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カレー嫌いは非国民なのか?

国民食とも呼ばれるほど日本に住む人の間で人気の高いカレーライス。

カレーライスではなくても、カレー味がついていればなんでも好きという人や、毎日カレーでも飽きないという人もいる。特別調査をしたわけではないが、カレー好きは相当数いそうだ。

一方で、カレーが好きじゃない人への偏見もきいたことがある。余程の偏屈だという意見だ。これほどまでにカレー人気が浸透しているにも関わらず、この空気に染まらない人ことが「日本人らしさ」から外れているといったことなのだろう。


しかしながら、私はカレーが大嫌いである。


もともと好きではなかったが、嫌いという自覚に至ったのは小学校6年生の頃だった。

カレーそのもの嫌いだが、特に、カレーパンやカレー味のから揚げといった、カレー味がどこにでも顔を出してくるものが特に嫌い&大の苦手。

比較的「柔よく剛を制す」的やんわりな立ち居振る舞いを目指している私が、ここまで嫌いとなると筋金入りのカレー嫌いといってよいだろう。

しかしながら、カレー嫌いといって誰にも理由を聞かれたことがない。

「カレーが嫌いなんて変わってますね。」

その程度のリアクションでスルーされる。違いを否定しては申し訳ないという遠慮からなのか、私の真意を汲みとるよりは、スルーして衝突を避けようとするオトナの対応をされるのだ。

まぁ、それはそれで処世術かもしれないが、違いの面白さを楽しめないのは本当にオトナといえるのかなと疑問に思う。

私がカレーを嫌いな理由は、ごくごくシンプルなものだ。

カレーは、素材の個性を消してしまっているから。

人参やじゃがいもといったそれぞれの持ち味をカレーというスパイスで均一化されてしまっているところに「抵抗」を感じるのだ。

同じ食材の組み合わせで比較するなら、肉じゃがは、素材の味をしっかりと引き出していると思う。個性豊かな食材たちがそれぞれに引き立て合って美しいハーモニーを奏でている。

カレーライスでは、カレー味に染められて食材たちは個性をすっかり見失っている。いや、カレー味に染められていても食感はかろうじて残っているのだろうが。

「カレーワールド」に君臨する暴君のように思えて、小学校6年生の私はカレースパイスのことを非常に許せない気持ちになったのだ。

それから月日が流れ、キャンプといえばカレー、山小屋食といえばカレーという洗礼をうけ、カレーを食べることはできるけれど本音のところでは大嫌いだというまでなった。

長いものにまかれることを覚えたのだろう。

ある程度長いものにまかれながらも、この先もカレー嫌いを通していきたい。

ひとりひとりの個性を生かした世界を理想とする志(こころざし)のあらわれとして。