しが悪い中であっても暗中模索で進まなくてはいけないことが多々ある。

暗中模索とはいえ、進むための情報は、ある程度集めることも可能だ。知り得た情報を分析して、現時点での最善と思うものを選択して進む。

だが、不可避な問題が沸き起こり、右往左往することも多い。予想ができなかったことを悔やむとしても、そもそもが暗中模索なのである。

先の見通しなど立てられないはずのところを無理やり見通しているのだ。問題が起きても当たり前。だが、やはり辛いものは辛い。

そんな日常を送っているから、広く見渡せる場所で、少しでも安心を得たいのだろう。



日常の生活は、高いところから遠くを見渡すことができない状態に似ていといえる。

とはいえ、遠くから見渡せなかったとしても、自分が動くことが「周りからの情報を広く集める」ことになり、大きな視野を得るような感覚を持つことも可能だ。

例えば、車の運転時には、さまざまな速度のものが左右上下に動いているため、それらの情報を人は瞬時に判断している。それらを残像として頭に残しつつ、動いてるのだ。

車の運転中、前方を見ているとき、前方左側を走る自転車を確認できたとしよう。

その場合、速度の違いから、車は自転車を追い越していくことになるのだが、すると、その自転車の存在は「左手後方」へと位置が変わっていく。

自分が前に進むことで、数秒前からの残像が後ろに移動するのだ。

全ての情報が頭に残っているわけではないとしても、自分が前に進むと、直前に見ていた景色が自分にとっての後ろの景色となっていくと思ってよいだろう。



自分を今悩ませている問題も、自分が前に進めば過去のことになる。

後ろを振り返る必要などない。なぜなら、振り返って見える景色は、既に自分が直前に見ていたものだから。

辛い時こそ、ひたすらに前を向いて進んでいきたい。