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「はだしの道」を歩くことは生きることに似て

とある神社の境内に、「はだしの道」というところがあった。


三周廻ると何やらご利益がありそうだ。

歩く場所を見てみると、真っ白で綺麗な角が取れた石がコロコロと。

石はそんなに小さくもない。

これならそんなに痛くないのではと私は思った。

ところが、実際に歩いてみるとほんの数メートルでも痛くてたまらない。

何か痛くない歩き方のコツがあるのではないかと考えた私は、体重のかけ方や、足の運び方などなど、工夫をしてみた。

だがどんな歩き方をしても痛いものは痛い。

一周でやめようかなと思ったが、うっかりニ周目に入ってしまった。足元ばかり見ていたためだ。

しかたなく、ニ周目を歩く。痛みに少し慣れてはきたが、やはり痛いものは痛い。

ここまで来たら三周廻ってみたくなる。

どうやっても痛いのなら、足元を見ずに、前を向いて歩くほうがよいのではないかと気付き、前を見るようにした。

不思議と痛みが和らいでくる。

きっと痛みは変わらないのだろうが。

おそらく、痛み以外の情報に目が行くようになったからだろう。

境内を通り抜ける風や、美しい緑。木々のむこうに広がる青空。

痛みを人生の全てとするか。

それとも、痛みは人生の一部とするか。

同じ痛みなら後者のほうがよい。

どうせ生きるのならば、痛みに囚われず、前を向いて歩こう。