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「切ない」が止まらない

方言というわけではないと思うが、この地域では「切ない」という言葉をよく使う。

残念に思うとか、寂しくなるなぁとか、そういう意味で使う「切ない」と同義で使っていると思うのだが、「切ない」という言葉を日常会話で聞いたときには、ちょっと違和感を感じた。

それまでの私は、「切ない」という言葉を「叶わなう恋心」を表現する言葉として使っていたからだ。

◇◇◇

台風15号の話題になると「切ない」という言葉の連続だ。

被害が激しい地域は、まだまだ復旧ができていない。

もちろんそうなのだが、被災が比較的軽い地域であっても、各家庭がなんらかの修繕待ちの情況だ。

実際、私の家はとても軽い被害で済んだが、未だに修繕待ちの部分がある。夫の車がおそらく一番最後になるだろう。馴染みの板金やに直接持ち込み、比較的早めに動いたつもりだったが、年内ギリギリ、または、来年のはじめ頃になるという。

窓ガラスに紙とビニールを貼り付けて運転している車も見かける。そういう状況だから、夫としては「仕方ない」という気持ちでいるようだが、私でさえ、夫の車を見ると「切ない」気持ちになる。夫は夫なりに我慢しているのだろう。

◇◇◇

数日前、普段穏やかな夫がキレぎみの様子で帰宅した。

タイヤがパンクしたのだという。

急遽、石鹸水を作り、いつも植物の世話に使っている霧ふきで、パンクの箇所を確認すると、小さな鉄片がタイヤに食い込んでいた。

夫の帰宅は19時半頃だったが、そこからパンク修理キットを使って修理をすることにした。自家用車必須の仕事に就いているため、夫は「パンク修理キット」を予め用意していたのだ。

翌日の仕事に障りは出なかったとはいえ、仕事でクタクタに疲れて帰宅直後でパンク修理という状況に、夫は疲労を感じずにはいられなかったようだ。

おそらく、今回のタイヤのパンクといった「小さな不具合」は、我が家だけではなく、目に見えないところで多数起きているのだろうと思う。

◇◇◇

この状況は、いったいいつまで続くのだろうか?

非日常の生活は、1年か、2年か、そのくらいで終わるのかな?

この生活がいつ終わるだろうかという予測は、この界隈での気になるトピックだ。私の予想としても2年くらいで元の生活に戻れるだろうと思っていた。

コンビニやスーパーといった店舗は着々と修繕をしているし、明るい未来を想像できる判断材料があるからだ。

昨日、我が家の修繕に再訪した工務店の社長さんに「復旧まで5年」といわれた。建築や土木のプロの人達の間では、「復旧まで5年」というのが、多数派の意見なのだとか。

それだけ長くかかるなら、これが日常だと思って受け入れるしかないのだろう。

「非日常」を「日常として受け入れる」という展開は想像だにしていなかったが。

あぁ……「切ない」が止まらない。


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