助けるつもりが助けられ
近隣の方から芋をいただいた。
「畑でお芋を掘ってきた!」といって、ドアベルを鳴らされたのは朝の7時半頃。おそらくは、朝一番に掘りに行ってこられたのだろう。
「安納芋だから焼き芋にするとおいしいよ!」「こないだは冷たいお水ありがとね!」と明るく話されていたが、寂しかったのであろう。停電中に体調を崩した家族が入院していると聞いている。少し世間話をし、泥だらけの長靴を引きずって家へと帰っていかれた。
停電が解消し、一見、普通を取り戻したかのようでもあるが、水面下ではいろんな葛藤が渦巻いている。
保険のこと罹災証明のこと、今後の復興の道のり。
私自身も不安な気持ちを引きずっているのは確か。
心落ち着かない毎日だが、まだ停電中の家屋も多く、被災が大きかった親戚縁者を助けるために奔走している人も多い。
ホームセンターなどで知り合いに会うと、当然のことながら被災についての話になる。
自分としては相手を気遣うつもりで、大丈夫ですか?と聞いているのだが、こちらの気遣いを遥かに超える形で、不安な気持ちを助けられることが多い。
被害があったとはいえ、しょせん「モノ」だから、「モノ」は直せばよいだけだから、大したことはない……といった風にあっけらかんとしている方。
電気がつかないから家にいたって暑いし、テレビも映らないから楽しみもないし、夜は気晴らしにカラオケ行って歌ってた……といった強者(つわもの)も。
近くにいて何もできないことにもどかしさを感じていたところもあったのが、大丈夫ですか?と声をかけてもらったことが何よりうれしいとのリアクションもあった。
こうして気遣ってもらって話を聞いてもらって、だだそのことが嬉しいからありがとう……と。
自分ができることをするよりも、相手の希望に耳を傾けることが大事だとは思っていたが、実践してみると、なるほどなぁと思うところにたどりついた。
何か困ってることはないですか?
大丈夫ですか?
そういう声かけが、「気にかけてもらう」というところに通じるのだろう。
凍らせたペットボトル麦茶とポカリが、安納芋になった。これは、ただ「モノ」が行き来した物々交換ではないのだ。
「モノ」を介して伝え合う「人の気持ち」を大切にしていきたい。