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見捨てられない「見切り品」

「フードレスキュー」として知っている人もいるだろう。

消費期限や賞味期限が近く値下げして売られている商品たち。それらを購入することをフードレスキューと呼ばれている。地球にやさしく「フードロス」を減らす取り組みとして捉えている人もいるはずだ。

私は、もともと値下げシールが貼られた商品を買うことが好きだった。

それは、フードレスキューとか地球にやさしいとか、そういう高尚な考えからではない。

安ければOKという節約のためでもない。いや、そういう考え方も少しはあるが、節約は主な動機ではないのだ。

値下げシールが貼られた食品たちのことを思うと、自分ごとのように可哀想な気持ちになる。

見切り品たちのことを見捨てられないのだ。

まだ食べられるのに。

あんなに値下げされて売っているなんて……。

栄養価は落ちるかもしれない。味も若干落ちるのかもしれない。

けれども、また食べることはできる。

そういう品々を見ていると、なんともやるせない気持になる。

食べるという行為は、他の生き物の命を頂くこと。食べ物たちは自らの命を私たちのために捧げようとしているのだ。

加工品などではわかりにくい感覚かもしれないが、生鮮食料品、魚売り場などでは「命を捧げる」という食物たちの立場を痛いほど感じる。

なぜこんなにも見切られた食品たちに感情移入してしまうのだろう。

心の深いところを理解しきれないままではある。

とはいえ、値引きされた見切り品たちを購入することで心が安らいでいくのを感じる。

誰かが私を見捨てても、私はあなたを見捨てない。

随分と大げさな表現にはなるが、見切り品を買うとき、このような気持ちでいるのだ。